母親との長年の確執について相談させてください。私は今年33歳でひとりっ子として過保護に育って来ましたが大人になるにつれて、親がおかしいことに気づき始めました。それについて時系列で箇条書きにしてみます。

●子供の頃から理不尽に怒られる事が多かった。でもまだ私が小さな頃は母も明るく優しかったように思います。
●父方の祖母が身体が不自由になり、同居するようになってから(私は小2)母は祖母のいない所で私に怒鳴りつけたり、殴ったりするように。理由は理不尽でした。殴られ鼻血を出しすぎて学校で倒れた事もあります。
●中学の頃、学校での悩み事があり元気を無くしていると母親は最初は話を聞き出そうとしてくるが、徐々に余裕を無くして、「そうなっているのはお前が悪いんじゃないのか!」と怒鳴りつけるようになり相談どころではなくなりました。自分のつらい気持ちをわかって欲しくて言い返しても「なんやその言い方は!誰に育ててもらってると思ってるんや!」と話がおかしくなり、耐えるしかありませんでした。
●自分の感情でしか動けない母親は、自分に甘く身体の不調を理由にイベントをドタキャンする所があります。高校の卒業式は行こうとしたが、家の前で転けたから行くのをやめた、とサラッと言われました。
●良い所よりも悪いところにしか目が行かない母親。高校受験も合格の報告の電話の際は第一声は「落ちたんやろ?」でした。
●専門学校にも反対されながら行かせてもらいましたが(本当は高卒で働かせたかったようです)たった1度だけ、専門性のある学部で頑張り続けることに悩み始めて「このまま続けていても先が見えない。辞めたい」と弱音を家で吐きました。それは辞めたいと言うよりは、聞いて欲しい気持ちで言ったのですがもちろん母親は怒りながら「誰がお金を払ってると思ってるんや!辞めたかったら辞めてしまえ!」と怒鳴るのみでした。
●専門学校の時に付き合っていた彼氏をよく思っていなかった母と口論になった際に、私は床に置いていた裁ちハサミで膝を深く切ってしまいました。その時の母親はこちらを見て『ニヤリ』としていました。怪我をした私が嬉しかったのでしょうか?その後出血した足で病院まで自転車をこぐ私に「彼氏のところに行くんか!もう帰ってくるな」と怒鳴りつけるばかりでした。結局足は数針縫いましたが、心配は一切されませんでした。
●C型肝炎の母親。私が中学の時から治療をしていました。専門学校の時、母親は副作用と私の親離れと職場のストレスで鬱になりました。私が友達の家に一晩泊まらせて貰い、帰ると母親は別の世界の人の様になっていて、うわ言ばかり言い、意思の疎通が出来なくなっていました。病院に行き、薬と睡眠ですぐ元に戻りましたが、この件は私の中でトラウマになりました。
●社会人になってからまた母の肝炎治療が始まりました。仕事がハードだった私はまた母親が鬱になられたら仕事との両立は出来ない、と思い母に「仕事は辞める」と言います。それが気に食わなかったのか怒鳴られました。こちらのトラウマもわかって貰えず、家にいるのがどんどん億劫になってきた私は平日も家にすぐには帰らずご飯も外で済ますようになりました。その際の母親の料理は全然味がなく、無理やり食べさせられる苦痛で食べると元気が無くなるものでした。友人や彼氏と食べる方が気持ちが安らいだのですが、それを母親は怒りました。留守電には怒鳴り散らしたメッセージが入り、帰ってからも怒鳴られました。メッセージはこわくて聞けませんでした。トラウマが蘇り、私のせいで母親は怒っているのでまた鬱になってしまうかもしれない恐怖と、でも家に帰るのがどうしても気が進まない。仕事も責任があるしハード。そんな毎日を送っているうちに私も鬱になってしまいました。それを機に仕事は辞め、家を出ました。
●一人暮らしをはじめるとビックリするくらい気持ちが軽くなりました。ずっと私の心を曇らせていたものが取れたようでそれからは苦手だった人間関係がうまくいき、どんどん明るくなれました。
●それからは別々の家でなんとか距離を保ちながら母と上手くやっていましたが、30を期に私が結婚すると言った時にまた始まりました。結婚しようと思っていると伝えた私への答えは「親を捨てるんやな」でした。親戚に説得してもらい、なんとか親の許可を得て結婚しましたが、おめでとうと心からの言葉はありませんでした。
●妊娠の報告も暗い返事でした。第一声で喜んでいないことが分かるくらいの声のトーンでした。つわり中には親戚の結婚式があるが体調が悪いから代わりに行ってくれと前日に言われました。とてもいける状態ではありませんし、お腹周りの緩いドレスもありません。結局式はドタキャン。体調が悪い割には次の日に時間が出来たからご飯に行こうと誘ってきたので、式は行きたくないから断っただけだなと思いました。高校の卒業式もそうですが行きたくないと嘘の体調不良を言い訳にドタキャンする癖があります。私の結婚式にも来てくれた親戚だったので私から謝りの電話をしました。
●母は足が悪いのに治療を一切せず、原因を突き止めようともしません。もう63になるのですがどんどん歩き方が酷くなりびっこを引いていますし、よくつまずいたりこけたりします。その割に肉体労働でだれがなんと言おうと働くことは辞めません。何度か職場で怪我をしたり、骨折したりしていました。
●もうすぐ私は出産予定です。母を頼るのは理不尽に断られそうで気が進ま無かったのですが、周りのアドバイスもあり勇気を出して、産後に家に来て家事を手伝って欲しいと頼みました。その件は承諾してくれた母でしたが、後日「足骨折したー(笑)」と軽く言われました。そして産後に手伝いには行けないのは仕方ないやろ…と。また嘘の体調不良を理由に断っているのかと思いましたが、どうやら骨折は本当の様でしたが、悪いと思って謝罪することも無く、終いには母が普段悪口を言っている親戚にでも面倒を見てもらえば?と。
これまで母親に結婚も妊娠もそれ以外の私への態度、すべておかしい事を逐一わかって貰おうと訴えてきました。ですが理解していない、私の気持ちは何も伝わっていない。それがよく分かってきました。この人は私と同じように妊娠して出産して大変な思いをして子育てしたのではないのか?と疑う程、一つ一つの言動が軽いのです。
ちなみに父はいますが、どの件に関しても私と母が揉めていると嫌な顔をして何も言いません。父に、母について注意しろと伝えてもしてくれず何も解決しようとしてくれません。

せめて今後の事を考えて母のびっこを引いている足を治せと両親に訴えています。老後は一人っ子の私しか面倒を見ることが出来ないので一応その覚悟はしてきました。今より老後の方が足が不自由になっていると思い、お互いの為に足を治せと伝えるのですが、母は足の話をするとまるで話を聞かず、嫌がり電話を切られます。父親にも電話を取り次いで貰うように頼んでも、母の癇癪を面倒に感じているので、してくれず、「そんなだったら孫にも会わなくていいってことやね。自分ら親戚にも誰にも相手にされなくなるよ」とポロッと言った私への返答は「はい、もういいよ。それで。」でした。呆れました。父親も母親も同じように私を傷つけるだけでした。
その数日後母親から何も無かったかのように「うまれた?おとこおんなどっち?」とメールが来ました。
孫に会わなくて良いと言った後に、うまれた?なんて実母が言う言葉にしては無神経すぎる…悲しくなりメールも電話も無視しました。
あれから両親と接触していません。主人にも相談しましたが、一応生まれた時の連絡はして、後はほどよく距離を置くのがいいのではないかと言われました。正直私は子供が産まれても知らせたくないし会わせたくもありません。触って欲しくもありません。
なぜかそんな親でもお金のことに関しては何とかしようとしてくれました。結婚祝いやベビーグッズは親の義務だからと用意してくれました。その度に親への嫌悪を少し忘れて、受け入れようと思い直すのです。でもお金やモノが欲しいのではなくて親からの心の安らぎを欲しかった私の心は期待しては裏切られてきました。
感謝はしています。でももう関わりたくありません。お金を返せと言うなら返します。お金を支援する事で見下されているようにも思います。母は私が母を越えて大人になる事に精神的についていけていないように思います。だから怒鳴るのです。
もう嫌悪感でいっぱいです。
今後の関わり方はどうするのが良いでしょうか?
自分がこの親に似て子供に同じことをしてしまうのが本当に嫌です。私も感情的になると母親に似た事をしてしまって後ですごく自分が嫌になります。同じことを繰り返さないようにするにはどうすれば良いでしょうか?
あと、母親は発達障害かも知れません。字が極端に下手で、慣れていない字は形になりません。ローマ字は読めず、本の文章もうまく読めないようです。それも母の性格になにか影響があるのでしょうか?