いつもお世話になっております。

ようやく、最大の繁忙期を切り抜けました。長かったです。約4ヶ月、ひたすら走り続けて、今完全にエネルギーが切れてしまったかのようです。

前回、自分の醜い感情について相談させて頂きました。それと関連するのですが、他人に悪意ある感情を抱くにもかかわらず、他人から嫌われたり避けられたりするのが最近とても怖いのです。人に嫌われるのが好きな人など居ないでしょうが、後輩達が集まって小声で何か話している時は、きっと私の悪口を言っているに違いない、と思えてならないのです。

きっかけは些細な事です。職場の後輩の恋愛相談に乗っている時に、そういう付き合い方は自分勝手なんじゃない?そう言ってしまった事だと思います。そもそも私は恋愛に全く興味がありません。男性自体が怖い程です。それを知ってなお、後輩は私に恋愛相談を持ちかけ、悩み落ち込むのです。聞いていて段々と苛苛してしまい、つい本音が零れてしまった感じです。それ以降、彼女の態度が急変しました。下らない話も振ってくれない、常に敬語、目を逸らされ避けられる…。露骨に態度が変わりました。以前は二人で飲みに行き仕事について熱く語り合い、冗談も言い合える関係だったのに、それが突然冷たい態度を取られ、驚き、焦り、苛立ち、恐怖、様々な感情が入り交じっています。

元々人付き合いは苦手でした。いつも他人の顔色ばかり伺って、深く心を許した事もあまりありません。それは、嫌われたり仲間外れにされる事が怖かったからだと思います。

中学時代に話は遡りますが、仲良くなった女の子がいつも男の子に嫌がらせを受けている子でした。それが許せず、彼女を庇い続けるうち、標的は次第に私へと移っていきました。3年生に入ると毎日所謂虐めレベルの嫌がらせ、暴力まがいの圧力、男の子数人に取り囲まれ命を覚悟した事もあります。

本音を言えば、そんな風に嫌われ嫌がらせまで受けてまで彼女を助けたかったのか分かりません。しかし、元来の性格なのか一度始めた事は引っ込みがつかなくなるようで、結局今や男性恐怖症です。

それ以来輪を掛けて、他人に嫌われないように、良くは思われなくとも悪く思われ怖い思いをしなくて済む様にと必死でした。

ほんの少し、本音を零しただけです。ただそれだけでこんなにも露骨な態度を取られ手のひらを返され、本当に寂しく辛いです。その後輩は仕事も出来るし、明るくて優しい子だと思っていたので、余計にショックです。

そんな風に考え出すと、今度は今迄の自分の生き方全てが間違いだったような気がしてきて、母親にこう打ち明けました。
こんなに生き辛いならもう死にたい、どうして私はこんなに醜くて汚い人間なんだろう、自分が大嫌いだ。
母親は泣いて言いました。
産まなければ良かったって泣かなかった日がないとでも思っているの!?産んだのは私だから悪いのは全部私なんだよ、私を恨めよ、私を殺せよ!

こんな生き方がしたいんじゃなかった。友達は沢山は要らないけれど、本当に信じられる、拠り所に出来る友達が欲しかった。
そういう存在を母親に求めていたのに、産まなければ良かった、そう言われもう心をどう整理すれば良いか分かりません。

誰からも愛されない、いつも憎まれ役が似合う私には、もっと強靭な精神が必要だったように思います。
助けて、そう言える相手も無い事が、何と虚しい事か。
今迄突っ張って強がって平気な振りをして来た自分が馬鹿馬鹿しいです。

追記

精神科の門を叩くきっかけになったのは、AC、アダルトチルドレンと言う言葉を知り、そこからBPDという症例に辿り着いたからです。色々なサイトを巡り色々な本を読むにつれ、自分はBPDなのではないかと思えて怖くなったのです。

初めてかかった精神科で、自分はBPDなのではないか、と医師に問うと、有り得ません、と言われました。BPDの人は4年制大学に行ける程精神的に安定していない、というのが理由のようでした。そして、あなたが生き辛いと感じるのは単なる性格上の問題なので薬も出せないし治療も何もありません、というような事を言われました。

その事を先日今の主治医に話し、改めて、自分はBPDなのか問うてみました。主治医は、かつての精神医療の世界で言えば確かに単なる性格上の問題と言われただろうし、少し進んだ医師ならBPDと診断しただろうがやはり薬は処方されなかっただろう、と言いました。

生まれながらにして救いようのない人間など、この世に必要ですか?