高校時代がすべてだと思っています。一般的に楽しい時期だといわれっているからです。
しかし僕は楽しむことが出来ませんでした。
今年で20歳になりましたが、大人になりたくありません、履歴書に思ってもいないことを書かなければならず、それが嫌で働く意味がよく分からなくなりました。
年を取るごとに自分に価値がなくなっていくのを感じます、仕事も減っていくのでしょうか。
高校生を見るたびに死にたくなってしまい、生きるのに疲れて死のうと考えています。
高校生活の理想と現実を受け入れられずに、自分の高校生活が納得のいくものではなかったことにいら立ち、自殺まで考えています。
自分にじしんがなく 今までテストの点数で価値を決められていたため 自分を点数でしか評価できなくなってしまいました。もちろん学校の成績は悪かったです、悪かったからこんな人生を歩んでいるのだろうと納得してしまっている自分が哀れで悲しくなります
。
適当に生きていた僕への罰 何かに打ち込んでいればいい思い出になったのでしょうか
僕の出した答えは、 年をとってゴミになる前に死ぬことです。
若いうちに死ねば僕は永遠に年をとりません 僕を知っている人たちの中で永遠に生きることが出来るのです。
高校時代がすべてです 彼女もほしかった 今から高校生と付き合おうとしても許されない気がします 制服デートもしたかったな。
せめて制服を着て自殺するんです
長生きすることがいいことでしょうか ぼくはそうは思いません。
これから先、仕事に追われ、捨てられ、価値がないからブラック企業にしか務められなくて、収入も低いから女性も寄ってこなくて、純愛を経験したことがないから余計に辛くて、努力もできなくて、そもそもなにに向かって努力すればいいんでしょう自分を慰めることでしょうか。
これから先希望がありません 時間を戻せません でもとめることはできます。
正直ココオルスタッフの中にも人の悩みを真剣に聞いているふりをしているけど、自分より不幸な人をバカにしたりしている人もいると思います。
僕みたいな人はバカにされるため生れてきたのでしょうか 死にたい
高校時代がすべてです 大学時代もありません、しのおああk
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鈴野
π- 2016-05-11 13:48
「高校時代が一番楽しかった(あなたもそうでしょう、今高校生のあなたが羨ましい)」
という年上の方の言葉が高校生だった頃とても鬱陶しく苦しいものでした
ちなみにわたしは成績も出席状況も悪かったです
進級する際単位がたりなくて放課後居残りで窓ふきをして単位認定してもらったくらいです
打ち込んでいた趣味も途中で投げ出してしまったのでまさに毎日「ただ生きてるだけ」状態でした
その様子を見て生きてる価値がないと言う人もいました、自分も当時そう思っていました
長々と自分の話をすいません
身近に感じてもらえたら、と思って話しました
ハッカさんのおっしゃる「高校生時代を楽しめなかった、なにかに打ち込まなかった」が、
具体的にどう悪かったのかは記述内容からは推測できませんが
今ハッカさんの毎日が苦しいのは高校生時代のせいではないとわたしは思います
高校生時代を言い訳にするな、という意味ではありません
そこの因果関係はハッカさんが一番よくご存じですからそこを否定する権利はわたしにはありません
ただ、今の状態から回復したいという気持ちが少しでもあるなら、
「高校生時代の過ごし方」と「今の自分の苦しみ」を一旦切り離したほうがいいと思うのです
その二つが感情でつながってしまうのはどうしようもないですが、
問題解決の為の思考として、一旦切り離すんです
文中でも書かれている通り、
「終わったこと」を絶対的な要因にしていると一生そこから逃げられません
ならどうしろと!という話ですが
人の優劣は、その人個人がもつ能力値だけではなく
環境との相性にも大きく左右されます
外見が良く、異性との交遊経験があり
仕事をたくさんこなす明るい人
は、確かにいますし、
そういう方がどこにいっても活躍できるのは確かですが、
そういう人じゃなくても
案外、働くことは可能です
大事なのは、持っているものの価値ではなく、場所と自分の相性です
ハッカさんはそういう場所に今まで
巡り合えなかったのではないかとわたしは推測します
今からそこに行きつくことも面倒で苦しく尚、死にたい
と思われる方もいると思いますが
死ぬことは一瞬のように思えて案外難しいです
死ぬにも適切な環境と準備と死へのゆるがない情熱が必要です
死にたいと思ってしまうのは仕方ないですが
死のうとするのはやめたほうがいいです
死にたいと思ってしまったときは
「あ~発作キタわ~発作発作~」
って思ってると幾分、楽です
発作に対する処置が定まると尚、楽です
長々と失礼しました
ハッカ
π- 2016-05-11 17:53
中学 高校が自分に合っている環境だったら いじめや転校はなかったのかもしれませんね。そもそも悪いことをしていないのにいじめをしてくる生徒がいる時点で環境は最悪なわけですから。
やっぱり年をとっていいことはないと思いますし長生きもいいことだと思えません 実際自殺する人も多いわけです。
何を希望に生きるのでしょうか。
仕事に追われ あの頃はよかったなんて書き込みを見ると よくわからない絶望に飲み込まれてしまいます。生きるのがばかばかしい。
年をとって価値がなくなり会社に捨てられるという これから起こることが見えているからこわいです。
鈴野
π- 2016-05-12 00:23
一応問いかけ的な言葉があるので、僭越ながらもう一度コメントさせて頂きますね。
ココオルさんは自殺を世の中からなくすことを目標としたサービス機関なので
こういう発言は怒られること間違いなしなんですが
わたし個人の感情としては、
世の中の方々がとる自殺という選択肢を完全否定はできません
生きていくことは辛いうえに面倒臭いです
ある程度環境が整った自分でさえそう思うのですから
もっと壮絶な環境にさいなまれている方々はケタ違いの思いでしょう
わたしは、その「生きる苦しみ」を自分の言葉で相手に強要する勇気はありません
先ほどもやめたほうがいい、という言葉で精いっぱいでした
で、「何を希望に生きるのでしょうか」ですが
わたしも同じことを時々考えます
深く落ち込んだときなどです
一応答えはあります、「昔裏切ってしまった友人へ謝りたい」です
謝るには言葉に信憑性が必要だ
↓
信憑性をもたせるには自分というものがちゃんとしていなくては
↓
とりあえず自分一人で生きれるようになろう こんな感じですね
ただ、こんなこと日常的に考えてません
というか、それこそなにかあった時は
この希望すら吹っ飛んで死にたい虫がうずきます
なにが言いたいかというと、
生きる希望に自分が生きる価値を全部乗せするのは危険だと思います
生きる希望というのは、ガッチリ安定しているようで、とても揺らぎやすいです
希望そのものが揺らぐたびに、その上に乗っているハッカさんの生きる価値が
何度も揺らいで運が悪ければまた暗いとこに落ちていくのは、あまり望ましくないです
生きる希望は、あるに越したことはないですが頼りすぎるのも危険です
あとおじ様方おば様方の
「あの頃はよかった」なんて言葉は一切信用しない方がいいです
人間というものは目の前に辛いことがあるとなにかしらの逃避的な思考がはたらきます
(これは悪いことではなく自己防衛のようなものです)
で、あの頃は~というのは、過去の想い出を美化して
今の現実の苦しみを和らげているようなものです
要は肝心の今に目を向けていない、ということです
高校生時代に悩みも苦しみも一切ない人ってそんなにいないと思いますよ
正直信じられないですが、イケイケな人たちやヤンキーな人たちも、同じだったりします
あえて言うなら外見を美しくすることや、怖さで人を脅すことが、彼らなりの生きる希望であったりもします
あの人たちはそうやってやっと自分の価値を肯定できてるんじゃないでしょうか
すいません話がそれました
あと自分が歳をとった、という達観をナルシスト的に味わうためにも
「あの頃は~」を使うことがあります、わかりやすく意訳してみると
「当事者のあなたたちには若さというものがどれほど素晴らしいか理解できないでしょうが
そこを通り過ぎて無くした自分には!解る!(そして羨ましい)」
こんな感じです
あの頃は~なんて文句言いながら、
自分の稼いだ金で酒を嗜み、人に言えない趣味にこっそり金を注ぎ込むなりして、
結局大人を謳歌するのが大人です
騙されてはいけません
で、ハッカさんのこれから、についてですが
見えているからこわい、というのが気になりました
長くなっているので分割します