はじめまして、私は中学一年です。
中学に入学した当初、一二ヶ月程は普通に通学していました。
ですが、担任の女教師さんとソリが合わず朝のみ通学する形となっていました。
6月ごろ前触れもなく手首が麻痺し、字が書けなくなってしまいました。
私は地元の大きな中央病院に通っていました、そして、手首の麻痺が薬で治ったと母と私は思っていました。しかし、しばらくして私の足に麻痺が来ました。
今度は救急にすぐ行きました。
すると、脳の神経に異常が見つかったので今すぐ大学病院に行って下さい、と言われました。
最終的に私は一年生の6月〜8月までを全て病気で失いました。
皆に勉強が早く、もっと早く追いつきたかったのですが中々そうも行かずステロイドパルス治療を受けていた私は免疫力がかなり低下していて、8月に退院してから約一ヶ月間、自宅療養していました。
私と二つ離れた姉は今年、高校受験です。
姉は今は不登校ですが、私とは状況が全く違います、姉は一年も二年も多少は行っていました。
ですが私は一年の半分をベッドの上で過ごした様なもので、退院した後も学校自体に恐怖を抱いてしまいました。人の視線が怖いんです。
また字が書けなくなったらどうしよう。
問題を間違えたらどうしよう。
そうしていくうちに私は勉強が怖くなりました。
自分でも、生きていくに対して必要なのは
勉強、そう思っていました。
普通に学校に行って、間違えた問題を復習して、テストを受けて、疲れて家に帰ったら美味しいご飯を食べて、寝て、また明日も頑張って学校に行って、、そう思ってました。
でも私は引きが悪いみたいで悪い所に当たってしまいました。
勉強もできない、自分も大切にできない、そんな現実が辛過ぎて徐々に私は生きるのが楽しみから苦しみに変わってしまいました。
死にたくても、死にたくない。
私は小学校の頃、先生と仲が良く、勉強したら褒めてもらえる、また、みんなと遊んだり楽しく勉強できる、そんな子でした。
でも、私は私に嘘しか付いてませんでした。
友達が友達の陰口を言っているのを聞き、きっとみんな、私の事もこんな風に言っているのだ、と。
勝手な妄想で私は段々、問題を起こさない、静かでリーダーシップのある賢い女の子、になっていました。
私はあまり泣きません。
泣いたのは脳の病気が分かった時でした。
もしかしたら、私はこのまま死ぬんじゃないか、と
急に死が怖くなりました。
結局、今も病気の原因は突き止められてません。
それから、私は一人が不安になりました。
もしも、と思う私が私を苦しませているんです。
親に迷惑はかけたくない、一人だけで終わらせたい。
自殺して、生きる苦しみから解放されても、死んだ後に苦しみが無い、だなんて断定も出来ません。
私は段々、自分の気持ちが本当か嘘か分からなくなってしまいました。
やりたい事だけやって死にたい、今では無気力にそう思ってます。
正直もう死にたいです。
我儘言うな、と思われてもいいです。
みんな、辛くても頑張ってんだ、と言われれば、
それも当たり前な事。
私は初めて生まれたくなかった、と酷い事が脳裏に浮かんでしまったんです。
でも、年齢が年齢なので死ねません。
家には姉がいますし母も専業主婦でいます。
滅茶苦茶な文を投稿してすみません。
言いたい事を後先考えずに書き込んでしまいました。
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初代あかり(殿堂入り|ココオルスタッフ)
π- 2017-02-23 23:11
めちゃくちゃな文ではなく、ご自身の普段誰にも言えず、お一人で抱え込んで辛くなっていたお気持ちを書いてくださったのだと思いますし、とてもうれしいです(*^_^*)
どうすれば、今の辛い状態を改善していけるかは、少しずつ私たちココオルと一緒に考えていきましょうね(^^)
中学1年の6−8月の3ヶ月間は、とても大変だったようですね。そして、退院後も自宅療養していた日々もあり、焦りもたくさんあったでしょうね。
現在もずっと、強い不安感をお一人で抱え、苦しんでおられるのだと思います。よくお一人で頑張ってこられましたね(^^)
強い孤独感と不安感によって、生きることへのしんどさ、生きることから逃れたいという気持ちが少しずつ強くなり、今の辛い状態から逃れるために、死にたいという気持ちが生じるほどになっているのだと思います。
まずは、これまでの辛かったことや、今感じているしんどさなどをどんどん気楽に、自分の言葉で、自由にココオルに書き込んでいただきながら、どうすれば今のお気持ちを少しでも楽にしていけるか、一緒に考えていきましょうね(^^)