こんばんは 以前も相談して来ましたが、
私は先天的に足が不自由であり(遺伝性ではありません)、精神的にも肉体的にも体調を崩しているため療養しています。

私はこれまで沢山の障害をもつ方を目にし、その人生を聞かせていただき
こちらのサイトでも沢山の 多種多様な人生とその苦しみ そこから見えるさまざまな視点を知り、
「自分の知らない世界」を沢山知識として吸収することが出来たと思います。

私は命が通常の寿命を迎えることが難しい疾患 数少ない難病 奇病を持つ方を
沢山この目で見てきました

そんな中で 生きることを精一杯全うしようという、強い意思に触れることも多かったです

どんな世界でも生き物でも マウンティング 格付けが起こるように
それは人間の世界でも同様です
命を輝かせるには とても大きな努力が必要です
体が不自由であろうと なかろうと それが出来ている方は本当に凄いと思います
生きていく価値がそこにあるのだと思います

私はそれが出来ているのか?
本来野生動物の中で言えば、生物学的な観点からみれば、私は劣勢であり
死んでいくもの 捕食されるもの
それが人であることで 色々な知恵や感情 五感を駆使していくことで
命を輝かせることが出来、生きる意味が生まれてくる
人であることで 生きるという選択肢を与えられる

しかし 今年のように沢山の災害が起こりましたね

そんな時 生命体としては 劣勢である私は 「お荷物」になってしまうことは間違いない
自分が一生命体としては 劣勢であることを 私は事実として受け止めています
お荷物である そうなってしまわざるを得ない状況が起こりえることを想定しています
極限状態になれば 確実にそういう事実が、明白に現れてくると思います。

自分に自信があっても 価値があると思っていても いざそんな極限状態になれば
生命体として劣勢であるという事実と 生存競争の中に放り込まれるということを考えておかなけば
と思いました

極限状態のとき 劣勢の私が生きる意味は何だろう?
私は私なりに命を輝かせることが出来ているのか?

生命活動の中では 弱者と強者にわけられるのは当たり前で
その考えから さまざまな偏見が生まれることを 私は受け止めています
私自身でさえ 何かに偏見を持つでしょう

極限状態のとき私には何ができる?
生きているという事実にどんな意味がある?
それはきれいごとで片付けられるものではない
自分に自信があればいい そんな言葉で片付けられるものではない
私はそう思っています。

私が言いたいのは 自分に自信や価値があることと、生命体としての優劣は別物であるのではないか?
そして生命体として劣勢である私に 極限状態のとき 何ができ、何の意味がある?

ふとそんな疑問を抱き 自問自答してみました
ご感想などがあれば聞かせてください

長文乱文申し訳ありません
最後まで読んでくださった方 ありがとうございました。
追記ですが 私がこちらのサイトを使って 出来るだけたくさんの方の苦しみを知ろうと思ったのは
いつか自分の体調がよくなっていけば カウンセラーのような仕事につきたいと思ったからです

人間の本質とは何だろう? 自分とは何だろう?
そう思って今回は書き込んでみました。