とてつもなく長いです。時間のあるの閲覧を推薦します。
死にたい。
私にはなんの取り柄もないし、全てが人並み以下だから、存在価値なんてないです。それに人と関わる事が疲れました。楽しいことはあるけれど、1人で悩む時間は楽しいことと同じ時間くらいだと思います。それは、人間関係でだけでなく、自分自身についての悩みでも、です。
私は鬱なんでしょうか。
鬱にしては低レベルだと思うし、こんなので鬱というのは、本当に鬱の人に申し訳ない気持ちがあります。鬱は慢性的と聞きますが、私は慢性的ではなく、急性的だと思います。だからそうでないと思うんです。
例えば、親に何か言われて病みます。でも、1日どっと病んで、2日目の朝は憂鬱な気持ちでいっぱいで、死にたいと思います。友達に会っても、関わるのが面倒くさいと思ってしまいます。しかし友達と笑いあったり、話し合ったりすると元気が出て、いつもの自分に戻れます。心の中では関わる事を面倒だなんて思うくせに、自分の良いようには使うなんて、最低ですよね。この前は2日目でも友達の前で笑顔を演じれたのですが、最近は出来なくなってしまいました。まぁ、友達には病んでいるなど気付かれませんが笑

私は病むことに関して、大体親に怒られる、親に腹が立つなど、親が原因です。友達関係ではあまりないです。あるとしても、険悪な仲になって、などという理由ではなく、一方的な悩みで苦悩することはあります。こういう所を治して欲しいけれど、言えないなど。しかし病みまで行くことは、滅多に無いです。あるとしても、言えない自分が嫌になったなどです。結局は自己嫌悪が原因になります。
話を戻しますが、先ほどの例なども鬱なのでしょうか。
私は人に相談をしない人で、困ったことや悩みがあっても、親にはもちろん仲の良い友達にも話さないことが多いです。だから本当の自分を知っている人は、私以外居ないだろうなとおもっています。親は私を知ったかぶってきますが、ハズレの面も多いです。違うなどと、私は何も言い返さないんですが。どうせわかって貰えないと思うからです。(もしかしたらこれも、友達に対しても思っているのかもしれません)
自分の考えを全部聞いてくれる人が幼い頃からいませんでした。例えば数学の問題で、間違えたとします。私は、私がどう考えて問題を解いたか先生に聞いてもらいたかったんです。しかし先生は、何故正解はこうなるかを言い、自分の説明をし終わりました。本当は、私の意見を聞いて、私の誤解や惜しい部分を知ってもらいたかったんです。もちろん正解の方法を知ることの重要さはわかります。
こんなことが良くありました。私は問題の大元をわかっていたけれど、些細な誤解で間違えてしまった。けれど先生は考え方を間違えていると判断し、何も分かっていないと思う。そんなの根本的に否定されるような気がして、嫌でした。また、本当に自分の考えを理解してくれているのではないと思い、嫌でした。また私は辛い事があった人の話を黙って全て聞いてあげたいと思います。それは、自分がそうして欲しかったから、なのかなと思っています。

私は口下手で、話すのが苦手です。自分の気持ちや考えを伝えるのも、ダラダラと長くとても聞にくい話になってしまいます。文字では、まだ整理して伝えれるのですが、言葉では自分の伝えたいことや悩み、気持ちを表現出来ないんです。どうしても、語弊が生まれてしまって、先程と同様に不快な気持ちになってしまうんです。(後半の話)
伝えたい気持ちが沢山あって、けれど上手く言葉には出来なくて、相手には上手く伝わらなくて。それがもどかしくなって、腹が立ってしまって。誤解されたまま認識されてしまう。それならもう、何も知らなくていいと考えてしまうんです。お互いの為にも。
本当に自分が嫌いです。そう考えつくことも。

結局何が言いたいかわかりません笑
私は愚痴りたい、誰かに聞いてもらいたいだけだったんだと思います。知り合いには言えないから、こういう所で言うのが好きなんです。自分の性にも合っていると思います。

こんなに長い文を最後まで読んでくださったことに感謝します。本当にありがとうございました。