2006年4月、CT検査で使用した造影剤でアナフィラキシーショックを起こし、心肺停止状態になりました。
蘇生の真っ最中に意識は戻ったものの、全身浮腫のため眼は開かず、音だけの世界は恐怖以外のなにものでもなく、気管挿管の苦しさ全裸にされていること、自動血圧計・心電図モニター、医師たちの怒鳴り声明らかに許容範囲を超えた体験でした。
ICUに運ばれ、ただただ苦しさとの戦いだったその夜。
翌日、挿管が取れた時に担当医に「何が起きたのか把握できていないので、精神科の先生に会わせて欲しい」と言ったのですが、動いてはくれませんでした。
2泊3日でICUから退院したのですが、まだ顔は腫れており普通ではなかったです。
ICUがどのような場所であるかくらいは分かっていたので、私は看護師さんに迷惑かけている気がして。
担当医はすぐにOKしてくれましたが、後日カルテには「あと1週間くらい一般病棟で様子を見たいと言ったが、本人の強い意志で退院」と書かれていました。
こんな発言、家族も私も聞いていません。
退院するときに言われた言葉は、「Cさんにここ数日間かかりきりだったから、他の患者さんたちのことが出来なくて、忙しいんだよね」です。信じられません。
かかりつけ医のところに翌日行ったら「よくこの状態で出したね?しばらく様子見ないと怖いんだよ」と言われ点滴をされました。
当時、派遣社員で働いていてその病院がある駅で乗り換えていたのですが、だんだんそれがツラくなってきました。フラッシュバックの始まりですね。
家で寝ていても「あの時」のことが夢に出て飛び起きることが増えていました。
2カ月後、部長医師も交えて話し合いもしましたが、謝罪は一切なく精神科のことを話したら部長医師は「Hくん、それはまずいよ。すぐに受診手配して!」と言ってくれ、精神科に通うようになったのですが、病院そのものがトラウマの対象になってしまって、膝がガタガタして全身震えてしまい、某大学病院に紹介状を書いてもらい転院しました。
この時点では、PTSDの確定診断はされていなかったのですが、通院の帰りに大きな書店に寄り、専門書を立ち読みし、自分に起きていることそのままの症状がPTSDというものであると確信しました。
が、その当時PTSDを治療してくれる病院はありませんでした。トラウマティックストレス学会にもメールで問い合わせましたが、学会は特定の医師紹介はしていないとの返信。
それでも地元の相談機関への問い合わせをおしえてくれました。
約20件、すべてダメでした。
最後の頼みで都立病院の精神科に電話してみました。患者本人であることを確認された後でカウンセラーさんに替わってくれ、たまたまその頃医科歯科で行われていたPTCUを教えてくれました。
スクリーニング検査後、参加することが認められ、立ち読みしていた本でよく拝見していたA医師に出会うことができ、暴露療法を受けました。
しかし、許せないのは原因を作った医師の態度です。
私は成人発症喘息があることを医師に伝えていましたが、使用された造影剤は喘息には使用禁忌であり、吸入ステロイドでコントロールできていたので発作はしばらく起こしていなかったのですが、その医師は「発作がないなら大丈夫だと判断」し、使ったのです。
消化器専門医にしても知らなすぎます。
そして「助けてやった」の上から目線です。
クローズで就職したこともありましたが、記憶力低下傾向で上手く行かず、現在不本意ながら「障害者枠」での就職を目指して事業所に通っています。
この10年、自殺未遂も何度かしました。
担当医を本気で殺してやろうと思っていた時期もありました。
働けていないので、少ない貯蓄もなくなり障害年金は受給していますが働けていない自分に生存している意義があるのか?ずっと悩んでいます。
あの時、蘇生などされなかったら(ナースコールなど押さなければ)、私は死んでいたと思いますし、そうだったらあの医師は業務上過失致死罪容疑?に問われていたと思うのですが。
今でも生かされている意味がわかりません。
家族に金銭的迷惑をかけてまで、生きていなければならないのでしょうか?
あの医師を業務上過失傷害で訴えることはできますか?
10年間、働けていたら得られていたはずのお金を病院、医師に請求できますか?
今もあの時死ねばよかったと思っていることが多く、何のために生きているのかわかりません。現在、うつ病で通院中です。
長くなって申し訳ありません。
ご意見ご感想よろしくお願いします。