小学校3年生の時に両親が離婚しました。
それまでの私はとても自信に満ちていて、明るく、わんぱくな、悪ガキだったそうです。
全てを母や祖父母に聞いたわけではなく、おぼえていることも多いのですが、小3以前の記憶は少し曖昧です。
私は母に引き取られました。
どちらについて行くかを問われ、姉が母について行くと聞いたから母を選びました。
離婚を告げられた時はとにかく泣きました。
当時私は理由は覚えていないのですが不登校気味で、担任のおかげで復帰できましたが、小学校四年生以降からも仮病を使って休むことは多かったです。
離婚の理由は父の浮気で、私がそれを知ったのは5年生の時でした。
6年生の時に父から自分が住むから家を出ていくように告げられたらしく(住んでいた家は父方の祖父母の離れでした)、私は隣町に引っ越すことになりました。
父と連絡できるようにと4年の初めに携帯を買い与えられていましたが、父から連絡が来ることは稀で、遊びに連れていってくれたこともあるのですがそれは2回だけだったように記憶しています。
父は口ばかりの人でした。
「子どものためなら死ねる」などと言ったことを口にしていました。
ですが、新興宗教にはまり、事業に何度も失敗し、借金を作っては祖父母に助けてもらい、一度自己破産もしました。
これらは母と姉から聞いた話なのですが、浮気のこともあり、2人は父を貶してばかりでした。
私も、二人に合わせるように父を貶しました。
確かに、姉がいじめられていた時期に出ていったことに対しては怒っていましたが、キャンプに行ったり、私を膝の上に乗せてくれたり、私の記憶にある父の姿は確かにおとうさんで大好きだったのです。
今もきっと、心の底から憎んでなんていないんです。
引っ越し、私は中学生になりました。
姉は女優になりたいと言って東京に出ていきました。
はじめは順調だったと、思います。
ですが、元々集団生活が苦手な私は、幼稚園からずっと同じメンバー、といった閉鎖的な中学校に馴染めず、隣のクラスにいた友人が二者面談の時に担任から「あの子は口が悪いから付き合うな」と言われたと聞いた時から不登校になりました。
幸い、姉がいじめられて不登校になってから、母は学校に行きたくないなら行かなくていいと言ってくれる人でした。
ですが、ここからが本当に大変だったんです。
姉が何度も何度も、トラブルを起こすようになりました。
勤めていたバイト先はスケジュールが厳しく、女優になるための活動ができないと辞めました。それには私も賛成でした。
しかし、姉を支援する経済的余裕は我が家にもなく、姉はキャバクラで勤めるように。
金銭感覚が狂った姉は豪遊を始め、ストーカーがついたことで辞めてからもそれはかわりませんでした。
何度も家賃を滞納し、その度に母が支払い、ストーカーを振り切るための引越し資金を父も手伝ってくれましたが母が出しました。
女優になるためのアカデミーを何度も入学しては一度も行かずに辞めました。
入学金、授業料、その他もろもろにお金だけが消えていきました。
口では女優になりたいと言っていましたが、いつの間にか、姉の中では東京にいることこそが目的になっていたのです。
いじめにあってから姉は地元を嫌っていましたから、帰ってきたくなかったんだと思います。
どんどんどんどん家計は苦しくなっていきました。
度々音信不通になる姉に、母は何度も泣いて取り乱していました。
私はそれを慰め、大丈夫だよと言っていました。
泣きながら学資保険を使い込んでいいかと聞かれました。
将来のことも何も見えていなかった私は二つ返事でいいよと言いました。
姉の願いが叶うなら、母がそれで楽になるなら、それでよかったんです。
その他を、見ないようにしていました。
高校生になった私は昼間定時制高校に進み、午後四時間か五時間を週五日でバイトに当てました。
給料は全額、家計にあてました。
中学の頃から高校生になったらバイトをしてお母さんを助けるよと、言っていました。
遊びに行く時は母に言ってお小遣いをもらいました。
半額以上残すことを目指して遊んでいました。
そしてついに、姉が鬱になって帰ってきました。
度々体を壊しては帰省していた姉ですが、何度も地元に帰ってこさせようとして拒まれ、懇願されて見送っていました。
ですが、その時は騙し討ちのようにして、帰ってこさせたのです。
ブラック企業につとめてしまったらしい姉の状態は酷いものでした。
一日中ベッドの上で、食事を運ばなければ取らず、ベッドから離れるのはトイレと、風呂の時だけ。
お風呂は私か母が一緒に入りました。
状態がひどい時は私が学校とバイトを休み、そばにいました。
その甲斐あって姉は徐々に元気を取り戻しましたが、ベッドから起き上がるようになってからがまた大変でした。
にこにことゴキゲンだったかと思うと突然落ち込み、家を飛び出すこともありました。
肉切り包丁で腕を切ることもありました。
慌てる母を私がなだめ、深夜だったので24時間のスーパーまで包帯やガーゼを三人で買いに行きました。
リストカットの経験があった私は嫌に冷静で、幹部をおさえて姉の腕を持ち上げ、穏やかに姉と痛いでしょ、などと話していました。
ですがそれらよりも困ったのが、欲を制御できないというところでした。
元々の性格もあったんでしょうが、病気のせいか欲しいものを我慢出来ず、また、気持ちが落ち込むとソーシャルゲームに何万も課金しました。
我が家の家計はさらに圧迫されました。
姉もバイトを始めましたが、些細なきっかけから行けなくことが何度もあり、転々としてはふさぎ込むことの繰り返しでした。
私は病気の姉と、それに伴って精神的に疲れていく母を支えて生きていました。
友人に異常だと言われ、そうだよねと笑いながらも異常に気付いていませんでした。
私は私の経験を生かし、人を支える立場になりたいと考えました。
そして専門学校に進学しました。
学費は母方の祖母が出してくれています。
そして、一人暮らしを始め、初めて心の底から家族を煩わしいと思ってしまうようになりました。
毎日お休みだけは連絡してほしいと言われ、その通りにすれば出た、おやすみだけ、と言外に責められ、バイトのスケジュール毎週伝えるよう言われ、姉と母が喧嘩する度に母や姉から鬱々としたLINEが送られてくる。
ずっとずっとです。昔からです。
死にたい、明日が見えない、先が真っ暗、消えてしまいたい、私なんていない方がいい、つらい、いきていたくない。
すべて母が私に吐き出した言葉です。
母はその度にごめんねと、私にしか言えないのだと言って泣きました。
それに私は大丈夫だよと返しました。
母はことある事に私に謝ります。
ごめんね、ごめんね、バイトしないといけなくてごめんね、家賃を自分で払わせてごめんね、生活費出してあげなくてごめんね、二つ借りてる奨学金のうちの一つを取り込んでいてごめんね、呪いのようです。
姉は幼い頃母に虐待されていたそうで、その確執を今も抱えています。
確かに母はヒステリックで、機嫌が悪ければふとした拍子に大声をあげて怒り出す人でした。
一度もおこったらずっと口を聞いてくれない。2日間無視されたこともありました。
仕事帰りの母におかえりと告げただけでわけもわからず怒られたこともあります。
子どもの頃を思い返してみても、私が怒られれば従順で楽天的にその後振り返ることもなかっただけで、部屋から閉め出されたりしていました。
姉に対するものは児相が一度来たほどにひどかったそうです。
母が姉に甘いのはきっとこれの負い目があるんだと思います。
そして、私より姉の方が優先順位が高いんです。
これは父もです。
あねのほうがだいじなんです、
私と姉の関係は良好です。友人には気持ち悪いほど仲がいいと言われました。
確かにそうだと思います。
姉も母も私に依存しています。
そして私も依存していたのだと思います。
だって家族だけが私の居場所でしたから。
ですが、今はそれがしんどいんです。
私になら何を言ってもいいんだと、何をしてもいいんだと、何をしても言っても許してくれるんだと思っている家族がとても辛い。
しんどいと一言いえば無理をするなと言います。心から心配してくれているんです。私がってるんです。
でも、そこまで望んでないんです。
バイトを変えたいとか、流していいのに、こうすれば、ああすれば。そこまで望んでないのに!!!!
疲れたと言った時に抱きしめて目を耳を塞いでくれなくていいんです。お疲れ様って言って、ただそばにいて、踏み出す時にせなかをおしてくれるだけでいいんです。
だけど、そうじゃないんです。
私を「家族」に縛り付けようとするんです。
ずっとずっと、かぞくがついてまわってるんです。
義務感で帰省します。家族は大好きです。
だけどしんどいんです。
最近自分がアダルトチルドレンと呼ばれる人たちに当てはまることを知りました。
友人達は実家から離れるべきだと言います。
私もそう思います。
だけどそうしたことで家族に何かあったらと思うとできないんです。
思ってることを全部ぶちまけたらきっと、家族は立ち直れない。
だけど私がそばにいても立ち上がれない。
だけど離れられない。
ぐるぐるぐるぐる考えて、すごくしんどいんです。
辛い時は辛いって言っていいんだよと母は言います。
我慢するなって、心配かけていいんだって。
私たちにしか言えないでしょって。
貴方達にこそ言えないんだよって、言えないんです。
つらい。すごくつらい。
夜眠れず、涙がこぼれて、1時間ほどクッションに顔をうずめて泣い手、疲れてやっと眠れる時があります。
ベランダから下を見下ろして、ここから落ちたら楽になれるのかと思います。
手首に残った傷跡を見て、また切りたい衝動にかられます。
生きていることの違和感を、子供の頃から感じていたものをまた感じるようになしました。
閉ざされた空間が耐えられません。
ドアが締まりきって、カーテンもしまって、そんなへやからはにげだしたいきもちできっぱいになります。
友達と楽しくしている時は平気なんです。
だけどエレベーターは基本的にダメです。
しんどい時は自分の部屋さえも息苦しいです。
そういう時はベランダへの窓を開けて空をぼんやり眺めています。
閉塞感がダメになりました。
誰かに束縛されることも耐えられません。
だけど、家族に束縛されます。拒めません。
外でならありのままでいられるのに、家族の前では自由でいられません。
家族のことは好きです。大好きです。
父さんのことも大好きなんです。
だけど嫌いです。憎いです。いっそ消えてくれたらと思います。
そんなことを思う自分が嫌いです。
お金が無いことが嫌です。
奨学金はすべて消えていきます。足りません。バイトをしています。足りません。
母や姉にも余裕はありません。
ですが二人の話を聞いているとどこかに出かけ、お金を使っていることが多々あります。
人のことは決して言えません。
だけどあの人たちは金遣いが荒いんです。
そのお金があるなら私を助けて欲しい、その言葉をいつも飲み込みます。
父は毎月1万を振り込んでくれています。
養育費と同じように数回で途切れると思っていましたが、以外にも続いています。とても有難いです。
姉は欲しいものをだいたい手に入れています。
彼女にしては我慢しているんです。物欲が強いですから。
私は物欲はあまりありませんが、心の底から欲しい!と思ったもの以外をすべて切り捨てています。
そうしているうちにどんどん物欲は消えていきました。
なにか欲しいものある?と聞かれるのがとても困るようになりました。
私は姉が羨ましいんです。
姉ははじめ祖母に二百万をもらって東京に行きました。それからも何度か頂いています。
この間のものは借りた、ということで、返済していくらしいですが、もらった金額は数えるのも怖いくらいです。
祖母の貯金を崩してしまっていることがとても申し訳ない。
私も学費を出してくれていますが、これは初めから貸与です。私がそれを望みました。
姉にはあらゆる保険の前取りでたくさんのお金をかけました。
私の学資保険も消えました。
父の自己破産がなく、姉の学資保険500万がのこっていればなにか違ったのかも知れませんが、いや、きっと変わらなかったでしょう。
あの学資保険があればと何度も訴えそうになりました。
だけど了承したのは私なんです。
中学生の身であったとはいえ、わたしなんです。
それに姉を追い詰められるはずがない。
つらいです。
友人にはつらいといったこといがい、いろんな人に家庭のことは話しました
そうしないとつらかったから
だれでもいいからはなしたかった
笑ってたけど、全然笑えない
この先就職しても家族から解放されはしないんだと思います。
手元に入ってない奨学金も私が返すんです。
家族のことは大好きです。
だけど、しんどいんです。離れたいんです。
だけど幸せになって欲しいんです
苦しんで欲しくないんです。
もう頭の中がぐちゃぐちゃで
乱文失礼しました