一般高校の高二男子です
私は「二分脊椎」と「水頭症」を持って生まれ、身体障害者手帳3級を所持しています。下半身の一部麻痺に加え、24時間おむつの着用が欠かせない「排泄障害」を抱えていますが、見た目には分かりにくいため、周囲の助けを借りずとも生活することができています。
人生の大きな転換点は、小学1年生の時でした。先生から障害の公表について尋ねられた際、私は自らの意志で「言わない」と決めました。誰かに強制されたわけではなく、「自分を隠してでも、みんなと同じように普通に生きたい」という、幼いながらも切実な願いからの決断でした。それ以来、周囲の環境に溶け込もうと自分なりに努めてきましたが、その状態を維持するために自分を消し、自分や皆に嘘を重ねてきたことで、最近では自分の感情をどこか遠くから眺めているような、第三者目線で捉えてしまうことが増えました。
友人や周囲の方からは「どこか他人行儀で、一線引いている感じがする」と言われることがあります。自分では失礼のないように、また波風を立てないようにと細心の注意を払ってきたつもりでしたが、それがかえって心の距離を作ってしまっていたのかもしれません。日常の些細な場面でも、例えば誰かを「好き」だと感じた際、それが心からの純粋な好意なのか、あるいは自分にとって都合の良い関係を求めているだけではないかと、自分の気持ちを素直に信じることができず戸惑いを感じることがありますが、これもあくまで一例に過ぎません。一見すると普通に生活できているように見えますが、その内側では、相手に本当の自分を知られることを恐れ、誰のことも心から信用できずにいました。当時の自分には、一つの嘘を背負い続けることの重さが、十分には分かっていなかったのだと思います。
今も心に深く残っている大切な記憶があります。それは小学生の頃、施設で一緒だったある友人のことです。彼は私と同じ病気を抱えていましたが、私よりも症状が重く、車椅子での生活に加え、合併症も多くありました。不自由なことが多いはずなのに、彼はいつも穏やかに笑い、散歩中に電車が通るだけで心から喜んでいました。私は彼よりも体が動く分だけ目線も高く、電車もよく見えていたはずなのに、あの子のように素直に笑うことができていない自分に、幼心にずっと突っかかるものを感じていました。ありのままの姿で明るく過ごしていた彼と、正体を隠して周囲の顔色を伺っている自分。条件としては恵まれているはずの私の方が、彼よりも幸せを感じられていない日常に、強い疑問を抱くようになりました。
この記憶は、今の私が「普通」という言葉への執着から離れ、自分の現実を認めた上で、本当の意味で身の丈に合った自分として歩んでいきたいと願う、大切な原点になっています。ふとした瞬間に過去の些細な発言を思い出しては「相手に嫌な思いをさせたのではないか」と延々と悩み続けたり、昔の嫌な記憶が不意に蘇ったりして自分を責めてしまうこともありますが、この先もずっと自分を隠し続け、本来の自分とは違う姿を保ちながら生きていくことには、もう限界を感じ始めています。
どうすれば、これまで抱えてきた孤独や、ふとした時に蘇る嫌な記憶に折り合いをつけ、自分の心を取り戻していけるでしょうか。自分勝手な悩みであることは自覚しておりますが何か助言して頂けると幸いです
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参考:似ている悩みと対処法
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もも(ココオルスタッフチームリーダー)
π- 2026-01-15 03:53
読ませて頂きました。
障害を持っていることを「言わない」と決め、周りの環境に一生懸命溶け込もうと、たくさんの努力をしてこられたことが伝わってきました。
「みんなと同じように普通に生きたい」と願う気持ちは自然なことだと思います。
幼い頃は何とかやってこられたものの、最近になり、第三者的目線で自分を捉えるようになっていて、だんだん辛くなってきたというわけですよね。
お友達からは、「どこか他人行儀な感じがする」と言われ、ひでさんは相手のことを想ってやっていたことが、かえって心の距離を生んでしまったのかもしれないと感じたんですね。
幼い頃、障害を持っていることを公表せず、周りに溶け込もうと努力したことは、当時のひでさんなりに考えて、自分を守ろうとした最善の策だったと思うんです。
それは何も悪いことではないし、むしろ自分を守る努力をしたとも言えますよね(*^-^*)
ところが、その方法では今のひでさんには「合わなくなってきた」「もうその方法は必要ない」と感じているから苦しいのだと思います。
心が限界を感じているということは、ひでさんが変わる時期を迎えているのだと私は捉えています。
ひでさんの心に残っている大切な記憶も、その後のひでさんの考え方に影響を与える出来事でしたね(^^)
その出来事は、幼いひでさんの心に、「自分の人生についての問い」を芽生えさせたのではないでしょうか。
ひでさんは今、この「問い」に応えようとしているのかもしれませんね。
本当に、今までよく頑張ってこられましたね。
私も一緒に考えていくので、ひでさんが自分らしく生きていけるよう、今できることから取り組んでいきましょう!
ここで少し確認のための質問などに答えて頂ければと思います(^^)
・周囲に、障害があることは言っていないとのことでしたが、お友達の中で、例外的に「この子だけには言っている」ということはないでしょうか?
例えばですが、修学旅行の時など、隠すのが大変だったのではないかと思ったのですが、誰か協力してくれる人がいたのかな?と思い、質問させて頂きました。
・もし、周囲の人たちに障害を公表したら、どうなると思いますか?
ひでさんの考えを教えてもらえればと思います。
お返事お待ちしていますね(*^-^*)
ひで
π- 2026-01-15 19:15
1つ目の質問ですが、
私の障害について知っている人は周囲に数名いますが、「大まかに障害がある」という事実を知っているだけで、おむつを使用していることなどの詳しい事情まで話した相手は今はいません。
過去には、小学校の特別支援学級で一緒だった4歳年上の、お姉さんのような存在の方にだけはすべてを話したことがありました。しかし、持病のあった彼女は私が小学2年生の時に他界されました。それ以降、学校の先生など立場上説明が必要な人を除いて、自分から打ち明けたことはありません。修学旅行などの行事も、小学校時はコロナ禍で中止になり、中高もなんとか自力でやりくりして乗り切ってきました。日々の学校生活でもトイレに関することには細心の注意を払っていますが、やはり難しいと感じる場面もあります。
2つ目の質問は
正直なところよく分からないって言うのが素直な答えです。みんなが寛容であってほしいという思いはあっても、現実はそう甘くないだろうという冷めた認識もあります。どこか「世間一般ではこうだろうな」という回答をなぞっているだけで、自分自身のことなのにどこか他人事のような感覚さえあります。
秘密がバレるのを防ぐために、どんなに仲良くなっても一定の距離を置くことは欠かせません。深入りしないように過ごしているうちに、自分は人に対して根本的に無関心なのかもしれない、と感じることもあります。
ただ、それでも人との関わり自体をなくしたいわけではありません。そのため、相手を怒らせたり関係が壊れたりしないよう、声のトーンや表情、しぐさなどの情報を、癖のように人一倍溜め込んでしまいます。「無関心」と言いつつも、そうやって相手の情報を拾い集めることで、なんとか上手くバランスをとって今の関係性を保っているのだと思います。
もも(ココオルスタッフチームリーダー)
π- 2026-01-20 01:14
ひでさんの障害を大まかに知っている人が数名いるといった状況ですね。
詳しい事情まで話した相手はいないと。
特別支援学級で一緒だったお姉さんのような存在だった子には、全てを打ち明けられたんですね。
ひでさんにとって、心を許せる相手だったのだと思います。
その彼女が他界されたこと、本当に胸が締め付けられる思いです。
とても悲しい思いをされましたよね。
それ以降は、先生など説明が必要な人にだけ伝えてきたというわけですね。
修学旅行の時など、なんとか自力で頑張って乗り越えてこられたんですね。
そうですよね、たしかにトイレに関することは難しい問題ではありますよね。
打ち明けたらどうなると思うか?ということについてですが。
寛容であって欲しいという気持ちがあるけど、そう簡単ではないだろうという思いもあるとのことですね。
障害があることを秘密にするとなると、いつも注意を払わないといけないし、警戒する気持ちも生まれると思います。
そうなると、仲良くなっても、それ以上は踏み込まないといった防衛線を張ることになってしまうと思うんですよね。
ひでさんは、人に対して無関心なのでは?と感じておられるようですが、私の意見は少し違っていて(^^)
とても相手のことを考えられる人だと感じています。
本当に無関心なのであれば、相手との関係が壊れないように気をつかったり、声のトーンや表情などを見たりしないのでね。
ひでさんも言っておられるように、無関心と言いつつも、なんとか上手くバランスを取りたい、自分のことを認めてくれたら嬉しいなぁという気持ちもありますよね!
今すぐに、周囲の誰かに全てを打ち明ける必要はないし、無理にそれをしようとしても怖い気持ちが勝ってしまうと思うんですよね。
今の時点で「大まかに障害がある」と打ち明けられていることはとても良いことだと思います(*^-^*)
それも、勇気のいることだったと思いますよ。
ひでさんにとって、障害を全て打ち明けることは、どのくらい重要なことでしょうか?
もし点数をつけるとしたら、10点満点中、何点くらいの重要度だと思いますか?
それを言えないと自分はダメだ、自分らしく生きていくには障害のことを全て伝えるしかない、などと感じていますか??