はじめまして!今回初めてご利用させて頂くOkと申します。貴重なお時間を頂きますが、もし良ければ何かアドバイスを頂けましたら幸いです。



僕は美容業をしています(20代後半です)。

過去色々なサロンで営業させて頂きましたが、どのサロンでも上手くいかず...今は自営で、お客様のお陰で細々とですが、生活できています。

私ごとではありますが、周りのスタッフと上手く順応できなかったり、様々なミスから技術に信頼を置いて貰えなかったり。色々とありました(もちろん、企業や上司に順じて命じられた指示やアドバイスを忠実に守り、お金や睡眠時間を削って努力もしてきました。お陰で今に繋がってるかとは思いますが...)。

しかし、現実的には。生きるために夜も仕事を掛け持ちし、なるべくしてなったと考えながら、今後のために自店の企業努力をして生活しています。

過去、忙殺されていたというのも言い訳になるのですが...金銭的にも乏しい上、私の人間性の足りなさから、色々と配慮にかけていたのかと思います。
幸せにしたい。そう思ってました。
いつも支えてくれて、結婚を考えていた女性にもふられてしまい、結婚に対する意識や女性に対する積極性。お恥ずかしいながら、自分に対してだらしなくもなってしまいました。

私はできた人間ではないですし、甘えも勿体ないぐらいですが、「自分は一体何者で、何のために生きてるのか」最近分からなくなってしまいました。

お客様への愛情。
あの笑顔のために頑張ること。
これが自分のやりたいこと。でも、本当の意味での幸せとは何で、なぜ生きるのか?
そういう思いの自分が、本当に人を幸せにしてあげれているのだろうか?

何も残せず、何一つ取得もなく。

あるのは借金と命と、人並みの技術ぐらい。
素直に、自分が歩んできた道を喜べない。誇らしくもない。

また情熱や、生きる希望を持って生活する秘訣を、ぜひ教えて頂けたらと思います。

※追記ですが、何かの参考にして頂ければと思いますので...子供の頃の話や、この仕事を選んだ経緯も記載させて頂きます。

私は学生の頃は比較的頭の出来が悪く、高校の進学も部活動を優先する目的で選ぶほどでした。
様々な家庭背景の同級生(記載するのも悲しくなるので、お察し頂けたら幸いです)がいましたし、慣れない環境のせいか、一学年目は荒れたクラスでした。

楽しい学校生活を送りたかったのですが。
折が合わないグループに目をつけられ、また私も負けず嫌いな性格が祟り、イジメを受けたことをきっかけに、友達と溝も生まれ、すっかり心が荒みました(報復や人に暴力を振るったり、法に引っかかる行為は決してしてません)。

またそういった環境を自ら選んだことから逃げることもできず。耐えることを続けていくうちに...心が捻じ曲がったような感覚です。

淡い感情よりも、大人相手にすら「どうせ人はいざとなれば平気で裏切る」っと斜にかまえ相手にしないような、寂しい青春を送りました。

せめての復讐ではありませんが。
そんな自分と素直に向き合い続けるのも嫌で、このままではろくな人間になれないと子供心に感じ、美容という人を笑顔にする仕事を見つけ、苦手だった勉強を頑張りました。
学年での成績をトップクラスに維持。
大学推薦の話も頂きましたが、教師を信用していなかったのでお断りしました。
人を許す強さも知らないまま...高校を卒業。
入学金等、なるべく親に負担をかけず専門学校へ入学しました。

ここからは通学費や気持ちばかりの交友費を稼ぐ経緯から、お金を稼ぐための人の関わり合いの大変さも学び...。
表面上は明るい学生に変わりました。
しかし、やはり思春期に培った人間性は変わらないというか。
「無償の優しさ、健全な心」を養えていません。
きらびやかな人間を装うフリまでしていました。
そのせいか、やはり交友関係は浅いものであり。
腹で何考えているのかもお互い分からず...寂しいですが、今では疎遠になってしまった友人が多いです。

...

※家庭背景について。

家庭は裕福でもありませんでしたが、両親には胸を張って恩返しできているのかといえば、下記のとおり。お恥ずかしい話になってしまいます。

父は元々、家もない。公園で屋根のないアバラ小屋で生活していたと言います。
曽祖父が人の甘言に騙され、土地を売却したことから始まり、祖母(父の母)は人が変わったように仕事や所得に拘り、アルコール漬けの祖父との関係も冷め。体罰やDVもある現在でいうネグレストに近い家庭背景であったそうです。

ご飯も衣服も満足に与えられなかったことから、イジメを受け学校にも行かず、山で遊ぶような貧しい生活。

やがて成人し、いくつもバイトを重ね、仕事で成功することで1代で家を建てることができたそうです。
しかし祖母に無心されるので、お金は常になく、母とのお見合いがなければ死も考えるような生活をしていたそうです(生々しい自殺未遂の話を、荒れていた思春期の私に話した)。


母は本島から離れた離島で産まれました。
次女であったこと。丙午(男を喰い殺すと言われ出産を避けた生まれ年)であったことから、三人兄弟の末の、長男(母の弟で、私の叔父)と比較され、幼い頃から自分だけが家事や仕事を手伝い、両親に充分な愛情を与えられなかったと、私が幼い頃からよく話しています。
曽祖父・曾祖母にだけは唯一可愛がられたのが救いだったそうです。
また、叔父は素行が悪く、それが原因で常に人からイジメを受けていたと言います。
居場所がないことから、中学卒業と共に離島を離れ、美容師を目指し住み込みで働くことになってしまいました。

そして後に二人はお見合い婚をしたそうですが...これも、父や祖母が外堀を囲い、逃げられないようにして結婚を迫られたと母は主張します(幼い私になぜそんな愛もないことを言ったのか本気で怒り問いただすと、一時的に仕事を放棄したかったことも後に判明しました)。
しかし実際に、祖母の嫁いびりは酷く、母も育ちの悪さから反発し合い、何度も離婚の危機がありました。
可哀想であると感じながら、もっと上手く立ち回れなかったのかと幼いながら半分疑問に感じていましたが...。

「出て行くなら俺を轢き殺していけ!」

っと凄まじい形相で、母と私の乗る車の前に立ちはだかる祖母を今でも鮮明に覚えています。

父は愚直なまで真面目で、不器用な人間です。
上記の内容後は暴れ家具を壊しながら、祖母を怒鳴りつけることが日常茶飯事でした。
しかし、母をどうやってフォローすればいいか分からず...。

祖母が他界し、私が思春期になった頃。

イジメを受け世の中を斜めから見る態度から、今度は私と両親が幾度も衝突します。

やるべきことを遂行すれば良いという適当さ。
己が生きるために他人なんてどうでもいい。

親からしたら、可愛げのないことこの上なかったと思います。

「己らが傷を舐め合うような結婚をしたから俺が生まれたが、こんな形式だけの愛情もないことばかりしやがって!俺は俺なりにお前らが見えない所で将来を考えて頑張ってんだよ!何もお手本にもならないくせに、子供に気を使わせてんじゃねぇ!謝りやがれ!!」

父は言います。俺は我慢してきた。耐えて耐えて、100円の物を売るためにどれほどのエネルギーを使い、背景にどんなシナリオがある事か。それでお前を養ってきた。それは違うのか?テメェは世の中や親に甘えているだけだ!

母は言います。過去はどうであれ、腹を痛めて産んだお前への愛情は嘘ではない。頼むから、落ち着いて言うことを聞いて欲しい。


早々と親元を離れ、苦労をしてお金を送る方が良かったかもしれません。
当時の私は自分の意思を尊重するため、(媚びて寄生しても専門学校は卒業してやる。今にみてろ...。)
などと、とんでもないいことを考え、卒業と同時に就職した先のサロンに転勤を要請し、家を出ることにしました。

転勤先の寮で先輩や後輩との支え合い。
未だ徒弟制度の残るこの業界で揉まれてきたことで、やっと理解することも多々ありました。
次々とケガや体調不良で同僚達が脱落していく中。
真夜中、一人の暗い部屋。
食事も摂れず、衣服を脱げばガリガリに痩せ細った体。
虚しくシンクの上でギラギラと光る包丁を見て、咄嗟に腹を刺そうとした時も。
父の身の上話を思い出し、ただただ笑うしかなかったことも、今では良い思い出です。

そんな状態を見かね、献身的私を支えてくれた人も居ましたが...仕事が充実すれば忙しくもなり。出世欲も現れ。
知らずの内に彼女の存在を疎んじ結果として嫌われてしまったことも、当たり前のことでした。

「私はこれまで我慢ばかりしてきたけど、人はそんなに強くない。貴方は人の気持ちを分かろうとしないし、愛のない人には着いていけない。結婚は考えられないから、別れて欲しい...。」

「どうして...俺はせめて早く安定して、将来のためにと必死で自分を削って頑張ってきたことを分かって欲しかった。これでも、愛してたんだ...。」

普段優しい彼女が、強く意思を表し自ら別れを切り出したはずなのに。
私が消えそな声でそう言うと、何故かボロボロと泣いていました。

その時の私ではこれ以上のことはできないと悟り、サヨナラを告げ自らが通話ボタンを切りました。

「待って」言われた気がしましたが、答えも分からず逃げてしまった。

別れ際。このような言葉が出て、後にも先にも本気で愛していたことを知ると、あまりの現実感のなさに涙すら流せないことにショックを覚えました。
翌朝まで頭の先から爪先にかけ、力が入らないような。
憎しみと愛情。悲しみで頭の中がグルグルする。
仕事中は笑顔で。人前では気丈に振舞っていても、恐らく頭がおかしくなっていたと思うのです。

指輪や思い出の品を処理する際に、(ごめんね...ごめんね...)と幻聴が聞こえてくるのです。


こんな非科学的なこと、脳が都合の良いように解釈してるのだろうと気合いを入れ、煩い!と一喝し、心を鬼にして強く持ちましたが。

彼女に対しては。
今は忘れ幸せを願う努力をし、これ以上人を悲しませないようにすることが、せめてもの彼女の心への償いだと思っています。

...このように、沢山の投資をしてくれた人々の気苦労も考えれば、もっと将来について考え、苦労をかけないよう努力するべきでした。

両親が幼かった私に対する、罪滅ぼしのように。
息子にだけは不自由さを感じさせたくないという思いも。

皮肉な話。戻ってきた今では、やっと家族の形式に拘り始めた両親と、休みもない仕事の考えや、生活リズムが合わず度々衝突するなんて現状なのですが...。

...
この内容を書きながら、「何かに演じることに固執して、本来の自分がどんな
性格で、どういう人間なのか今まで考えたことがない」なと気づきました。

恋愛に関してもこれではよくないと考え...。
恋愛感を高めることに意義を感じないのなら。
人に愛情を持つ方法や、それを維持しコントロールする方法を考えようと試みています。
自分が雄という生き物として考えれば、それも言い訳のようにも感じるのですが...。

こういった過去がどうにしても...ご覧になられた方にご不快な思いをさせるような、泣き言は避けて人生に立ち向かわかければいけないのも、重々承知しております。

仕事の都合上、人から身の上話や相談を受けることが多々あります。
SNSでサロンの相談窓口を作っても、なぜかそういった流れになってしまったり。

他のサロンには行き辛いという、「何かしらの悩みを抱えているお客様」がいらしているような感じです。
口下手で、ネガティブな話をしても迷惑にしかならないのであまり思いを打ち明けることができない。
私はどう自分の人生にフォーカスを当てていけばいいのか、正直分からなくなってしまったのです。


厳しいご意見でも構いません。前向きに、少しでも楽に生きる知恵やスパイスを拝借できたら幸いです。