何かになりたいとか何かをしたいというよりも、とにかく一人になりたいです
どうすればいいですか

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両親にはこの歳になるまでしっかりと育ててもらったと思っているが、本当にその認識だけが正しいのか自分で判断できずに悩んでいる。
もしかしたら世間一般に言う家族のあり方とは違うのではないかと。

父は甲信地方の出身、母は九州の出身。
どういう経緯かは知らないが、父が無理な働き方をして身体を壊しているのを母が看病し、
後に父が母が籍を置く宗教団体に入信したのが出会いだったらしい。
弱味に付け込んだわけではなく、一応は恋愛結婚だったようだ。

母は職人の祖父とその妻のもとで育った。
酒飲みの祖父のせいで不自由な生活を強いられていて、きょうだいたちも大変な生活を送っていたという。
今は長女である母と長男である叔父が九州を出、親戚とも疎遠気味にそれぞれの家庭を保っている形になる。
他のきょうだいは未だに九州にいるらしい。

父は農家の大家族の中で育ったが、長男でなかったためにあまりよい生活を送れなかったそうだ。
詳しくは知らないが、司法試験での挫折や病気が人生の大半を占めているように思える。

親戚づきあいはほとんどない。一番最近で言えば父方の祖父の葬儀か、それか母方の祖父母のところに遊びに行った時か。どっちも10年以上前の話で、おじやおばとは会った記憶もない。
近所づきあいもない。

そんな中で自分と弟は育った。
父は仕事で忙しく、母がほとんどかかりっきりで育児をしていた。
覚えているのは、近所の公園で水遊びをしたことや隣の市に引越し、転園したことくらいだ。
アルバムにはまともに笑えている子供時代の自分がいた。

小学生になった。
入ったのは教育学部の附属小学校で、情操教育に力を入れていることで有名だったが、
それだけに色々な負担が親にはあったと思う。
だが母は、かつての自分の不自由を子供に感じさせないように、感受性の豊かな子供に育つようにと考えたのだろう。
その甲斐もあって、自分は色々な経験をすることができた。

クラス替えはなく、通知表もなく、勉強よりも心を育てる方針。
後になって知ったが、他の同級生たちは当然のように塾に通っていて中学生になっても困らないような体制を取っていたという。
自分と弟はピアノと水泳を習っていた。これも親心(父がどう思っていたかは知らない)だったのだろうが、

正直なところ、私にはピアノや水泳には興味はなかった。それよりも他のことをして遊びたかったのだ。
いよいよ我慢が出来なくなった頃、ついそのことに対して愚痴を漏らしてしまった。
母は猛烈に怒り、しばらくの間口を聞いてくれないようになった。

習い事は結局中学まで続けた。
今考えれば、そんな素晴らしい習い事よりも私の自我が羞恥心とか社会性とかを培えるように、
色々なアドバイスをしてほしかった。他人と合わせる事の重要性をもっと教えてほしかった。そう思う。

恐らくは中学の頃から、おかしさが目立つようになった気がする。
父は仕事のストレスを母にぶつけ、母はヒステリックにわめいた。
私が問題を起こせば父は母をなじり、育て方が悪いと怒った。
そんな声が飛び交う夜は、私は布団に潜って息を潜めた。

中学校で外の小学校から来た人間との生活が始まると、頭の中身が小学生のままの私は
あちこちで折り合いが悪くなり始める。ほんの数人だけいた仲のいい友達と、どっぷりはまり込んだパソコンの
おかげで不登校や保健室登校などということはなかったが、得たものもほとんどなかった。
もちろんいじめられそうになったこともあったが、激しく抵抗したためにその対象からはずされた。

勉強はほとんどできなかった。
三者面談で数学の出来が著しく悪く進学先が限られることを担任に告げられた母は、次の面談者の前で
ぼろぼろと泣いていた。
その話を切掛けにまた、育て方が悪いと父がストレス発散のようにわめきちらす。
疲れた父の邪魔をしないように、足音を潜めれば「何でそんな歩き方するんだ」とまたわめく。

しばらくもしないうちに母が唐突に家を出て近所を彷徨したり、弟を連れてディズニーランドに行ったりと突拍子もない行動を取り始めた。
前者は「何がするかわからない」と思って自転車で探しに行った記憶が鮮明に残っている。

何とか入れた高校で、ようやく周囲と合わせることを意識できるようになった。
そこでできた友達と色んな遊びをした。とても楽しく、充実していた。
その代わり家の中では息を潜めて、パソコンやゲームに没頭する。

就職して、病気で退職して、バイトをして、また契約社員のようになった今でも、
私はこの家族の住む家にいて、パソコンやゲームにしか楽しみを見出せないでいる。

「あんたは何になりたいの」「どうやって生きていくつもりなの」
「際限なくそんなもんやってるんじゃない。将来のことを考えろ」
自分がやりたいことを見つけた母はそういって、パソコンを取り上げる。







もういやだ