初めて書き込みます。よろしくお願いします。

私は人が信用できない事に悩んでいます。
何度か前向きに捉えようとしたのですが、いつも私はズレていて、面倒くさがりで、気分屋で、全く名前を覚えない人だったので、恐らく人には迷惑がられていたり本当に仲間か?と思われていたと思っています。(夏休みの後にはすっかり名前を忘れている……よっぽど良く話していて仲が良くなくちゃ覚えていないらしい。覚えられないのは人の名前だけ、他は並)
私自身も気分がコロコロ変わる自分に失望したり、苛立ったりしていた時期もありましたが、今では絶望に近い気分になったり諦めていたりします。(気分が良いときは目をそらせているだけで、いつかここに戻ってきてしまう)
病院には行っているのですが、病名は聞いていません(いつも簡単な問診で終わる、今日の気分、ここ数日の食事数、最近の事…それだけ)
症状の中心としては気分が上下しやすいと言うことで、とりあえずはそれに効く抑肝散という薬を処方してもらっています。(西洋か漢方かで漢方を選択しました。以前市販で買っていた薬が効いていた気がしていたので)
薬のお陰か自分に苛立つ事は減りましたが、まだもやもやするので良く自分と向き合ってみる事にした所、何故だか自分が何人もいるような気がして、ますます悩みの種になってしまいました。(気分によっての自分が居る?それとも気のせい?)
今では自分合わせて二人くらいに落ち着きましたが、いつも居る私は内向的なのに対してもう一人の自分はとても攻撃的であったり我が儘であったりと、例えるならインナーチャイルド的な自分で、何時も振り回されているような気がしています。

こんな感じでいろいろ書きたいことがあるのですが、うまくまとまらないので以下箇条書きです。

・自覚症状

自己不信と人間不信

気分がころころ変わってしまうので、迷惑をかけたり困惑されたりしているのではないかと不安

自分が何人も居るような気がしている(多重人格的なものではないけれど、気分や相手によって行動が変わってしまう。真面目だったのが投げやりに、真剣にやっていたものを唐突に諦める等ころころ変わる節がある。何か意思を支える燃料的なものが枯渇しているように感じている)
いつも心に干ばつと大雨が起こっている気分、からからに疲れて、雨が降るように憂うつ。
何かを楽しんでいるときだけそれから目をそらせる。

人の名前を覚えられない(覚える気になれない)いつかは死んでしまうから覚えるだけ辛くなるか無駄だと思っている節がある。でも流石に何回も聞いていると覚える。

気持ちが浮き沈みしやすい(薬で対処。生理前が特に気分が悪くなる)

人は役に立たない人から切り捨てていくと考えている。ミスをすれば捨てるから、役に立たなくてはと焦る。でもいつも私は役に立たない。すでに代わりがいる。それでも何で話しかけるのだろうか、気軽にそんなことしないでほしい。どうせ合わないといってどっかにいくから。合うふりをするのはやめてほしい
…たとえ役にたっても、みんな疎ましそうにこちらをみるんだ

誉めてもらっても喜べない(その評価が本当なのか不安になる。評価を貰ってもこの先のハードルが上がるだけと悲観する。目立ってしまう事が嫌、そうやって自意識過剰になる自分が嫌い)

以前居心地の良かった場所も、少しでも嫌な事があると嫌いな場所になる。(極端な思考、場所だけでなく人にも適用される。減点式の思考)

自分のインナーチャイルド(?)が暴れると辛い。(やだやだが出ると本当に何も出来なくなる。それを認めても暴れ続ける。役立たずの自分が嫌い、しねと言い続ける)

自分を理解できる人は自分だけで、自分が人に対して嫌と思ったことは相手もそう思っていると言われてもどうしたらいいか分からないし、たまに考えすぎて人に貢献することは自分への裏切りに思えてきてしまう。助けてくれない人間が嫌いになる。自業自得なのに、話し掛けてもらっているのにいつも怖がっている。大嫌い

この苦しみを自分で解決できるようになるまで一人で居たいと考えている。孤独だけが安全地帯。人に寄りかかったらいけない、酷い目にあうと考えている。(でもわからなすぎたのでここに書き込んでいます。病気なのか性格が悪いだけなのか、わからない)

いろいろな作品作りたいのに、こんな気分のせいで同じくずしか作れない。役立たず。悲しい。

理由がわから無くて納得の行かないものを押し付けられることは特に苦手。ゴリ押しされても困る。

色々なストレスやトラウマからか明日が来るのが怖くて夜更し→昼に起きる→ぼーっとするを繰り返していて一日1食、良くて2食を繰り返している。大学にはまだ行けている。苦手なゼミはすっぽかし。ゼミに行ったら日が沈んで怖い。沈まなくても怖い。ゆっくりしたいのにさせてくれない。週一の課題がどうしてもできない。…他はできるのに



・思い当たる原因(要因、トラウマ等)


幼少期自閉症かもしれないと言われていた。(でもそれほどでもなかったため通常通りの課程で生活してきた)

言葉遅れだった。(小学三年生でようやく周りを気にすることが出来るようになった)親は忙しくて幼少期の私にアニメばかり見せてしまったせいかもしれないと言う。
私はその当時のことを覚えていない

小学三年生のころ、いじめに遭う(人間不信の始まり。友達に裏切られた。でも裏切りとは思っていなかった。自分が悪いと思っていた)
母のお陰でいじめから解放される。徹底的に勉強していじめっこの手の届かないものになるという作戦は成功した。
これまでの交遊関係に影響があったかもしれないが、当時そこまで気にしていなかった。

母が小学六年生の時に病気で亡くなる
(ずっと一緒に居てくれない、いつかは死んでしまう。自分をどうあれ理解しようとしてくれる数少ない人が死んでしまったという現実に人間不信が悪化)
クラスの人全員が引いてしまって、自分が異常だと言う誤解を無性に解きたくなった。でも駄目だった。特別だった。嫌な意味で

それでも誤解を解きたくて、特別じゃ無いと言い張っても、認められなかった。
私は異常だった。どんなに頑張っても違うものだった。(自己不信の始まり)
だから同じような境遇の人としか仲良くなれなかった。
親は厳しい人で自分は駄目だという人、親が離婚したという人、人間が信じられないという人
特別な環境にいる人
道から外れた事に不安を抱き、その他大勢を恐れるようになった。
妬むようになった。
そんな自分が大嫌いだった。

父は仕事に没頭して母の死のショックを和らげていたようだった。
鍵っ子になってしばらくたって、学校から帰ってきてから数時間、夜の8時までずっと一人でお留守番していた。(一人っ子、あと猫がいる)
心配させたくないと思って、慣れようとしたけれど駄目だった。
学校での人間関係も駄目だった。
寂しくて泣き出す。
父は定年を機に早めに帰って来てくれるようになった。
「放っておけば大きくなると思ったらとんでもない。酷いことをしてしまった」と謝られたけれど、やっぱり耐えられなかったことが悔しかった。

中学三年生のころに自分の得意な文章を扱う通年課題が出された。でも上手く書けなくて、居残りを強制されて、遠くまで通っていたから帰りがとても遅くて、辛くて、課題というものを先伸ばしにする理由に恐怖が加わった。(これまでは成績がほどほどに良くて宿題をすっぽかしても怒られなかったことに味をしめて先送りにしていた…罪悪感はあったけど、誰も注意してくれなかった。自分を律するべきだった)
矛盾しているようだが、遅れると罰を与えられるという事が課題を出来なくさせている。というような状況になっていた。
結局書ききったが、後に残ったのは自信の喪失によるショックとトラウマだけだった。

ネット上で仲良くなった友人に勧められて、SNSを始めたものの、合わずにストレスが溜まり、その仲良くなった友人に当たってしまって絶交。
絶交を切り出したのは自分だった。
一方的に切った。
辛かった。逃げ出したかった。
最低な事でも、このままじゃおかしくなりそうだった。
私以外にあてがあるなら、私なんか捨て置いて欲しい。
私は異常で、ものの良し悪しすらわからないまま大きくなってしまったから
叱ってくれる人なんて、いなかったから
勝手に不安になって迷惑をかけた。
だから私は人と関わっちゃいけない

ネット上にあったあの場所は、家に帰ってからずっとパソコンで開いているほど大切な場所だった。
私の提案で動き出したもので、だから誰か来ても大丈夫なようにずっといた。
よく来る人と話がしたかったのもある。
そこは私の巣だった。
でも、調子を崩してからは駄目になった。
不安に押し潰されて、根も葉もない不信感だけで行動した。
その評価は本当なのか
そんなことで不安になった。
でもそれは重大なことだった
私にとって、人の役に立てなくなることは
仲間に失望され、見捨てられる事と同義だったから

それから逃げ癖がついて、燃料が枯渇したようになった。
それまでやって来たこだわりが酷く無駄なものに思えて
夢だって無意味なものに思えて
頑張ろうとしても、これまでの無力感やトラウマから止めてしまう。
自分を信用できなくて、どんなに人に誉められても無価値な物に思えて、何をやっても駄目な気がしてくる。
なのに適当にやった物が評価される
つらい、わからない、こわい

また大切な人が病気で死んだ。
幼いころ通っていて、いつも私を心から誉めていてくれた先生が亡くなった。
また理解者がいなくなってしまった。
もう誰も私をわかってくれない。

大学である企画をやることになって
企画のアイデアを出したのは私で
でも思いの外アイデアの実現は難しく
皆私のこだわりをわかってくれないか、イエスマンで
求められたものを全てやって、ようやく実現し、好評だったけれど
その後私に何も言わないで勝手に仕様と筋書きが変えられようとして嫌になってしまって放り投げた
それから先生の目線が冷たいような気がする。
理由が無いものが嫌い。納得の行くような、いや、納得の行かないものでも一言でいいから言ってほしかった
けれど、やっぱりこれも私がいけないのだろう
私だって理由を一言も言わずに放り投げたのだから
結局悪いのは私だから
後はやりたきゃ全部私がやらないといけない

誰にも、もう頼れない

今、父すら病気で、まだ死ぬような段階じゃ無いようだけれど、不安。
どうして私はこうなのだろう
疲れていて、誰かがやれなくなるまでなにもしない、できないんだ。
誰が聞いたってこんなの困る
誰に言えばいいのだろうか
ここが正解かどうかはわからないけれど
すこし、楽になるために来ました
すみませんが、よろしくお願いします
お返しはできないとおもいます
こわがりなので…
でももし来てくれた人がいるのなら
ありがとうごさいます、とてもたすかります