包み隠さず言います。

1989年6月10日に私は生まれた。
父と母の二人が仲良くしていた記憶は殆ど皆無。
弟が産まれてから二人の愛情は減ってしまったと、感じるようになってから弟が邪魔で仕方なかった。


小学校四年生になってからヒステリーに振舞ったり癇癪を起こしたりして親の気を引こうとしていたんだと思う。
母親から「外で恥ずかしいことしないでね」と言われてから、外と内ではまるで性格が変わってしまった。
内ではヒステリーに、外では口数を減らし、問題も起こさないような手のかからない子供を演じてた。
学校の先生方の評判は悪くなかったと思う。でも、クラスからはいじめの標的にされやすかった。不登校気味になっていたのも四年生あたりだった。
いじめのことで親や先生に相談してもいじめられる方にも原因はあるだろうと、
自分は何も悪くない。解っているのは自分だけで味方が誰もいないと気づいた時、その思いが募って自分が悪くても素直に謝罪の言葉を口に出すことができなくなってしまった。

それが原因でいじめは小学校の四年生から中学一年生まで続いていった。それは自業自得だから仕方ないし、誰かに話したところでどうにかなるわけでもない事だと諦めていた。

中学校1年生の時が地獄だった。
いつからかは分からないけど父親が仕事のことで借金抱えてアル中になってから両親の仲は最悪だった。社長の借金を肩代わりして、その社長には逃げられ仕事を辞めて一日中家でお酒と宗教のお経唱える姿しか見たことがない。
姿を表すのは食事かお酒飲んでるときと、出勤前くらいだけだったけどそれすらずいぶんと減ってしまい、いるんだかいないんだか分からない存在になっていた。

学校を休みがちになって、毎回学校に連絡する事が嫌になってきた母は毎朝床に蹲る私の髪を引っ張ったり叩いたり殴る蹴るなどの暴力を振るい、それまでの父の事も含めて鬱憤を晴らしていたようにも思えた。ひどい時は父からも蹴られ仲の悪い弟からは罵倒される日々が続いた。学校にも家にも居場所なんてなかった。
自殺の事はいつも考えてた。無知だったため首を絞めるか包丁で首に突き付けようとしたりもしたけど、ただただ恐怖しかなく自殺を諦めた。

学年が上がるとだいぶ程度の低いいじめは減っていて、そこからは何も考えず何も感じず両親が離婚する事になっても、ただ無関心を決め込んでいた。
将来の目標や夢について考えるより明日私は生きているのか?とりあえず流れに任せて母の望むとおり高卒はしてほしいと言われたいたので高卒までは学業を終える事ができた。

父がいなくって母は長女である私を当てにしていた。とりあえず高卒しとけば就職に有利だと言って母は断固として大学進学を認めず就職する事を譲らなかった。
生活が厳しいから弟が就職するまでは一ヶ月生活費5万円を必ず渡していた。
弟は高校卒業してからは就職せず専門学校へ進学するようになり弟自身のやりたい事のために自分が犠牲になっているのが何より許せなかった。

一人暮らしを考えるようになったのはつい最近の事で、理由は弟が就職し稼げるようになったから。
この間、「一人暮らしの為に貯金したいから生活費を減らしてほしい」と、母に告げたところ帰ってきた返事は「それで何か安くなるの?」だった。応援するわけでもなく、反対するわけでもない。ただ、母親自身の環境が豊かになることの方が重要らしく私の将来の事なんて考えていないのだと、その時ようやくわかった。がっかりだった。

心療内科にはもう通ってる。
自分が障害者でキチガイなのは理解してる。
診断はADHD・社会不安障害・うつ病
その事で会社を辞めたいと上司に訴えたところ
「障害者なわけがない」「ただ楽がしたいだけ」「もう少し待ってほしい」と言われたので渋々会社には通っている。でも、最近別の人が辞めると言いだして引き止めたのかどうかは分からないけどそれを承諾しているのだとしたらもう誰かを信じることを辞めようかとも思い始めた。

因みに精神障害三級。通院先の先生とは挨拶のような同じ会話を繰り返して薬を貰うだけ。薬を貰うだけの為に通ってる。死にたいなんて相談できないし本当にどうしたらいいか分からない。

ただ私は、今の環境から一刻も早く逃げたいだけ。
それができないなら死んだ方がマシだ。