7月29日この日から死にたい、死んでしまいたいという思いが頭と心の中で支配し始めた

キッカケは、育ての母の言葉でした。
気持ち良くテレビを見ていたら、一言何時まで見てるんだ?私はエェ❗テレビさえも自由に見られないの?28日の夜でした。

前の会社の人が亡くなった事を祖母に言えずいたのは、その人にお金を貸していて、言いづらかったので先伸ばしにしてたら、その事でも心が悲鳴をあげはじめて、29日の夜に話しました。祖母は若いのにかわいそうだったわねと言ってくれました。
育ての母は、日々連絡とらないからそういうことになるんだよ‼
私にこっそり連絡をくれたり、前の会社に行った時に会って話しはしてましたが、ガンになってしまって会社を辞めたこと、抗がん剤が辛い事など電話してきて聞いていても何て言ったらいいのか分からなくなり、かかってきた電話にも折り返す事が出来ないまま、
亡くなったことを聞かされとき、電話をかけ直せば良かったと後悔と罪悪感でいっぱいです。
その一ヶ月前に育ての母は、祖母のお金を二度も取り、一回目は私のせいにされそうでした。もう神経がすごく疲れます。手癖の悪い育ての母は、会社や近所、部落でも有名で
元に被害に会っている人もいたそうです。
祖母のお蔭で部落の人達は警察ざたにしなかったみたいです。
私が一番許せないことは、育ての母が内職のお金を取ったときでした(´・ω・`)
育ての母の子供を祖母と見ていたので、一生懸命内職をして、三万円をもらって、トイレから出たら、スカラカン⁉大泣きした。亡くなった父が返してくれましたが。
あと、育ての母が嫌で東京に就職したけど、馴染めずに鬱になりはじめで、19才でした。
3ヶ月しか居なかったけど、同僚の友達と別れたその日にお金が無くなったけど知らないかしら?と電話が来たとき、育ての母があいさつに来て、同僚の部屋に入ったので私の友達にもそんなことをするんだと思った時、死ぬしかないと思い、カッターで切りましたが亡くなった祖父の声がして、死ぬんじゃない
死ぬんじゃないと聞こえたので止めました。ショックで何日も寝ていると亡き父と育ての母が一緒に早く死ぬよとか、まだ死んでないのかよ?と罵倒を浴びせかけました。
何のために生きているのか、分からなくなりましたね。

前の会社では、私を男性社員がいじめがどんどんエスカレートして、可笑しくなってました。お客さんの前で大泣き