人生の全てに悩んでいます。
僕は、小さい頃から兄と比べられて

「お兄ちゃんはこうだった。こうしていた。」と言われて、育ってきました。 兄の背中をみて、こうならないといけないと思って、自分らしさを何も見せずにマネして生きてきました。家族や友達の前でも、らしさを閉じ込めて演じてきました。

中学生になると、もう自分がわからなくなって不安定になり、毎日が楽しくなかった。親の愛は、兄から弟に移り、何も感じられなかった。
高校、大学とただ時間を過ごして、無駄にしました。

小学校の先生になっても、何も評価されませんでした。安全主任として不審者対応訓練の計画や指導した児童の作品で特選を取っても、相手にされない。逆に指導方法を否定される。

校長に話しかけると「仕事中だから」と言い、お気に入りの職員と雑談を始める。僕のは仕事ですらない、雑用なのかと。教室で何度泣いたか。挙句の果てに、図工で特選を取ったことを評価をしているから、「専科になってくれないか。」と、指導方法を否定していたのに、褒めることもしなかったのに。

5年目の異動の年に、そう言われて納得はできない。仕事への意欲を失いました。それでも、やっていたのは子どもの笑顔があるからだった。
でも、結局それも壊された。
同じ職場の先生と付き合うことになった。

相談や質問に答えるうちに、笑顔に惹かれていった。それが間違いだった。
僕が二股されて別れたことを伝えた上で、付き合うと、三股だった。三股の3番手。最悪の結果。今まで、付き合った人と比べても、素敵な笑顔の人だった。結果は、悪魔の笑顔。そんな人から言われた言葉、「怖い。」僕が怖い、人を騙す、平気で嘘をつくのだから。

好きだった人に、連続で裏切られることで、心が完全に砕けた。情緒不安定な鬱状態、人間不信、恐怖心、極度の不安、疑心暗鬼。いろんなものが襲ってきた。特に、子どもを信用、信頼するのもできなくなった。この子たちも、平気で騙して誤魔化すんだろうなと。教室に、子どもたちが来るのが怖かった。平気を装うしかない。僕も嘘つきでした。

三股したあの子は、何も感じずに子どもたちに笑顔で接して、元気に楽しくしていた。その姿をみて、思いました。あの子のような貪欲さ何事にも動じない姿勢、時には倫理観を破ってもいい人が、先生として向いているのだと。僕なんかでは、ダメなのだと。

生きてる心地がしなかった。仕事の意味もなく、私生活も必要なくなった。
人生全てが光も見えず、暗闇です。
何で先生になったのか、先生になんてならなければよかった。この年になってまで生きたくなかった。

何も残っていない。仕事のやりがいを無くし、人を信頼することもできない。もし、次はという言葉は何も意味がない。

未来を考えてなんて、今を絶望しているのにできない。好きな人を信じたのに、僕が馬鹿だった。人を信じるなんて。

どうせ、他人だから信じることが間違い。他人は自分の幸せを得ることが一番なんだから。そのためなら、倫理観すら気にしないんだろう。僕は心が弱く、自分の幸せを掴み取ることができない落ちこぼれ。
なんで、生きているのか。