こんなところで言うことではないと思っています。
また、同時に大変失礼であることも承知です。

わたしは、病院などに通っていません。
生まれながらにして身体の不自由、言語や脳の異常、一切ありません。
幼い頃から、ずっと思ってきたことです。
不自由、障がい、様々な言葉で呼ばれる彼らのことを、羨ましいと思ってしまいます。

何故、その人たちは許されるんだろう。
大人たちはみんな、差別をしないようにと言う。
なのに、あの子はできなくても仕方ないから許されて、私は出来ないと努力してないと言われるの?

ずっと分からない。大人たちは、それらを個性であると言い、私たちは平等にならなければいけない、差別をしてはいけないなどと言う。

でも、それならさ。
生まれ持って不自由でない普通の私は、個性と呼んでもらえないの?
障がいや精神疾患を抱えている人達は、努力してできないからしかたないといわれる。
わたしは不自由じゃないから、出来ないなら努力が足りないと言われる。
それはおかしくないですか?
大人たちが個性だと、平等だと言っていた癖に。
彼らは努力してもできないのだと、偏見の目を向けてるのはどっちですか??

女の子だから可愛くおしとやかに、男の子だからかっこよく元気に。
女の子だから力がない、重たいものは運べない。
男の子だから女の子を守らなきゃいけない。
染髪やピアス、タバコ、酒。メイクや喋り方のひとつで不良と呼ばれる。

平等を掲げる大人たちが教えてきたこと。

男も女も障がいも精神疾患も、全部全部全部偏見だ。

自分は自分だし他人は他人。誰に優しくしようが私の勝手だし、好きにやらせろ。

社会不適合者でもなんでもいい。偏見の眼差しをやめて、此処に居る僕自身を見てくれよ。