4回目の投稿です。改めて、前回も私の思いを聞いて下さり、ありがとうございます。
なかなか時間が見つからない状態ではありますが、電話相談や自助グループ等も利用したいと思います。

今回は自分の悩みから離れますが、自分自身を変えたいと思った経緯について、書きたいと思います。

私は昔いじめられっ子で人付き合いが苦手、とりたてて夢がなく、青春時代もゲームセンターに費やしてきました。そして、両親にかなり大事にされてきたのか、常に言いなりで自分の考えを持った事がありません。就職活動や学生時代のアルバイトも私の意に反して決めるほどでした。また、私は外国語大学出身ですが、外国語はあまり上手くない上、留学をした事がありません。
また、恋愛経験もゼロです。

このように、私はかなりのコンプレックスを抱えていました。

新卒で入った芸術用品店をパワハラにより半年で退職(但し、そこの方々は基本的に悪い人達ではない)、つなぎのアルバイトを経てIT会社に入った時が始まりでした。

そこで出会った同期のY君がそのきっかけでした。Y君は私と同い年で同じ出身地、明るい性格でした。また、彼は高校卒業後から働いており、自分自身をありのままに出していました。
入社してしばらくしてからはY君の彼女(後に奥さん)とも親しくなりました。

ある日、Y君からmixiを教えてもらったのをきっかけに、小・中学校の同級生達との交流を経て、再会を果たす事もでき、それ以降はFBやLINE等でもやりとりをするようにもなりました。趣味のイラスト(自作のキャラクター)もみんなに知ってもらえました。
再会もさることながら、友人達は自分自身をありのままに出すのが上手く、仕事等でも頑張れている人が多い。それが刺激になった。

何より、それまで話す事のなかった悩み、特に家族の事を話せるようになった。

当時はリーマンショックから間もない時期でもあり、その会社にはわずか2年しか在籍できなかったものの、退職前にはY君の結婚式にも参加しました。その時、「自分も相手を見つけて結婚し、式には彼らを呼びたい」と結婚願望がそれまでなかった自分の気持ちを変えてくれました。

退職後は別のIT会社に入りたかったものの、当時求人がなかった事もあり、つなぎで地元の温泉施設の清掃員として働いていました。
そちらはちょうどオープニングということもあって、様々な人達に会い、様々な刺激を受ける事ができました。前職で得た事が活かされた。

今も交流があるプロの漫画家の方をはじめ、後から入ってきたプロボクサーの友人、脳性まひを抱えながらも障がい者スポーツで世界で頑張っている友人…みんなが私に刺激を与えてくれました。

温泉施設では一時期は職場が荒れて私がいじめの標的となり、自殺を図った時もありましたが、仲間達に助けられ、約3年在籍する事ができました。同時に自分のやりたい事も見つける事ができました。
ゲームセンターに通う事も止めた。

これら2つの職場が、私に自分自身を変えるきっかけをくれた場所だった事は今でも心の中に残っています。だからこそ、コンプレックスの塊だった私を良くしてくれた恩返しをしたいとずっと考えています。

しかし、家庭環境の名残にはなかなか勝てず、前に進めない事が悔しいです。何一つ不自由なく、自分自身をありのままに出せるみんなが羨ましい。

そういった意味では、その頃からはキャリアというより、「自分自身との闘い」と言ってもいいかもしれない。

今思えば温泉施設は行っていて良かった反面、もう辞めておいて良かったのかもしれない。いい事が多かったけど、このまま続けていてもその環境に甘んじていたし、かえって前に進めなかった。後のハローワークの職業評価等を受けず、自分を客観視する事もできなかったと思う。

最近もWeb会社にて、私の特技であるイラスト(自作のキャラクター)が認められて、ホームページや(スマートフォン)アプリケーション作成をはじめ、メディア展開や商標権取得等も視野に入れてくれていた最中、急に一転して企画が頓挫、経営等の都合で止むを得ず退職、恩返しや名誉挽回、自分を変える等様々なチャンスを失った事がショックで、自殺を図った事もありました。その時は本気でしたが、怖くて不可能でした。

色々と良くしてもらった一方、お世話になった人達にはかえって心配かけて申し訳ない思いもあったけど、その思いがなかなか伝えられなかった。だから、自分なりの方法で恩返しがしたかった。

様々なコンプレックスを清算するといってもいいチャンスだったためか、心の傷はなかなか癒えず、心療内科の薬も効かず、眠れない状態です。