私には5つ上の姉と、重い知的障害を持つ3つ上の兄がいます。兄は話す事も出来なければ、食事や排泄など生きる為に必要な事全てに誰かの助けが必要です。
そんな中、姉が将来兄を1人で面倒をみるのは大変だから、という理由で産まれたのが私でした。因みに兄と私の間にはもう1人兄弟がいたそうですが、育てられない、とその時は堕胎したそうです。
産まれた理由はまぁどうでも良く(もう我が人生を楽しんでいるので)、ちょっと自分でも嫌になる癖、というか気になる事?を書き殴りに来ました。
高校から大学を卒業するまで、非常に体が弱かった私は事ある毎に病院へ通っていました。いつも大した事ない風邪や手湿疹のような軽いものばかりでしたが、2週間に1度は病院にかかるような生活を続けていました。
病気になり、薬を飲んでいれば母が私を見てくれたからです。そんな生活を続けていると、不思議と本当に具合が悪くなる事が多かったのですが…
当時は何故自分がこんなに病気をするのかわかりませんでした。でも最初の方は母が心配してくれるのが心地よくて、堪らなかったのを覚えています。
優秀な姉には絶対に勝てず、母の視線の先には必ず兄がいました。母も兄を育てるのに必死だったのでしょう。兄弟3人を平等に見ているつもりだったとは思いますが、どうしても優先順位は兄が1番なのです。それは覆すのが難しい絶対の事実でした。
私はきっと寂しかったのだと思います。だんだん母も私の病気への関心が薄れてきて寂しさを覚えましたが、大した事なくても体調が悪いのは事実ですから病院には通い続けました。

そして大学卒業間近の時、遂に医者から「虚弱体質です」と告げられました。長年、私が待ち望んでいた言葉でした。それも母が隣で聞いている状態で。母の関心が自分に向き、一瞬、喜びました。
でも何故か次の瞬間には苛つきました。待ち望んでいた筈の言葉なのに「虚弱体質」と言われた事がとてもカチンと来たのです。自分でも意味がわかりませんでしたが、その後、ぱったりと病院へ行く回数が減りました。
「自分は虚弱体質なんかじゃない!!」という怒りとともに健康になり、ほとんど体調を崩す事なく5年が過ぎました。
眠っている間に歩き回るというとんでもない奇行の原因を探る為に検査入院した以外は、大きな病気もせずに過ごしています。
ただ、最近また大した事なさそうな病状(腹痛や皮膚炎)で病院へ行きたくなります。
現在、保育士として1歳児クラスを担当させて頂いているので、感染性胃腸炎だと困る、と腹痛や胃腸炎症状だと早目に病院へ行かせては貰えるのですが…
また病院へ行くのが癖になってしまったら怖い、と思い、気持ちの整理がてら書かせていただきました。

多分、私は兄に勝ちたかったんだと思います。
どう足掻いたって、母の1番は兄です。その兄に勝つには、兄以上に重い病気になるしかなかった。母の関心を自分自身に向ける為には。
恥ずかしながら…今でも私は母に抱きしめてもらいたいです。
愛されていなかった訳ではありません。寧ろ愛情はたくさん貰っていたと思います。私は妹でしたから、全ての思い出に兄が必ずいます。これを打ちながら多分それが気に入らなくて病院へ行きまくるという母への反抗?関心を自分に向ける為の、金のかかる行為を繰り返していたのだと思います。

私は今でも病気への憧れがあります。去年、後輩が肝炎で1ヶ月ほど入院していましたが、不謹慎ですが、羨ましかったです。
色んな人の関心を一度に自分自身に向ける事ができるのですから。こんな事、絶対に本人には言えませんが。

支離滅裂な文章になりました。相談なのか独り言なのかわかりませんが、私と似たような思いをしている人がいたら、励みになればと思い、投稿します。
稚拙な文章を最後までご覧頂き、ありがとうございました。