はじめまして。

私は昔から、話の聴き役、受け止め役になることが多いです。昔は同性から話を聴くことが多く、あとは姉の話の受け止め役だったり両親の受け止め役だったりしました。

でも、自分が恋愛などで辛い時は共感したりして聴いてくれる人がいなくて、余裕がなくなってきて、女友達に癒し系とか言われたりするのも、だんだん周りが彼女自身のいい加減さを正当化するために利用してるように感じるようになり、聴き役はもうしたくない、と思うようになりました。

そしてそのことを伝えたくて、ある日彼女に、「私癒し系って言われるの嫌だ」と言いました。そしたら彼女は「癒し系って言ってあげてるのに」と言いました。私は本当に嫌だったので彼女との友達関係をやめました。

それ意外も、男性には母親役のように受け止める役をすることが多かったです。相手は家庭で虐待を受けたりして、辛かったようで、私に甘えてきました。私は本当は付き合っている人がいたけど彼が本当に追い詰められてるようだったから断れませんでした。

でも結局、彼は私の日記を勝手に読んで内容に怒ったり、感情の起伏が激しく人前で腕を掴んで怒鳴ったり、でも、自分にベタベタ接触を求めてくるのは本当に子供のようで、束縛が嫌だと思ったこともあったけど、邪険には出来ませんでした。

結果的には私はその人にものすごく傷つけられました。暴言を吐かれて、顔も見たくない、声も聞きたくないと言われて、心を沿わせてた自分は酷く傷ついて、身体に痛みが出るようになり、精神科に通うことになりました。

それ以外も、受け止め役になることが多くて、でも多くの人に自分は、ただ辛さを受け止めるだけのゴミ箱のように扱われてるように感じるようになってきました。最後にはいらなくなったら捨てられる感じで、自分が心を砕いたことも時間を共にしたことも、向こうにとっては当たり前みたいに思われて軽く扱われてるように感じました。

最近は、就職のセミナーであった男性が帰りに何故かついてきて、仕方ないので流れでお茶でも飲もうか、といっていくと、突然「自分は性依存症かもしれない」と告白されました。「何故私に話したの?」ときくと、「なんかわかってくれそうだったから」と言われました。

自分には、性依存症な俺でも認めてくれ、と言われてるように感じたけど、でも自分は、過去に、好きだった先輩と身体の関係を持って、でも「お前が誘った」と言われたことがトラウマになってました。その先輩は、難病持ちで、辛い時私に助けを求めてきました。でも、結局私とは付き合ってるのではなく、彼女ができた、と、途中で言われました。

ものすごく傷つきました。そんな私に何故性依存の話をしてくるのかと思うと、そんな自分を受け止めてほしいと言われても利用されるようにしか思えなかった。でも一方では、男性に愛されたかったり支えられたい自分がいたりもするんです。でも、なんで私ばかりこんなのが回ってくるんだろう。

このタイミングで相談したのは、自分の性的な加害性を性被害者に告白したというとある人のブログを読んだからです。彼が自分の加害性に苦しんでいたのはわかったけど、それでも、膝枕をさせて告白させてもらった性被害者の彼女の気持ちが自分と重なって、ものすごく怒りが湧いてきました。

本人は、加害性を優しい彼女に受け入れてもらって泣いて、スッキリしたようだったけど、加害性を正当化された裏で、その加害性に耐えてきた人間はどうしたらいいのだろうと思いました。

そのブログを書いた彼に、コメントをしたら、ブロックされて、憎しみが増しています。

私はこの受け止め役の自分のことをどう理解してどう扱えばいいでしょうか。長文ですみません。