私はある一抹の不安を持っている。自分が健常者じゃないと差別されるかもしれないということだ。
私は来週の金曜日に今住んでいるところから少し離れた病院に行く。何のために行くか。
私はとある検査の結果を聞くために行く。それは知能検査と心理検査だ。この二つの検査で何が分かるかっていうと、自分は生まれつき発達障害かどうかが分かることだ。そもそも何回も行っているから省略するが、8年間いじめられていた。対処はいつも同じ行為をしている。この頃になって自分は障害を持っているかもって思って先週、検査しに行った。そして来週結果が来る。可能性として障害者である可能性が高いと思う。
でもその瞬間から不安が大きくなると思う。障害者は健常者に差別されるかもしれないということだ。
この頃のニュースでも「障碍者はいなくなってもいい」とか言う事件が記憶にあるだろう。
つまり私もこの障害者になる可能性が高いって感じると、結果が伝えられた瞬間から、差別される。
そしてまた辛くなる。やがて死ぬだろうってなると思う。
もはや死んだほうがましかもしれないとずっと思っているけどね。
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かおり
π- 2020-11-23 08:37
ご参考になるかわかりませんがコメント失礼します。
精神科の分野での「障害」についての考え方ですが、そもそも人生においては「健康」と「障害」は繋がっていて、人生を一つの直線とすると、ある時点まで「健康」で、その時点から「病気(障害)」と言う捉え方があります。
これは身体にも同じ事が言えて、たとえば事故等で手足を失った場合、手足を失う前までの時点が「健康」で、失った時点後を「障害」があると言う認識です。
ですのでまず「障害」とは「健康」と一直線上にある性質のものであり、人生の一時期の状態を指している表現であり、特に精神科の場合は、病気や症状の困難さが改善されたりしてきた場合には「寛解」と言う表現をしていると思います。
また「障害」は、少し前までの概念では、日常生活を送るのに支障があったり不便さがあり、改善の余地があると言う、どちらかと言うと健康な状態を中心にした視点で捉えられてきていましたが、最近では「障害」は一つのある状態であり、その部分に焦点を合わせるのではなく、それ以外のその人の強みや、その障害を補って余りある他の強みや長所、得意な部分を伸ばしたり活かして発揮して行こうと言う考え方が、日本でも、特に福祉や障害に携わる人達の間では主流になってきつつあるのではないかと思います
ですので、仮に何らかの障害を生まれつき持っていたとしても、その障害によってご自身が困っていらっしゃる事については、色々マネージメントする方法や工夫をしながら、ご自分の他の得意分野やお好きな事、長所を活かして、ご自身の持つ他の能力を最大限に発揮して行かれると良いのではないかと思います。
もちろん私自身も同じですが、人間、誰でも長所と短所があります。
短所があれば必ず長所もあります。
ですので短所はできる範囲でマネージしながら、長所を最大限に伸ばして活かして行かれると良いのではないかと思います。
土屋諒祐(つっちー)
π- 2020-11-24 18:59
ご意見はありがたいんですが。申し訳ないです。