母に泣かれてしまった。
私が大学3年のはじめの頃だったか、人付き合いが辛くなって、いっぱいいっぱいで無気力になって、ほんとにもうダメだと思ったから、ものすごく力を振り絞って、母に、つらい、死にたい、と言った。
号泣されてしまった。
私が苦しくて泣きたかったのに、母が私以上に大号泣してしまった。今まで以上に母が嫌いになった。殺してやろうかと思った。死ねばいいと思った。
もっと寂しくなった、理解者がいないと再確認しただけだった。
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参考:似ている悩みと対処法
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ひまわり
π- 2017-02-28 12:58
母親なんてものは期待しないほうがいい。私はもっと心配されたり応援されたり励まして欲しかったです。言葉や態度でもっと愛されている実感を与えるのが母親じゃないのかと思っていました。今、自分が母親になり、子どもたちにうっとうしがられてます。
お気持ち、分かるような気がします。
アドバイス出来るような立場ではありませんが、あなたの頑張っておられる姿、私は分かります。
ちゃんた
π- 2017-02-28 14:20
反応を頂けてとても嬉しいです(;_;)
理解されないと分かっていながら母に期待し、悪足掻きしては傷ついて、心で悪態をついて、不毛なことを繰り返す自分が情けないです。
家でなく外に自分の気持ちを解放できる場所が見つかればいいのですが、家で出し方が分からないでいるのに、ましてや赤の他人にそれを求めるのは難しくて……
悩みを打ち明けたことで母から腫れ物に触るように扱われてしまうようになった事が悲しくて、母が無意識に私から目を逸らしているのが許せなくて、あれやこれやと解決策を提案するけど私にとっては全部的外れで、母に歩み寄ろうとする姿勢が見られない事から、母のアドバイスや提案が全て「頼むからこれで手を打ってくれ」と言っているように聞こえてしまうのです。
少しでも心が軽くなるようにとココオルに助けを求めてみましたが、共感や応援、コメントまで頂けて、書き込んで良かったと思っています。
ひまわり
π- 2017-02-28 17:20
わたしは母に対して特別な感情はなくむしろ嫌悪しかないのに、母が自分を見ていないことには敏感です。幼少の頃から期待しなくなって久しいのに、無関心でいられることにいまだに軽い絶望感があったりします。
逆に勇気を持って相談したり報告したりすると、愕然とした答えが返ってくることがあります。それは私のどこかで『母にはこうあって欲しい、言って欲しい』願望がまだあるからです。
母親と娘って、何んなのでしょうね。
我が娘に対しては気が合わないと思っていますが彼女は私に認められたい、褒めてもらいたい、抱っこしてもらいたい気持ちと、干渉されたくない思春期女子の気持ちが交錯しているようです。
しょせん、それぞれ別個の人間です。血縁があろうと別人格です。私が母に対して諦めたように、娘にもいつかどこかの時点で認識してもらいたいと思っています。
母親の立場として
我が子を可愛いくない親はいません。
いつだって何歳になったって可愛いし憎たらしいし、些細なことで余計な心配をします。
先走ったような助言をしたり、本人が意気消沈するようなことを言ったり、無難な着地点を提案したりする全ては我が子可愛さからくるものです。そして自分が経験した範囲でしか助言できないものです。苦い経験をさせたくないからこそ、若い世代にとっては何故今それを言う⁉というようなことも口にしてしまうのです。
反発するかしないか、すがりつくかしないか、ほっとくか否か、親は親と開き直るか。
子どもが成長すると同時に親は老いていくものです。子どもの年齢が10代よりも20代、更には30代となれば、それだけ親は老いていくものです。
私の母がそうだったように、そして私も受け継いでしまったように、誉めるのが下手くそな母親もいます。
ほっておきましょうよ。
陰ながら応援しています。