来年に大学受験を控えているのに、まったくやる気がおきません…今までは何で成績を取るためにそんなに頑張ってこれたのか、わかりません…
中学生の時にはこれは、すべての希望だ、と思ってキリスト教を信じていたのですけど、高校生になってから啓蒙されて、今はその欠点や、醜いところばかりが目について、もう全く信じられません…
倫理の先生の授業が分かりやすすぎて、現代の醜さがわかってしまった気分です。買い物で気を晴らそうとしても、ああ、これは物神崇拝だ…と思って憂鬱になって、現代の社会と、生きてる意味がわからなくなりました。
宗教という心の支えもなくなって、資本主義制社会の中で環境を汚しながらしか生きていけない、それを否定したいけどその恩恵にあずからずにはいられない自分に嫌気がさします。
受験勉強をするにも、大学受験という塾とかが、いろんなものが金をめぐって商売にしているその現実が嫌です。
なにより、わたしの身の回りは何一つ物質的に欠けたものはないのに、裕福とまではいかなくてもお金はあるし、親は勉強を強制しなくて優しいし、健康で、なんでも与えられて、恵まれているのに、うつうつとして、幸せになれない自分が情けないです。
前は友達と遊ぶのが楽しかったけど、今は人と付き合うこと自体がもう面倒臭いです。何をするにも面倒臭いです。
本当に、このうつうつとした思いのせいで、勉強が手につきません。勉強する意義もなんか自分の中でなくなってしまったし…すべてのことに疲れてしまいました。虚しさにかられます。
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初代あかり(殿堂入り|ココオルスタッフ)
π- 2016-03-19 21:50
来年大学受験を控えているのに、これまで信じていたキリスト教への信仰が薄れたため世の中をプラスに捉えることができなくなってしまっているのですね。
これまでは何のために受験しよう、勉強しようと思っていたのでしょうか。また、好きなことや楽しいこと、大切にしたいことなど、なにかありますか?