初投稿です。
長くて申し訳ありません。
現在、就活中の短大生で来年の3月には卒業しなければなりません。
面接でいつも落ちます。
ハロワの方と学校のキャリア支援の方には
「自信がないように見える」と言われました。
その通りだと、図星を突かれて苦笑い(笑ってごまかしちゃいます)。
全くもって、その通りだと思ったからです。
でも、就活はしなければなりませんので面接の内容を考えるんです。
入念に準備していったほうが、うまくいくと思って、面接の内容を考えるんですけど……
思い浮かばないんです。
よく、面接ではあなたの人生とは、性格とは、何を頑張ってきて、失敗したときにはどう解決してきたのか。
基本的なことを色々聞かれると思うですけれど、
思い浮かばないんです。
「何で浮かばないんだろう」って、考えたときに、私の中でいつも燻っている思いや考えがあるんです。
なぜ、私は生きているのだろうと思うのです。
人はなんのために生きるのだろうか。
仕事をするために生きるのだろうか。
お金をもらうために生きるのだろうか。
世界に生きている意味はあるのだろうか。
じゃあ、仕事をしなかったら、お金をもらわなかったら、「生きている」ことではないのか?
生きていていないなら、生きている意味がないから死んでしまった方が楽なのでは?
こんなことを小学校三、四年生のときに気づいて、今でも時々、生きることが辛くなります。
実際、四年生のときに部活でうまくできなくなったときに落ち込んで、自殺しようと思って首をしめたけれど、うまくいかなくて一度止めました。
自分には生きている意味がないのではないのだろうかと考えてしまうんです。
生きている意味が分からないのです。
ただ、居るから生きているんです。
家族には心配させるから誰にも言えません。
面と向かって、誰かにいうのは恥ずかしくて誰にも言えません。
それでも、悩んでしまうんです。何のために生きているのだろうって。
近くに小学校があったから、行って。
良い成績をとると、母が褒めてくれるからやるんです。
悪い成績をとると、なんでこんな簡単なこともできないのって、母に怒られるからやるんです。先生に目をつけられるから、怒られるからやるんです。
小学校はいつも一人でした。何を話せば良いか分からないし、面白いことも言えない。
興味がないこと以外は興味がない。
好きなことは、本が好きでした。
嫌いなことは、人が苦手でした。
部活はバスケをやってみたら、辛くて嫌だった。母の怒る顔が見たくなくて嫌だとも言えなかった。
卒業のなりたい職業の文章だって、「特にない」って先生に相談しても「何でも良いから書きなさい」って言われて書いた。
そしたら、まるで私がそうならなければいけないことのように感じて苦痛だった。
近くに中学校があったから、来年はあそこにいくんだよって、言われたから行ったんです。
新しいところかと思ったら、私を知っている人がたくさんいて気持ち悪かった。
「誰も私を知らなかったら、人間関係のグループなんて気にしなくて良かったのに」と思ってしまう。
中学校のとき、友達をいじめている男子が嫌いでした。
いじめを黙認しているクラスのほとんどが嫌いでした。
そのせいか、気持ち悪いと思ってしまい、男性に対して恐怖があります。(あの嗤っている顔が気持ち悪い。皆が気持ち悪い)
先生は良い人でした。いじめられていた友達を気にかけてくれて。
他人が嫌いな私でしたが、今度の部活は何とかうまくできて、仲のよい友達もできた。
それでも、時々心の中で思っていました。
私はなんで生きているのだろう。と。
その悩みのせいで、生きている意味が分からなくて、高校受験に苦しみました。
親に聞かれるんです。
「やりたいことはなんなの? 行きたいところはあるの?」
正直、ありません。
やりたいことは、あります。小さい頃から本が好きで、読むのも書くのも好きです。
いつか、本が出せたら良いなって思っています。
でも、それ以外にやりたいこと、仕事になること、お金がもらえること。
私の中に何一つありませんでした。
むしろ、生きている意味とか、死んだらどうなるとか、そんな考えばかりが巡ります。
……本気で生きている意味が分からなかったのです。
中学校の卒業が近づく一年半前まで私は将来、
仕事のために生きて、死ぬのだと思っていました。
親が「良い学校を、良い会社を」そう望んでいるのを、感じて、思い込んでいて、その通りにしなければいけないのだと思っていました。
小学校と中学校の部活選びも運動部に入れと言われたから入りました。
本当は美術をやってみたかったのだけれど、運動部以外はダメと言われて断る勇気もありませんでした。
「子どもは親の言うとおりにしなければならない」
親に将来の夢を聞かれたときまで、本気でそう思っていたのです。
中学校のとき将来の、「高校はどこにいきたい」と聞かれて、そのときの私は、死んでしまいたいと思っていました。
将来の夢はあるけれど仕事にならないのだから、生きている意味はないと本気で思っていたからです。
家族には、死にたいとはとてもとても言えなかった。
心配かけるのは分かっていたし、怒るのは分かっていたから。
だから、
授業料があまりかからない高校にいって、パソコンの時代だとか言われていたので、パソコンがちょっとできる程度でいいやと思って適当に高校を決めました。
そして、その高校に入学できなかったら、失敗したら、自殺しようと思っていました。
その方が、お金もかからないし、生活が楽になるだろうと思って。
そのため、自暴自棄になって健康に気を使わない食生活をしたし、家族とあまり話もしなかった。(無口)
すぐに実行しなかったのは、死にたくはなかったけれど、生きてもいたくなかったのだと思います。
小学校四年生のとき、首を絞めたとき、考えているんです。あぁ、悲しいな、死にたくないな、って。(矛盾してますよね)
あと、気にしすぎる性格だから死んだ後、悲しむだろうなぁって思って私も悲しくなって中々実行できなかった。
やっぱり、死にたくはないと思ってしまうんだなぁって思います。
今、思えばなんて親不孝な子ども何だろうとは思いますが、高校に入学できないくらいで、社会に通用しないなら、本気で私は生きる価値などないと思っていました。
そして、高校に受かってしまいました。
「あぁ、受かっちゃったんだ」
嬉しいのか、悲しいのか、よく分からない心境でした。
まだ、生きていたいと思っていたし、今も死にたいとも思っていた。
誰かが悲しむから、生きているんです。
その誰もいなくなったら、私はすぐに死にたいと感じてしまう人間なんです。
すっごく、子どもっぽくて、わがままな私です。
高校に入学して一週間経って、友達が何とかできました。
小、中学で運動部しかやらせてもらえなかったので、文化系を選択したかった。
だけど、愛好会はダメと家族に言われて、またダメダメと、思いこんでしまった私は一度もやったことのない音楽系の部活に入った。
その選択が間違っていました。
三年間、音感が分からなくて全然上達しなかった。
(それでも、なぜか無理してやっていたのは後輩がいたことと、辞めた理由を聞かれるのが面倒だったから)
皆でやる演奏が私が足を引っ張って、自分が嫌いになってまた自殺しようとした。
我に返って、「何してんだ」私とも思ったし、「そのまま死ねば良かったのに」とも思った。
笑っている声が嗤われている声に聞こえて、気のせいかと思ったら、本当にパートの人達が嗤っていて。
その人たちが頭がおかしいのか自分が頭がおかしいのか、今でもよく分かりません。でも、弄られることは大嫌いだし、冗談を言うのも嫌いになりました。
スマホが流行り出して数年たつから、写真をとられて「隠し撮りするの、止めて」と言っても聞いてくれないから、先生に相談したら、チクったとか……
本気で相手のスマホを叩き割ろうかと思ったくらい(三年間で何百枚も)撮られて、今ではシャッター音を聞くのもカメラ向けられるのも苦痛。
無邪気な子どもみたいにいじってくるから、同年代が大嫌い。
(今、思い出しても感情的になってしまう)
人見知りで無口で、内気な私が言わないからだめなのでしょうか。
たぶん、私も言えないから悪いのだと思う。
でも、再三、怒って注意しても、反省の色がない人もどうかと思う。
パートの人達(たった二人なんですけどね)にいじり倒されて……
高校時代の私は、ちっぽけな何かを守ろうとして、世間体を気にして
なぜか、何かが壊れてしまうと思って。
部活にすがって
辞めようという行動を見失っていたんだと思います。
ちょっと成長した学生の私だったら、そんな環境の部活はすぐに止める決断と行動を、発揮していたでしょう。
でも、気にしすぎる当時の私は視野が狭くて何も見えていなかった。
(今現在も)
高校の三年間が過ぎて、次のステップは進学でした。
「今の時代は高校より上の学校を卒業しなければ、良い給料をもらえない」と言われて
そう言われたから短大に入ったんです。
進学選択のときにも、言われました。
「あんた、何をやりたいの?」
「好きなこと、しなさい」
急にそんなこと言われても、頭は真っ白。
考えても考えても、やりたいことはない。
それでも、親の言うことを聞かなければいけないと思っていたし、入試とかの期限はついていた。
考えて、考えて、考えた末に。
そんな私でもやってみたいことはあった。
絵を描くは好きだった。楽しそうだったから仕事として良さそうという甘い考え。
専門学校が県外にしかなかったから、試しに見学会もいってみた。
そんな私に母は言うんです。
「県外に行かせるお金なんてないから、県内の、市内の短大にしなさい」
………………え?
だって、好きなことしなさいって言ったじゃん。
「市内だったら、良いよ、何かないの?」
もしかしたら、探せば絵の学校はあったのかもしれない。
私がマイペースで行動が遅いから、見ていなかっただけのことかもしれない。
でも、母のその話を聞いた途端に、
「あぁ、子どもは親に逆らっちゃいけないんだ」
って思いました。
どこまでも、どこまでも、付き従わなければいけないのかと
本当に、私は、何のために、生きているのか。
分からないんです。
親のため?
仕事のため?
家のため?
将来のため?
自分のため?
じゃあ、それらがなくなったら、生きている意味はないんじゃないの?
自分のためというのも、なんだか、怖く、馬鹿馬鹿しく、必要のないことだと考えてしまうんです。
自分には、何もないから。
分からない。
分からないから、死にたい。
生きていたくないと思ってしまう。
反論できるほどの、説得力もないし、絵への興味も失せました。
高校時代の流されてきただけの私にそこまでの覚悟はなかった。
この先、どうすれば良いのかも分からない。
特にやりたいこともない。
生きている価値がないように感じます。
短大への入試を決める前、何をすれば良いのかも分からないとき、
父にも怒られました。
「お前は何をやりたいんだ?」
「特にないよ」
「じゃあ、仕事はどうするんだ?」
「……アルバイトすれば?」
「お前、何考えてるんだ!それはただ生きてるだけだ!」
父が、心配してくれてる気持ちも分からなくはない。
自分が甘え考えを持っているのだっていうのも、分かっている。
だけど、本当に生きてる意味が分からない。
だから、何か重大なことを決めるときに決まらない。
何も思い浮かばない。
死にたい。
でも、自殺しかける度に生きたいとどこかで思っている。
そう、思っているから今も生きているのだと思います。
現在、在籍している短大も、将来、こんな力があれば良いなー
くらいにしか考えていない。
知識欲に突き動かされているだけ。
本当にやりたいことも分からないまま、だらだらと過ごして、就活に困っている。
本当は就活をしたいんじゃなくて、死にたい。
でも、生きていたい。
生きるために手に職をつけなければいけないのは、分かっているけど、
本当に分かっていないから動けない。
できることは、何一つないんじゃないかと思ってしまう。
何一つ自分から決めたことも成し遂げられず、反論すらしてこなかった私はできることはないんじゃないかと思う。
最近、就活と卒業が近づく日々に、
私はどうすればよいのか、分からなくなってきているのです。
こどもの時から思っていました、
自分は何のために生きているのか。
考えれば考えるほど、分からなくて、苦しいです。
こんな私なんて死んだ方が良いのではないかと暗い気持ちになってしまうんです。
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みらー(臨床心理士)
π- 2018-03-16 09:37
進路のことでお悩みなんですね。
この場合大切なことは、自分がどうしたいかをもう少し明確にして、今の状態でも何ができるかを考えていくとよさそうですね。
たとえば現実的なところはおいておいて、どんな生活になると健やかに日々を過ごせそうですか?
そういったことをヒントに、今より楽な状態になれるように一緒に考えていきましょう(*^_^*)
初代あかり(殿堂入り|ココオルスタッフ)
π- 2022-12-10 15:03
ココオルでは、新しい機能もいくつか増えているので、ぜひまたうまく使ってみてもらえたらうれしいです(^^)