死にたいです。
今までは、私がおかしいのだとずっと思っていました。
自分は狂っているから、生きている価値はないとずっと思ってきましたし、死ねるなら今すぐ死にたいです。
きっとうつ病ですが、それよりも今、怖くて仕方がないことがあります。
さっき、母の方が精神病なのではないかと、思ってしまいました。

中学生の頃のことですが、私は奨学金を二ヶ所から頂いて、進学校へ行くことに決めました。
本当はすでに人間関係に疲れきっていて、進学校へは行きたくありませんでした。
でも、当時の中学の担任の先生が頭がいいのにもったいないと言ってくれて、
登校日が足りていなかったはずなのに、奨学金を貰えるようにしてくれました。

その気持ちも嬉しくて、「県と企業の二ヶ所から貰えるし、企業の方は返さなくて良いものだから、家計の足しにもできるよ」と言われたことが決め手になり、進学校へ行くことにしました。
けれど、父から虐待を受けていたことや酷く貧乏な家庭だったことが災いして、さまざまなストレスがあり、一ヶ月も経たない内に不登校になりました。

高校生だった当時は、父は母に追い出され、もう家にはいませんでした。
私と母と妹と弟二人の、五人家族として暮らしていました。

その当時のことも、それ以前のことも、箇条書きのようには思い出せます。
けれど、私は今23才ですが、今までのことをはっきり思い出すことができません。
去年や一昨年でも、もうダメです。
詳しくは自分でも分からないのですが、思い出そうとすると、本当に辛くて死にたくなるので、今までは逃げてきました。

でも、三日後に短期アルバイトの面接があるので、今回こそはと思い、今までの職歴をしっかり思い出すことにしました。
今まではあやふやな記憶をたよりに履歴書を書いていましたが、このままではダメだと思ったからです。

何年も使ってない古い通帳を記帳して、給料を受け取っていた期間を元に、職歴を書きだしていこうとしました。
その口座は昔働いていたアルバイト先の、給料の受け取り用に指定していたものでしたが、高校生のころの奨学金受け取り用の口座でもありました。

前後しますが、奨学金は私が高校に一年在籍したので、一年分振り込まれていました。
半分は授業料として高校が自動で引き落とし、半分は残っていました。
金額でいうと、その頃口座に残っていたのは20万円くらいです。
けれど、今は800円くらいしか残っていません。

当時母に貸してくれと頼まれて、カードでATMにお金をおろしに行ったことがあるのは思い出せるのですが、いつだったのか、金額がいくらだったのか、何回頼まれたのかは思い出せません。
でも県から奨学金の返済を求める手紙が届いた時に、カードで預金を確認したところ、ほとんど無くなっていたので私は母と口論になりました。

母は自分はおろしていない、お前が使い込んだんだろうと言いました。
身に覚えは全くなかったのですが、母にカードを渡した覚えはないし、確かにそうかもしれないとも思いました。
口論になったのは高校を辞めてから2~3年経ったころで、一番うつ病だと思える症状が酷く、毎日死ぬことしか考えてなかったり、それすら考えずただ布団で寝ていたり、薬を飲んで自殺しようとしたりしていたときでした。

少し、自殺未遂について書きます。
その時、薬はお酒で流し込みながら飲んでいましたが、確か120錠の瓶の風邪薬を全部飲んで、箱の120錠くらいの痛み止めを半分くらい飲んだと思います。
よく分かっていなくて、薬とお酒で意識が朦朧とすれば首を吊っても苦しくないだろうと思い、ベルトも用意していました。
最後の方は飲んでるそばから飲み込めなくなって戻してしまい、苦しいので首を吊ろうとしたら、吐き気が酷すぎて無理でした。
三日間吐き続けて、喉はカラカラに乾くのに水分をとるとまた吐いて、一週間喋ることもできないまま寝込み、本当に辛かったので、二度とバカな真似はしないと思いました。

その時から福祉事務所の方にお話を聞いていただけるようになり、未だに自殺のことは考えていますが、当時の状態は思い出すと怖くなるようになりました。
でも、母はその時も「迷惑だから自殺なんてしないでくれる。掃除も大変だし、葬式代もかかるし。自分に酔ってるだけでしょ」と言っていました。
どう考えてもおかしいのですが、私は「確かにな」と納得しました。

なので、今まで血が出るような自殺未遂はしたことはありません。
薬を飲みまくったときも、部屋が汚れるかもしれないからと、自分の判断でおむつを買ってつけていました。
吐くとは思っていなかったので、袋の用意はしませんでした。
それについても「考えが足りなかった」と反省したくらいでした。

それからは、お金がかからない葬式の方法を探して家族が読めるように資料を請求しておいたり、薬以外の自殺方法で極力迷惑がかからないものを探したり、ずっと死ぬことばかり考えてる毎日でした。

そんな時に、奨学金の返済の手紙が来たので、記憶があやふやすぎて、口座のお金は自分が使ったんじゃないかと思いました。
記帳できる銀行にも遠くて行けないし、なにより怖いし、数日前まで何年間もずっと記帳もしていませんでした。

なので、今回は奨学金についても確認しようと思っていました。
私にはどうしても20万も使った覚えがありません。
記帳した通帳を確認したのはさっきです。
怖すぎて目で見ただけでは考えがまとまらないので、お金の流れをメモに書きうつし、日付やどこのATMで下ろしたかを考えつつ、誰が使ったのか突き止めてみようとしました。

すると、使ったのはどう考えても母でした。
私の口座には昔のアルバイト先のバイト代も振り込まれており、その額とほぼ同じ額が数日後に引き落とされていました。
これは私が使ったたものだと思います。

他にも、高校を辞めた直後はまだ比較的元気だったので、通信制の高校に通いはじめていたのですが、学費のために引き落とされたものは、私が使ったものです。
母が絶対に行くことがないJRのATMで引き落としていたので、見分けられました。

他にもいくつか分けていき、明らかに私がおろさないような額の引き落としだけをメモに集めました。
すると、私が学校を辞めてからたった1年の間で15万近くが引き落とされていました。
当時、どう考えても、15万なんて大金は使ってませんし、使い道もありません。
通信制の入学金は教材費なども含めて2万でしたが、それは奨学金から用意したものではありません。

当時は通信制すら辞めてしまいましたが、その理由もお金でした。
通信制でできた友達が遊ぼうと頻繁にゲームセンターに誘ってくれたのですが、地方なのでゲームセンターに行くまでの交通費とゲームセンターで使うお金だけで、1万くらいしか貰ってないバイト代が全て消えました。
金銭感覚の違いが恐ろしく、友達と会いたくないので引きこもり、通信制も辞めてしまいました。
15万も使い込むだけの度胸があれば、通信制を辞めることもなかったと思います。

奨学金とは関係ありませんが、レジで500円の誤差を出したことが怖くてバイトから逃げたり、そんなことばかりして生きてきました。
小さい頃から父や母が借金まみれで、私が借金取りと電話で話して両親は不在だと何度も嘘をついたり、父方の祖母に父の借金について私が怒鳴られたり、妹が両親のお金を盗むことを繰り返したり、お金のトラブルは酷いトラウマです。
今までお金で疑われないように、お金のミスも極力しないようにして来たはずですし、盗むわけもないと思います。

母が使ったと証明できるものはありませんが、私はその一点だけは譲りたくなかったので、母を問い詰めました。
母は「知らない。お前のカードも通帳もしらない。下ろしたことない」としか言いません。
カードも通帳も口座自体も、奨学金用に母と作ったものなので、知らないわけがありません。
暗証番号も知らないわけがないです。

ですが、そのことを話しても「知らない。お前が使ったんだ」としか答えません。
「たった1年で、私は15万も使わない。使い道もないし、万単位の引き落としの半分以上が、全部セブンイレブンで引き落とされている」と伝えましたがダメでした。

家があるのは本当に地方の方なので、当時はセブンイレブンは家から自転車で30分くらい行かないとありませんでした。
私が下ろしたなら、わざわざ遠くじゃなくて、自転車で15分の銀行に行くはずです。
その当時は母は、原付で通勤して、セブンイレブンでアルバイトをしています。
母がおろしたと考えた方が自然です。

私が母のせいにするためにわざわざ、ということもないと思います。
当時は、そんな嘘を訴える相手もいませんでした。
だから本気で死のうとしてました。
実際、数日前まで記帳すらしてなかったので、違うと思いです。

そんなやりとりを母と続けました。
自分の記憶がはっきりしていない不安は押しきって、ほとんど母を言い負かしました。

けれど、そうしたら「お前は狂ってるから無意識にやったんだろう」というようなことを言い始めました。
ずっと言われ続けてきたことです。
真に受けて障害者の就労支援施設に通ったこともありました。
精神科を三ヶ所転々として、その度にお医者さんは「あなたには発達障害や、知的障害の症状はないと思う」と言ってくれましたが、信じられなかったのも、母に「お前は発達障害だ」と言われ続けたからです。
私が、自分はうつ病だとはっきり言えないのも、母が「お前はうつ病じゃなくて、狂ってるだけだ。そのふりをしてるだけだ」と言い続けたからです。

でも、一年くらい前に福祉事務所の方にお話を聞いていただ時に、「悪いのは全てお母さんだと思う。一緒にやっつけよう」と言ってもらえたのがきっかけで、かなり立ち直ることが出来ました。
私は金銭的に自立できなかったので、逃げることも出来ず母と弟二人と、四人で同居状態なのですが、金銭面を頑張れば自分は大丈夫なんだと、自信も少しずつ持てるようになりました。

三日後の短期アルバイトの面接をきっかけに、ちゃんとしたものではありませんが、スーツに近い服も購入しました。
明日届きます。

でも、今はもう面接どころではないです。
母は口論を訳のわからない方に持っていき「お前にカバンを漁られたことがある。財布から金を盗んだだろう」と言い始めました。

思い出してみると、母が明らかに私を疑った声で呟きながら、鞄の荷物を拾い集めていたことがありました。
当然触ってないし、料理中だし、意味がわからないし、理不尽すぎて腹が立ったので無視しました。
その時のことかと聞くと、「それは三回目だ」と言われました。
わけが分かりません。

一回目と二回目は、母がトイレに入った直後に、カバンを漁る音が聞こえたらしいです。
三回目は中身が散らばっていたので確信したと言われました。
意味がわからないので、お金は減っていたのか聞くと「バレないぐらいの額を盗ったんだろう」と言われました。

「小銭を盗るためだけに、他人のカバンあさったって言いたいの?」と怒鳴ったら「小銭なんて言ってない。1000円札くらいだったら気がつかないだろうし、抜き取ったんだろう」と言われました。
1000円札が抜き取られていたら、警戒している二回目の時や、三回目の時に気がつきそうですが、それを母に言っても無駄でした。

さらに母は唐突に「私の歯ブラシで掃除して元の場所に戻しただろう」と言ってきました。
母の話だと、私が腹いせにやったようです。

家族の中で、私だけは歯ブラシを自分のコップの中に立ててあります。
私以外の家族の歯ブラシは、まとめて同じところに立ててあります。
たまにうっかり、家族と同じところに立ててしまうのですが、母がそれを見つけて私のコップに戻したそうです。

それに私が腹を立てて、母の歯ブラシでどこか汚い場所を掃除して、歯ブラシ立てに戻したと言われました。
私は長いこと洗面所から戻ってこなくて、戻ってきたときはしらっとしていたらしいです。
なので、不自然に思って確認していくと、歯ブラシが汚れていたそうです。

写真を撮ってあると言われたので、見せてもらいました。
確かに、歯ブラシは不自然なくらい毛が広がって、毛の隙間に大きな黒いゴマのようなものが挟まっていました。
その写真は私の弟たちにも見せて、今は離れて暮らしている妹にも送ったそうです。
妹は私の自殺未遂なども知っているので、「どこかに相談した方がいい。録音とかした方がいい」と母に言ったらしいです。

でも、見せてもらった歯ブラシの写真は毛先がとてもキレイで、汚れた場所をこすったようには見えませんでした。

もっと恐ろしいのは、母の歯ブラシに挟まっていたゴマのような黒いものが、以前私の歯ブラシにも挟まっていたことです。
少し気味が悪かったのですが、管理が悪いせいだ思い、つまんで捨てて、歯ブラシはよく洗って使ってしまいました。
ブラシの先も突然広がってましたが、勘違いだと思っていました。

書いていても、やっぱり意味が分かりません。
本当に疲れました。
母がおかしかったとしても、私が狂っているのだとしても、生きていたくありません。
歯ブラシを写した写真の日付は8月16日で、6日前は末の弟の誕生日でした。

弟の誕生日のために、電車とバスを乗り継いで、当日はケンタッキーやマックへ行きました。
半日がかりでした。
弟の誕生日プレゼントも、3ヶ月前から考えて、スマホを買うことにして、ラッピングも交通費がかからないように、単発の仕事へ行く度に捜しました。
上の弟から末の弟へのプレゼントも、上の弟にパソコンを貸して、ネットの使い方を教えながら、注文しました。
末の弟は、誕生日の当日、本当に嬉しそうにしてました。
お金が無くて中古の3000円のスマホでしたが、スマホなんて自分が使っていいものなの?なんて言って、ものすごく喜んでくれました。

でも、その6日後に母に歯ブラシを見せられたみたいです。
その時に母がなんて言って見せたのかも知りたくないですし、弟がなんて答えたのかも知りたくありません。
もう生きていたくないです。生きてる理由がないし、バカみたいです。
でも死ぬ勇気もありません。これ以上苦しい思いをしないで、消えてなくなりたいです。

ものすごく長くなって申し訳ありません。
助けてください。