親と離れたい、けど愛されたい。

人生20年が過ぎても尚、小さい頃の思い出として真っ先に出てくるのは、親に殺されると思い込んで夜寝るのが怖かった、という思い出です。その頃は、親が子を殺害するという事件が頻発していた頃で、そのニュースを見て、私は殺されると思っていました。
今思えば、自分が愛されていないから、悪い子だから、必要じゃないからと無意識に思っていたんだと思います。けどあの頃は漠然とした恐怖しかなくて、夜寝るのが本当に怖くてなかなか寝付けなかったのを覚えています。
部屋は一人部屋で、引き戸だったため鍵かかけれないので必ず閉めていました。そうすれば扉を開ける音で起きて逃げれるから。けど、私が床についてしばらくすると、親が必ず扉を開けに来たのです。必ずと言っていいほど。私は、逃げられちゃ困るからだ、とその行為を見て確信していました。やはり私は殺されるのだと。
ま、結局今の今まで生きてるんですけど。なかなか殺されないな、と疑問に思いましたがすぐに、私に勘づかれたから止めたんだと自己解決してました。今にして考えてみれば、小1が考えることじゃないですね。多分。
けど、小さい頃の思い出として出るのがこの記憶で、あとの記憶も似たり寄ったり。楽しい思い出なんか、嫌な思い出を9割思い出してようやく雀の涙サイズが出てくるくらいです。ちゃんともっとあるはずなのに。こうして悲劇のヒロインぶって文字を打ってる自分が気持ち悪いですけど、多分事実だと思います。昔から根付いてる被害妄想じゃないと信じたいです。
父は、昔から溜め込むタイプで時折爆発させて発散させる人でした。一週間に一回は爆発させてました。家に帰れば、すぐにそういう日だと分かりました。父の周りの雰囲気がいつも以上に重くて、息苦しくもありました。そしてちょっとの事で怒り、それを火種に不満ごとを母にだけぶつけていました。そしてパパはこういうことで怒ってたから、皆で直そうね、と後で私たちに伝えにきました。母は私達に隠れて泣いていました。けどその様子を見て、きっと私がいけないから母も父もこんな風になるんだと思いました。
更に父は自分の思い通りにならないのがいや、人を支配したがる人でした。その矢面に立ったのが私の兄でした。自分の趣味のゴルフをやらせていました。兄は勉学にも長けていて全国模試で文系に関しては上位に入るような、私より頭がいい人でした。なので、父は有名国公立大に行かせたいと常に行っては兄にプレッシャーを与えていました。父は兄には厳しかったのです。兄は自分の思いを父にぶつけては衝突し合い、私の目の前で「俺、死んでいいかな?」と言って包丁を取り出して死のうとしました。それを私は泣きながら必死に止めました。父はそんな兄の様子を見て「死ねないくせに簡単に言うな」と言っていました。母は……思い出せません。それから兄は隣の家(祖父母宅)の屋根に登って空を眺めたりと、私から見てとても危ない行為をしていました。そんな兄の様子を見て母はため息をついていました。それは煩わしい、と解釈できるようなものでした。私は、そんな母を見て絶望しました。あぁ、この人も分かっていないんだって。
兄は無事に地方の国公立に合格しました。当初は父が望んでいた大学ではないことで衝突していましたが、父が望んでいた大学より兄が進んだ大学の方が大学ランキングが上で勢いがある評判の大学だと知るや否や、知人や自身のお客さんに自慢していました。結局、世間体なんだな、と思いました。
時は少し遡るのですが、私が中2の頃、私は不登校になりました。
よくあるいじめ、もまぁ一因ではありましたが直接的ではありませんでした。
私には仲良くしていた男の子がいました。二人。行事などでふざけあったりと普通に仲が良かったんです。そんなある日、その子達から手紙を貰いました。表には「好きです」とかそういう告白めいたものが。裏には「ブス」とかちょっと悪口が。けど私には悪口なんてどうでもよかったんです。悪口なんて普段ふざけて言い合っている内容と似てましたから冗談だってわかってました。ただそれ以上に、告白めいた方があまりにも嬉しくて、浮き足立ってて、家に帰って母に見せたんです。「見てみて〜これ男子からもらっちゃった!」私は確かに嬉しそうに母に見せました。見せた、というよりは母が家事をしていたのですぐ見えるように適当に置いたんですが。
まぁ、それが間違いだったんですけどね。
私は嬉しすぎて母の反応を確かめることもせずただ明日の学校が楽しみでした。
次の日、普通に学校から帰ってくると、母が神妙そうに私に言いました。
「いじめられとったんやね。今パパが学校に行って先生と話してるから」と。意味が分かりませんでした。すぐに理解できませんでした。もしかするともう少し日にちが経った後だったかも知れません。けど、母や父は私にいじめられているのかと聞きもせずに学校にそのことを告発したんです。
不幸にも貰った手紙にはその男の子の名前が書いてありました。だから検討がついたんだと思います。
私はすぐに訂正しようと思いましたが、父が学校に行っているという時点で、この話はもう戻すことが出来ないと思いました。もし私がいじめられてないと言えば、父は私に対して激昂したでしょう。私はそれが怖くて、自分の保身のために同級生を売りました。
帰ってきた父が、「全部言ってやったぞ!俺の娘に何してくれとんじゃ!ってな!録音もしてあるぞ!」全部って何を?私何も言ってないじゃん、と思いました。録音は結局できてなかったのですが、私はそれでよかった、と思いました。聞きたくなかったから。
ただ、冤罪を被らされた男の子2人のうち1人は、元々素行が悪かったのもあって転校しました。私のせい、と思うしかなかったです。事実そうなのだから。
男の子二人に合わす顔がないのと、元々入部していた女バス内で私に対する無視があったので学校に行きづらくなりました。きっと、みんな私を悲劇のヒロインぶってる子だと思ってるんだろうなぁと思い、学校に帰りづらかったです。
けど、そんな私の様子を父は許してくれませんでした。俺が解決してやったのになんで学校行かないんだ?と言わんばかりに私をしかり、時には叩きました。言えるわけがない。言ったらきっとあなたは今以上に私を責めるから。
男の子たちにいじめられたなんてことはないのに、家に訪問に来る先生はどんどん階級?がまし、教頭先生まで謝りに来る始末でした。私は事態がかなり大きくなってることに今更気づきました。
家にいるのも辛くなり、学校には保健室登校から行き始めました。それから3年の新学期からちゃんと通うようにしました。女友達ともなんとか上手くやれましたが、男の子とはあの事件があった以来、きっと噂が広まってあいつは被害妄想するとか悪口言われて私は嫌われ者なんだろうなぁと思い、近づけなくなりました。
そして高3の夏。両親が離婚しました。私は知っていましたが、お母さんはお父さんに黙って出ていきました。とても悲しかったです。ただ、私の家族が今まで住んでいた家から離れがたくお父さんと一緒に住むことになりました。けど、それからその家は私が今まで知っていた家じゃなくなりました。母のものはなくなり、母の印象が強いキッチンは、父の仕様に変わりました。玄関から入っても、何かが違う。ダイニングに入っても何かが違う。まるで知らない家に来たみたいな……。その時思い知りました。あぁ、私の家族はなくなったんだな、と。世間が家族、親子だと言う父と一緒にいるのに、私は言いようのない寂しさを覚えました。大学受験の勉強にも手がつきませんでした。
そしてある日、父と衝突し、出ていけと言われ出ていきました。母と母方の祖母が住んでるアパートで住むことになったのですが、やはり自分の家ではない感じは拭えませんでした。父の家よりマシで少し安心できましたが。
ただ、こんな環境、親のそばにいるなんて耐えられないと思い私は出来るだけ距離があって行けないことはない関西の大学に行きたいと言いました。そうすれば距離は離れてるし、一人暮らしもできるから快適なはず!と。しかし父は許しませんでした。「金がないんだから国公立に行け!」「私は頭が悪いから……私立に行かせて」「なら地元にしろ!」「関西に行きたいの!」「なら1流大学にいけ!二流や三流は許さん!それが条件だ」父が指名した大学は、誰もが聞いたら分かる有名私立大学でした。私は無理だと思いました。模試の結果もDを超えることがありませんてした。滑り止めも合わせると、私は大学を2つしか受けませんでした。1流大学か地元の私立大学か。私にはそれしか選択肢がありませんでした。
1流の方の合格発表まで私の胃痛は止まりませんでした。食べることもままならず、2週間で5㌔ほど体重が落ちました。しかしそれまでの間一人暮らしの部屋のカタログを見るのが唯一の楽しみでした。妄想くらいしてもいいですよね?
けど母は私と一緒にカタログを見てくれませんでした。それどころか「どうせ落ちてるんだから、うんたらこうたら」と落ちてる前提の話しかしませんでした。その時本当に悲しくて寂しかったです。これは後の成人式や謝恩会の時にもありました。着物選びや写真選びも母は楽しそうにしてくれませんでした。いつもお金が無いから出来るだけ安い方向に持っていくのに必死でした。お金が無いのは知っていたけど、それでも一緒に見て楽しむくらい、と思いました。「これなんかどう?」とか言ってくれれば良いのに。結局私は金食い虫でしかなく、両親にとって害悪でしかないんだな、と。こういう時にお金出してくれるだけましなんでしょうけど、それでも寂しかったです。
結局1流大学の方は落ちてて、ダメもとで二流と言われる方の後期を受けさせてくれと頼みましたが案の定却下。私は地元の私立大学に進みました。一人暮らしはなんとか説得してさせてもらいました。
結局何が言いたいのかよく分からなくなってきましたが、多分、親の前で素直になれない、ほんとうの自分を理解してもらえないことが苦しいんだと思います。その苦しさがいつもいっぱいなので、親と話す時はいつも不機嫌になって怒鳴ってしまいます。傷つけたくないのに、傷つけてしまい、電話の後はいつも後悔ばかりしています。愛されたいと願う一方で憎んでもいます。今の自分の性格は両親のせいなのではないかと。アダルトチルドレンや鬱病かもしれないのは両親のせいなのではないかと。憂鬱になる度、ネット診断で高確率でそうだと診断される度に私は言いようのない寂しさと憎しみと悲しさで辛いです。両親と縁を切りたいと思うのに、心のどこかで愛されたい、そして私も素直に大好きだと言える関係になりたい。
寂しさを紛らわすために出合い系にも手を出しました。けど性行為をしたいひとたちばかりで街コンでもそんな人に引っかかってばかりでした。ナンパしてくる人たちやバイト先の人にもセクハラを受けました。自分の女性的な体が嫌いな一方で、醜いとしか思えない自分を身体だけとはいえ求めてくる人がいてそれに縋りそうにもなりました。今となっては恐らく男性恐怖症となっています。
人を愛する、人に愛されるにはどうしたらいいのか、分からないです。
もういい加減、心から幸せになりたいです。

長文、ほんとうにすみませんでした。