初めて利用させて頂きます。高3男子です。

8年ほど前から自殺願望や自傷、突発的(かつ慢性的な)罪悪感に悩まされています。
キッカケは小学3年の頃。いじめを受けていて死にたいと家族に漏らしたことでした。
この8年である程度理解を示してくれるようになったことに感謝はしますが、あの時「じゃあ死ね!」と母に一蹴されたことは未だに鮮明に覚えています。
彼女いわく、「あなたのことをこんなに気にかけて、いつも死ぬ思いで『どうしたらあの子の為になるだろう』とか『何をしてあげられるかな』とか考えてるのに」、「私だって辛いんだ」そうです。(事実私の母は、相当苦労して私を育てていました。それは承知しています)
ただ、そのことと今私が苦しんでいることは関係ないようにも思えますが。彼女も私と同じように、自分のことで精一杯なのでしょうかね。


また、ここ1ヶ月ほどは週3,4日のペースで学校を休んでしまい、留年の危険性が出てきました。
「ここで頑張れずに留年退学して最初から高校をやり直すことになったら、今より何十、何百倍努力しなければならなくなるぞ」と家族に言われるのです。「今の俺は自殺願望を抑えて死なないようにするのが精一杯なんだ、これ以上頑張るなんて無理だよ」と返したら、「卑怯だ」と叫ばれました。生き死にについて持ち出されると、引き下がらざるを得なくなるからだそうです。
「頑張ったよ!」
と嬉々として話す。
『じゃあもうちょっと頑張ってみようか』
と。返される。
「あなたなら出来る!」という信頼なんだと思います。気にかけてくれてるんだと思います。でも、「また頑張れって言われた。『頑張ったね』っていって欲しかっただけなのに。僕はまだまだ頑張ってないってことなのかな。」
というように考えてしまっていました。
挙げ句の果てに、「俺は弱音を吐いたり、物事を楽しむ資格がないんだ」とも。
両親には何年も何年も相談し続けています。だんだんと理解を示してきているようにも思えます。学校楽しいです。友達は2人しかいませんが、家族に話せないようなことすら喋り倒す大親友です。そいつらとは私が自殺未遂を決行、失敗した時に大いに助けてもらった過去もありますし、今でもよく喋ります。人生最高の親友です。
学校ではなかなか勉強が上手くいきませんが、これでも中学時代はクラスでかなり賢かった方です。高校も(私立ですけど)十分自慢できるところに入りました。先生優しいです。適度に心配してくれます。正直言って、今までの学校生活においては高校が最高の環境だと自負しています。お父さんお母さんのことすごく好きです。感謝してます。

ですが、だからこそ自殺願望が消えません。
今辛い仕打ちを受けてるわけではありません。むしろ恵まれきっています。誰より恵まれています。
そして、何も出来ない自分が、許せないのです。昨日父さんと話をしました。「自身の思考回路を変えたい」というテーマで。議論は感情的になることも無く平行線を辿りました。
話をするなかで私はこんな言葉を投げかけました。「俺、人にイジメられとるんじゃないわ。自分にイジメられとる。」と。
「だから、周りに分かってもらえない。なんでそんな些細なことで傷つくの、皆んなは頑張ってるのにそんな当たり前なこともできんのか、と...言われちまうんじゃないかなぁ」と。
大好きだったパソコンが全く手につかず、ただ寝るだけの毎日。ギターもやってました。編み物も。プログラム書いたりとかも。絵も描いてました。音楽作ったりとか。実況10年続けてきました。
あれだけ楽しめていたのに。よくよく考えてみれば、「楽しむため」じゃない。「認められたいから」という、他人基準。
自己評価なんてどこへやら。もう地の底です。
「自分は周りにSOSを発信する資格が無いんだ。全然苦しんでないんだ。努力もしてない」「もっと苦しまなければいけない。ご飯もゲームもおしゃべりもテレビも運動もなにもかも苦しんでしまえば、分かってもらえる」と。

学校行きたいです。でも行けません。
辛いことはありません。でも、辛いことは無いのだと認識することが何より恐ろしいのです。
「そんな風に考えなくていいのに」と両親から何度も言われました。「そう言われて即実行出来るなら苦労しない」と返せば「たまには人の話を聞け、従え」と。ただ「頑張ったね、もういいんだよ」と言われたいだけなのです。心身ともに休まりたいのです。ですが何故か自分自身がそれを許しません。


稚拙な文章ですが、必死に書きました。
とてつもなく長い文章となってしまいましたが、どうか読んで頂きたいです。
(今読み返してみると、なんだかほぼ人のせいにしているような気がします...直さなきゃいけませんね)