小さい頃から一人だった。
妹のほうが断然可愛がられ、私はブスだから可愛がられたりしなかった。ブスだから笑うなとまで言われ、学校関係もろくに通うこと、できなかった。私の青春時代は暗いものでろくなことなかった。毎日昼夜逆転で夜はずっと泣いてた。部屋を分けてほしい、綺麗にしてほしい、そんなことすら聞き入れてはもらえず、友達なんか家に来たことないくらい人と接することなんてない幼少期から思春期を過ごした。友達と呼べる人なんかいない。関わりたくもない。大嫌いが育ってしまった。

人間嫌いをなんとかしたくて高2から接客のバイトを始めた。専門学校卒業して就職するまで頑張った。お客さんから接客態度を褒められて、お世辞でも嬉しかった。私にとって、初めて人から認められた体験だった。

心身ともに荒んでたけど、バイトが私の唯一の生きてる場所だった。それ以降はずっと、転々としたけど10年くらいは一般的な社会人生活をしてきた。でも使い捨て。友達なんかいない。ただ働くだけ、生きるために必要な場所だった。

最後に居た会社は倒産。
私は、地獄な日々を耐えてきたけど既に障害者手帳を持ってしまってた。だから、障害者職業支援センターに通うことにして、全うした。

支援センターに至るまでに介護職も体験した。利用者さん達は優しかった。私を好きだと言ってくれていた。けれど、そこでも半端無く虐めに遭っていた。抑鬱になり退職。自暴自棄だった。なんでやめなきゃならなかったの?ずっと、傷ついたまま今に至ってる。

臍の緒付きのホント生まれて間もない子猫にも出会ってひと月弱、共に暮らした。子供なんて一生無理だと諦めてたから子育て中は幸せだった。なのに家族は捨てて来いの一点張り。正直、人として許せなかったしこんな家族なんだと幻滅した。結局、子猫の将来が安泰したものであるように願い、里親を募集した。それまで病院行って見てもらい、完全ミルクで育ててた。温度管理も徹底した。やっと育てた子猫はすくすく育ち、良い里親様にも出会えて嬉しかった。検査結果も良くて、向こうで元気にしてる話を聞くと気持ちが安心した。幸せに育ってほしい。今はそれだけが私の願い。大好きだった。

こんな家、ろくな人いないって痛感した。
最悪な人間が揃い踏み。

子猫捨ててこいとかいう家族のもとで、結婚や子育てなんかするもんじゃないと悟った。物悲しさが襲ってきた。絶望しかない。

私は家族すら嫌いになった。
妹からはクズ呼ばわり。
祖母は私をキチガイと罵り
母は、子猫を早く捨てて来いという。
父は、お前の話なんか聞きたくもない。と専門家に行けと突き放す。

私はずっと前から信頼できる人は専門医とカウンセラーの先生だけで生きてきた。人なんか大嫌いだ。

今年30歳になるけど、傷が癒えない。
エグられている。

これから働き先探すから、諦めてはいないけど、働いてても散々な目にしかあったことないから正直不安。

家族を家族とも思っていない親不孝者になってしまった。この先も、関わりを持ちたくないし縁を切りたいとまで思う始末。

あんたなんかどこの会社も使わないよと、働き先で言われた言葉は最低だった。お前なんかいないほうがいい。死ねよ。とまで言われた。八つ当たりにもほどがある。そんな会社潰れて当然だと思った。

喪失感ばかりが大きくなって、状態も悪い今、死にたいくらい人生が嫌になってる。

私は生まれてこなければよかった。
そう思うまで追い詰めた人が憎い。

ささやかでいいから、安らかな日常が欲しい。今はただ、それだけ。