小さいころ友達から来た手紙を母に勝手に開封されたり机の中必ずチェックされたり交友関係に介入してきたりと、プライバシーなるものがなかったと思う。

そんで母は宗教に入っていたから、物心つくまえから強制的に宗教の集会に毎回つれていかれた。たしかに宗教にいた人達は優しかったりいい人がたくさんいた。

でも母から毎回『この宗教がなかったら、お母さんはあなたのこと産んでなかったと思うの。だから神様に感謝しようね』と言われて、モヤモヤモヤモヤ。(うちは大家族です。兄弟が6人もいる。)小学にあがると勉強を頑張っても褒められることはあんまりなかった。成績はかなり良い方だった。

だいたい上の兄弟と比べられたり、なにかしたいと思って母に言うと『あんたには無理よ、長続きなんか絶対しないから』と言われることがほとんど。そして宗教に通い、外で布教活動に励む日が続きました。小学4年に入った頃から毎日お腹が痛くなるようになった。

寝るとき、夕飯前、学校にいるときの午前中に毎日腹痛があった。自分でもなんとなく我慢できる痛さだったから学校ではとくに何も言わず我慢してた。家に帰ったら母にお腹痛いと言ってみるけど母はいつも言ってることだから気を引きたいだけだろうと思って私の発言に特に注意を向けたりしなかった。

母がなんともないって言うからそうなんだろうと思って毎日痛いのに耐えたらある日我慢できないほど強い痛みが襲ってきた。いつもの何倍もいたくて、泣き叫ぶ私をみてさすがに変だと思った母が病院に連れていったら私はショック状態で下手すると死んでもおかしくない状況だった。検査したら胃に穴が空いていたらしく緊急手術することになった。

手術は無事に成功してなんとか一命をとりとめた。原因はストレスと菌だったそう。その年齢で胃潰瘍になることが珍しかったらしく医者も随分びっくりしてた。

しばらく入院してたこともあって体力からなにまで落ちてしまって人並みになるのに今も努力してる。手術後も貧血が治らず自律神経も不安定らしく6年ほど通院していた。退院後から親は長期入院してた私を心配して塾や習い事をたくさんさせた。

でもどれも興味もわかず、やる気がでなくて一応やってみるものの結果を残さなかったのでひどく怒られた。そしてそれと同時に教育熱心だった母は宗教の方でも私に色々始めるように促した。いつからか宗教に違和感があった私は最初はやんわり断っていたものの次第にしつこくなり結局折れてしまう。

母が宗教に熱心になると決まって父が反対してしょっちゅう母と言い争っていた。宗教が嫌いな父は宗教の集会に行こうとする私たちを止めるために怒鳴ったりモノなげたりすることもしばしばあった。いつもは優しい父がそんなに豹変するから毎回怯えていた。

でも母の方が父より家に一緒にいる時間が多く嫌われたら生きていけないと思い行かざるを得なかった。宗教に熱心な母は子供の躾もその宗教にそったやり方でやった。学校が終わった後に集会に参加し寝ずに静かに座ってたり2時間ほどの講演をノートに要点をまとめて書くなど、小学生には少々きつめの内容。体力のほぼない私には苦行だった。

でも集会の時に母の言うことを聞かないとトイレや車につれてかれてムチというか罰を受けました。思いっきり叩かれたり。私が悪かったんだろうけど納得できなくていまでもどうして叩かれないといけなかったのかわからない。そのムチが怖くて反抗することはほぼなくなった。

私は体が弱かった分ほかの兄弟みたいにゴムホースなどで叩かれることはなかったのでその時だけは自分の弱さに感謝した。

そんな生活スタイルのまま中学にあがると、塾が忙しくなりなおかつ体調がどんどん悪くなり学校は休んだり遅刻が多くなった。遊びたくても親は月に2回も遊ぶととても不機嫌になるので友達と遊ぶのはほんの半年に1回程度。

この頃からは体調も行動も自由にできないのが多くなり姉が受験でイライラするようになり、私自身もストレスを溜めはじめた。うちの家はなんだか変だと思っていたから仲の良い友達に相談したりはできず、ネットに浸るようになった。

ネットのブログに溜め込んでたものを無茶苦茶にかいてストレスを発散していたが、ネットの閲覧履歴をチェックしていた母にみつかり閉鎖。学校、塾、宗教で毎日を埋め尽くされて体は追い付くのに必死だし疲れとストレスがどんどん溜まっていってついには宗教をやめることを決意したら母はそれから2週間ほど口を聞いてくれなくなった。(ちなみにこの頃は高校受験の志望校を決定する時期)

そうしてしばらく母との関係がうまくいかなかったときに父が実家から離れるために地方の看護専門学校に行けと言った。家から離れられるのは嬉しかったが、看護は私はやりたくもなかったから地元の高校に進むつもりだっま。だから悩んでいたら今度は父がしつこくその学校に行くようにいってきた、最終的には『誰が金をだしてやってるんだ?』とまで言って。

3年行けば好きにしていいと言われ結局折れてしまい、行きたかったところよりランクが低くてすんなり合格して家を離れることになった。でも来たのは田舎でなにもないし知り合いも誰も居ない好きでもない学科の高校。でもやってみれば好きになるかもしれないし新しくやり直そうと思って一緒の寮にいた友達と仲良くなったり素敵な友達をいっぱい作ったり勉強も頑張った。

だけどやっぱり好きになれない、でも母はここにくることにすごく反対してたので家にも帰りたくない、実習は辛いし自分の夢じゃないから辛くて辛くてついに学校に行かなくなった。単位はギリギリ。でもこれなら親も諦めてくれるかもしれないと思った。3年がんばれば自由になれると思って3年続けてなんとか卒業。

でも父は約束をなにもなかったかのようにやぶって、したいことを聞いてくれはしなかった。どんなに言っても丸め込まれてまた負けてしまった私はそのまま専攻学科にあがった。でも日に日に嫌で嫌で埋め尽くされていってついに鬱になってしまった。

鬱になったから学校休むと言えば『そんなのは気のもちようだ、お前が勝手に逃げてるだけだ』と言われ、私を説得しようと私が電話に出るまで何回も何回も何回も電話をかけ続けてきた。昔から電話に出れないと『親からの電話に出れないのはどうして?それじゃあんたに携帯なんか持つ意味ないでしょ』などと言われもう着信が怖くて電話が極度に嫌いになった。電話がかかってくると肝が冷えるぐらいにはビビってた。

結局実家に戻ることになり、母が心配して精神科の受診の付き添いにきた。ほんとうは母もストレスの要因だから来てほしくなかったが言えず一緒に行くと紹介状の内容、症状をみた母が『こんなこと私は子供から聞いていない!!!』と言って激怒。さらに医者に『親御さんと離して暮らすべきです』と言われてさらに激怒。それいらい病院に行けず、家で寝て過ごす毎日。

そんなときに父はまだ立ち直ってもいない私に公務員試験を受けろと強制。こんな状態でそんなことできないと言えば『辛いかもしれないが俺の時は....』と自分の話。労ってるようにみせて自分の思い通りになるまで私にひたすらしつこく公務員試験をうけろと言ってきた。

実家に帰ったことで逃げ場がなく、さらにはまた『いままでお金をはらってやったのは誰だ?』と言われて言い返せずまた折れてしまい、ほんとうは元気でもなんでもないのに無理をして予備校にかようようになった。たしかに体はすこし軽くなったから頷いてしまった以上自分のペースで頑張らないとと思い今までやってみるものの、勉強には欠片も興味もやる気も起きず無理矢理やってる感がつよく嫌な気持ちがまた爆発しそうになった。

だから体力作りにバイトと心をすこしでも軽くしたいと思ってヴァイオリンを習いはじめた。どっちも役に立たないだとボロクソに言われたが、二つとも後悔せずに続けられてる。でも根本は治ってないから、ふとしたときに不安にかられたり、死にたくなったり、涙が止まらないことが以前よりもっと増えた。

体だけが元気になってこんどは心が追い付かない。ツイッターで書いて流してみても全然すっきりしない。母は宗教については『あなたのため』だと言うし、本当に善意からそう言ってるのはわかってる。そして宗教をやめた私に『お母さんの教えかたが悪かったのね、ごめんね』と意味不明な謝罪をされる。しかも今さら?という行動をする。

たとえば子供のころにしてほしかったこととか。憎いのと親を大事にしたい気持ちとでも辛いし悲しい気持ちがごちゃまぜでどう表現すればよいかわからない。今では親の話をしようとすると口が重くて開いてくれなかったり、思い出しただけで涙がでてくる始末。

どうしてこんなに生きづらくなったのか、どうしたらここから抜け出せるか考えた結果家をはやく出ていこうと思ってる。助けてくれるひとが周りにいないので自分だけが頼りだけど。親は嫌いではない、だって産んでくれて育ててくれた人達だから嫌いになりたくても無意識下ではどうしても嫌いになれない。

でもそれ以上に今までの出来事が心にきます。でも引っ越したとしても問題はかわらない、だからどうしたらいまよりこのなんとも言えぬそれでいていびつな感じの関係を改善できるんでしょうか。

それからうちの親は過干渉だとかそういうタイプなんでしょうか。

ながい文章よんでもらってありがとうございました。