20代前半、エステティシャンです
いつからいじめの対象になっていたのか、どこをどう間違ったのか、今では思い出すことも、考えることもできません
ただ、今でもはっきりわかっているのは、小学校高学年になる頃には、同学年のほぼ全クラスから笑い者にされていたということです
運動は中の下、特に目立つ特技もなく、小中の頃は所謂ポッチャリ体系だということもあり、いじめやすい対象だったのだろうと思います。それでも、私よりポッチャリしている子がいじめられていなくて、なんでこんな目に遭ってたのかと、過去のことを思い出すと、怒りと空しさでいっぱいになります
何かしたわけでもないのに、何で私が・・・
正直に先生に言っても、結局は何も変わらなかった、むしろ、正直者がバカをみるとでも言わんばかりに、いじめてくる人の範囲が広がっていきました
泣いても誰も助けてくれない、謝られても口先だけ
それでも、イベント関係では私なりに頑張って楽しもうとしていました
けれど結局そんなこと、意味はなかったです
音楽発表会に向けて頑張っても「音程が外れてる」「地声で歌うな」「声がうるさすぎ」そんなこと、前は言われなかったのに・・・
声が裏返ったら裏返ったで「ダッサ!」大きい声を出すのが、すごく嫌になりました
私が触れたら汚れると言わんばかりに馬鹿にされました。触るな汚いなんて言われるのは日常茶飯事
学園祭ではいらない存在とばかりに帰れとも言われました。それはクラスメイトだけではなく、クラスメイトに関係のある、全く面識のない上級生にも伝染しました
それは中学卒業まで続きました
そんな良い思い出のない中学で、部活なんて入りたくなかったですが、帰宅部を許されなかった私は、バレー部に入り、結局人の目が怖くなって、家庭科部に変えました。どっちにしろ、嫌な思い出しか残らない放課後を過ごしましたが・・・
高校は、地元にいたらずっと苦しいままだと思い、片道四時間の北端の高校で寮に入りました
新しい環境で、新しい人間関係で頑張ろうと、そう思ってました
けれど結局だめでした。その頃の私はすっかり心が荒れていて、人の言葉の裏を常に探していました。でも、心が荒れていたとは言っても、まだバカみたいに人を信じたかったという気持ちがなかったわけではありません
けれども結局は信じきれませんでした
寮生活という、良い方向に向かえば絆の深まる環境が、逆効果だったようでした
近いということは他人の嫌なところも丸見えなわけで、クラスメイト同士の不満がどんどん蓄積
最終的にそれは爆発し、一つになったと見せかけていた皆の気持ちがバラバラになったのです
その時の皆の言葉で、やっぱり人間なんて信用するもんじゃないと、改めて思いました
表では笑っていても、腹のなかでは嘲笑っていて、馬鹿にしていて、本当は気持ち悪いと思っていた。そんな言葉の数々を聞いて、クラスメイトを改めて信じるなんてこと、できるわけがなかったんです
大学は、もっと離れたところを選択しました。それはまだ良い選択だったかもしれません。いや、逆に悪い選択だったのかもしれません
人間不振と疑心暗鬼。この頃の私は、既にそうなっていました
人を信じることはもうほとんど諦めて、傷つくのがわかっているなら、最初から信じなければ良いと、そう思って
僅かばかりに残っていた気持ちも、大学に入る頃にはほとんどなくなっていて、空しさや怒りを通り越し、すべてがどうでもよく思える時間がどんどん増えました
それでもまだ、表面上とはいえ、仲良くなった子達がいたのは、まだ救いだったかもしれません
けれど、どうでもいいと思ってしまうようになっていたのは、やはり仕事をしていても滲み出ているようで
今現在、職場の人間関係がうまくいきません
それでもどうにか「こうなりたい」という明るい自分像を描いて、なんとか奮い立たせていました
でもやっぱり、そんな気持ちで上手くいくはずもないですね
職場の人を信じることができないんです
まだ4ヶ月しかたっていませんが、それでも悪い予感というものは不思議と当たるもので。4ヶ月という短い時間で、私は確実に周りの空気を悪くしていんじゃないかと、半分以上確信しています
ずっと人の目と言葉を気にしすぎて、自分の行動が本当に合っているのかすら信じれず
仕事を覚えるのも遅くて、苛々させてしまっているからです
職場の人の内の一人が特に苦手で、出勤が被ってるとわかっただけでも気が重い・・・きっとその人の目に、私は不真面目に写って見えてるんだろうと思います
私の存在が職場の環境を悪くしている気がしてならない、いや、じっさい居心地が悪いのは、私だけなんだと思います
今はまだ、夢と明るい自分像で無理やり奮い立たせているので、なんとか仕事はできています
でも、そんなもので自分を保つのももううんざりです
手に職をつけて、自分だけの技術で誰かの笑顔のために、なんて思って今のエステの仕事に入りましたが、全てが嫌でしかたがありません
本当は何もしたくない、仕事なんてしたくない、日の本で生きるのが辛い
そもそもなんで生まれたんだろう
感情なんてなければここまで苦しくなかった
逃げるなと言うなら、甘えるなと言うなら
それならあのとき私はどうすればよかったのですか
もうわかんないです
人の社会のなかで、私だって皆と一緒に笑いたいのに、人を信じるのが怖いんです、もう傷つくのも嫌なんです
でも、人の悪いところしか見れなくなった自分自身が何より一番嫌なんです
きっと、私が思うよりも、職場の人も良い人なんでしょう、けど、でも信じれないんです
仕事をしないと生きていけない、でも、人を信じれない私が、仕事でうまくいくわけがない
結局私は何をしたくて生きているんでしょうか
もういやです、誰か教えてください
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みらー(臨床心理士)
π- 2017-12-01 11:43
お辛い思いをされていますね。
自分が必要とされていないように感じて、そう思うと寂しく一人であるような気がして、辛くなってしまう。そうすると、生きている意味や、存在していることの意味さえ分からなくなり、いっそのこと消えて死んでしまいたいとすら思ってしまわれているのでしょうか。
そんな辛い思いを抱えながらも、他の人には頑張って隠し、明るくポジティブに振舞ってらっしゃるとしたら、それは本当にしんどいことだと思います。人に辛さを見せること自体も簡単ではありませんが、隠し続けることもそう簡単なことではありません。よく耐えてらっしゃいますね。
今は自分自身のこと、自分の心身の健康を第一に考えることだと思います。他人のことよりも、自分のことを大切にしてあげてくださいね。とはいえ、なかなか自分を大切にしていくことや、周りの人のことを考えないようにすることも難しいと思いますので、少しずつ取り組んでいきましょう。ご本人にとって、すくなくともココオルは自分らしくいられる場になれたらと思います。またご相談あればご投稿くださいね(^^)/