今年脳梗塞を発症しました。
麻痺はほとんどありませんでしたが、退院時に
・視覚障害(直線にノイズが入る)
・記憶障害
・ふらつき
が残ったまま退院しました。
会社が配慮してくれるとかありそうですが、私は自営業で、安い任意保険しか掛けていなかったので、健康保険の高額医療費でさほど入院費の自己負担はなかったものの、保険外の食事代で任意保険の保険金はほぼ使い切りました。
一般の人で家庭に恵まれていたら、ここで家族か身近な人のケアがありそうなものですが、父親は自分は普通のことしか言ってないつもりのようですが、私にとっては赤の他人からイジメに遭ってるようなことを平気で何度も言われた上、実家には帰らせてもらえず、単身赴任中でしたが妻には離婚届けを突きつけられ(彼女も乳癌なので致し方ないと思います)、中学のころからそれなりのスキルを30年磨き続けてきたIT業の仕事は失ってしまい、公的支援も当然受けられない状態で、さらにまさか脳梗塞になると思わなかったので、今住んでいるところも微妙に家賃が重しとなっていて、早急に出ないとまずいのです。
さらに、退院してから、
・別の視覚障害(視界が横に30~50%くらい圧縮された上湾曲して見える)…発症しても30分くらいで収まります。
・視床痛(原因がないのに、痛みやしびれが右半身を襲う)…寝ていてもしびれで目が覚めることがあります。
・リハビリ散歩中に意識障害(意識がなくなりそうになる)
と言った退院時にはなかった後遺症が出て来て、社会復帰もおぼつきません。これらは主治医には言いましたが、何のアドバイスも貰えず、社会復帰には半年~1年かかりますねぇ・・・としか言われませんでした。
このままでは、わずかに残っていた蓄えも底をつき、役所に相談しにいきましたが、「八方塞がりですが、引っ越しだけはしてください」とだけ言われて、相談を打ち切られました。
体はもともと体力づくりはしていて筋力は生活にはまったく問題なかったので(それでも入院したことで結構筋肉は落ちましたが、半分ほど取り戻しました)、視界が圧縮される視覚障害と毎日のようにふらつく意識障害がなければどんな仕事でも、出来るのならしたいのですが、この二つは突然襲ってくるので、どうしようもありません。作業中に横になれる10分程度横になれる、大量の水分を摂ってよい配慮があれば、なんとかフルタイムでも働けると思うのですが、50に手が届く歳なので、そんな人間を雇うより、若い子たちを雇うでしょう。運転免許も来年は更新なので、脳卒中者の適正検査を受けないと更新できそうにありませんが、今の状態では少しむずかしいです。
この国が簡単に死ねる、自殺できる国なら、いますぐ身辺整理をして死ぬ準備をすることもなんども考えましたが、やっぱりなんらかの迷惑が掛かってしまうので、それも中途半端です。
生活保護を受けての生活には、蓄えがあると出来ないと知っていてそれも断念しました。最近は鬱なのか、視床痛がひどくなってきたのと、ふらつきで不動産屋にいくのも億劫になります。鬱自体は2度克服したことがあります。
せいぜい半年くらいはだましだまし生活しても、そこでこと切れてしまうと思います。
もう死ぬしかないでしょうか…。
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π- 2017-10-03 23:20
今ホントにお辛い状況にいらっしゃるようで、その苦しみがこちらにも伝わってきます。
でも身体に麻痺が出なくよかったですよね。
私は過去に6年ほど鬱で苦しんだ時期があります。
その時には家族とも断絶状態(今もです)で、あと会社にも病気の事を言うことが出来ず1人で通院して治療しました。
私の人生これからどうなるのか、、と空を見上げてそう思う日が続きました。
でも、何とか病気を完治して今は薬なしの普通の生活に戻っております。
たかとらさん、必ず生きていく道はあります。なので死ぬことは絶対考えないでください。
たかとらさんが苦境を乗り越えられることを祈っております。
絶対に生き抜いて下さい。
たかとら
π- 2017-10-04 10:58
麻痺がなかったのは幸い。これみんなから言われます。たしかにそうです。
入院してからできなくなったと思っているのは、『普通に』走ること(横断歩道の信号が点滅して走ったことがありますが、意識が飛びそうになりました)。旅行レベルの遠いところに行くことが想像できなくなったこと。です。
でも、麻痺がないせいで(実際には視床痛の焼かれるようなしびれに苦しんでいます)そのせいで父からは「お前は普通だ」と言われ、絶望でうつを発症しても、(脳梗塞に関係なく、むちゃくちゃな難題の仕事でうつになり、2度乗り越えてきたのでどこからが鬱かだいたい自身で判断できます)「甘えている」、と昭和な人間なんですね。母はそんなこと言いませんが、パートで働いてはおりますが、微妙に認知症が始まっており、退院時に私の病状をことこまかに主治医から聞いているにも関わらず、
・架空の話をしだし、私がやめてくれと頼んでも、最初はなかなかやめなかった
・頼んだこと忘れる
・父との間に立って説明すると言いだすわりに、一言言われただけで投げ出す
・当然経済的には頼れない
で、あまり無理を言える状況でもありません。
私がいま求めているのは、贅沢はするつもりもないし、これまで普通にやっていた楽しみも大半はもう諦めたので、このままどう生きるべきか、退場すべきか、どう判断したらいいかの明確な答えが見つからないのです。
それでこまっています。
現代をこの国で生きようとすると、経済的な支えがなければ生きていけません。またはどん底の生活も覚悟していますが、この不定期の後遺症のために、どこにどう踏み出したらいいのか、いろいろ調べまくりましたが、まったく見当がつかないのです。それで困っています。
幸い、いま離婚協議中の妻との間に子はおらず、慰謝料もなしで離婚するといわれており、心労はかなりありましたが、そちらの経済的な心配はほぼありません。
遠い昔に結婚したときに出来た戸籍上の子は別にいて、学校を卒業するまで養育費を送り続け、はるか遠方で成人はしているものの、何年もひきこもり生活を送っているため、こちらも頼れません。
脳梗塞は発症時(もネットの情報では怖いイメージが強い)ですが、退院してからも怖いです。私は、脳梗塞が落ち着いた時、壊死した箇所が少ない代わりに、血管の詰まりが解けた影響で頸動脈かい離が起きているらしく、きっちり血圧を管理しないと、頸動脈瘤→くも膜下出血になるリスクが高いと言われていて、あまり無理も出来ないし、ストレスをためることすら回避しろ、と言われています。これはこれで、現代社会では、どんな恵まれた境遇を言うんだと、ほとほと困ってしまいます。。。
ありがとうございました。