Twitterで「こういう人は認知が歪んでいる」という10カ条がRTされてきて、何か違和感を感じました。所謂アルファというフォロワ数1万超えの人が言っており、RTは数万単位。

たとえば、リプライが帰ってこないと嫌われているという不安を抱く、とか。
好きな人が嫌いな人間と仲良くしていると、自分も嫌われている、という不安を抱くとか。

他人の自意識を的確に突いた内容でしたが、不快な気分になりました。
それはSNSというツールを使う上では、誰もが抱く不安や感情ではないか、と思ったからです。リプライが、なければ無視されたと思って不安になってしまうのは異常でしょうか。
また、人間同士の好き嫌いが絡み合う人間関係の悩みは、SNS以前から存在したのでは。

しかも、彼は精神科医ではなく出版関係者。
医師でもなんでもない人間が、テンプレートを用いて、「お前は認知が歪んでいる」などと言い放つのが、不快でなりませんでした。

医師でもなんでもないのに、サイコパス診断やら何やら、素人でも簡単に引用できるしろもので、精神科医を気取る人間がSNSにはたくさんいます、そういう人間が、俺は大嫌いです。

認知の歪みというワードで検索をかけたところ、ココオルの認知の歪み診断に行き着きました。診断結果は「かなりの認知の歪み」とのことでした。

なるほどと思い、せっかくなので相談してみます。俺は、過去に二つのコミュニティから追い出された経験があります。つらいのでそれを書きます。

一つ目はあるバーでした。
とても有名なバーで、そこではインディーズのミュージシャンや様々な人が訪れる店で、そこが好きでした。マスターとも仲良しだと思っていましたが、ある日、彼と不仲になりました。

夜中に店を訪れた際、バー友達の一人、(仮にAとします)が大層落ち込んでいました。

理由は、彼が店でDJをするときに、プロのDJが割り込んできたことでした。

Aはバーで何回かDJをしており、彼は試行錯誤しながらも楽しんでいました。しかし、プロが割り込んで彼よりも数段上手いDJをして、Aは場を濁されたと言って落ち込んでいました。

俺とマスターと店員は、Aを慰めていました。
朝近くになり、Aはどうにか気を持ち直しました。そうしたら急に、マスターが俺に、こういいました。
「お前これから先の人生どうすんの」と。
自分が返答に困っていると、マスターは俺をいじり始めました、いわく、早く答えろ、俺が彼女を作りたい、とどうにか回答をすると、そうじゃないだろもっと長期目標を言えよ、と言い出しました。

マスターは愉快な人でしたが、たまに人をいじる癖がある人でした。

マスターはまたこう言いました。
他のみんなは朝から仕事なんだぞ、お前一人のために残ってやってるんだぞ、と。

いつもなら笑って返せる冗談でしたが、眠気と、疲労と、他人を引き合いに悪いことをしているように言われたのが癇に障り、初めてマスターに「やめてくださいよ!」と怒鳴ってしまいました。するとマスターは怒り、ふざけるなよおまえ、お前はもう人間関係を切るからなといいました。

その場は謝り、店を出ました。
しかしどうにも気分が収まらず、その事をTwitterで呟いたら、マスターからDMが来ました。もう二度と、お前は店の名前をツイートするな、と。その日からその店にはいかなくなりました。

これは、俺が認知の歪んでいる人間だからこうなったのでしょうか。

二つ目のコミュニティー追放は、創作の世界についてです。俺は小説が好きです。

ある小説が好きな同士が集まり、二次創作の合同誌を出す事になり、ライターに呼ばれました。その本はコミケで頒布され、それ以降、合同誌が活動終了まで、欠かさず呼ばれ、欠かさず寄稿しました。しかし、最後に亀裂が生じました。

みんなが好きな小説(仮に作品Aとします)は、今みんなが見ているアニメとほんのわずかな類似点があるから、あのアニメは実質的に作品Aだ、という無茶苦茶な同一化のロジックが、創作者や読者のムラで流行りました。

類似点と言っても、毛筋ほどの類似点で、しかも作品Aはかなりハードな作風であり、みんなが見ているアニメというのは、だいたいが女の子が出てくる可愛らしい作風のアニメです。

真逆で、そもそも作品Aはアニメですらない。

それが俺には許せなかったので、Twitter上でそれは違う、ふざけるな、と言い続けました。

みんな、内心ではわかった上でのおふざけで、ついでに、アニメ作品と作品Aを同一化する事で、アニメ視聴者に作品Aを読ませようという運動だったのです。ですが、俺にはそんな事はどうでも良かった。ただ、作品Aが好きだったのです。しかし、俺の行動は多くの人からブーイングを食らいました。

二次創作をする上で、コミュニティーの拡張は必須だからです。合同誌の活動も終了し、二次創作コミュニティーは転換期を迎えていました。その事情は俺もわかっていましたが、許せませんでした。しかし、他の人はだいたいこのロジックを好んで使いました。誰もが、コミュニティーの拡張を望んでいたからです。

むろん、それ以外にも理由はありました。

どれだけ一生懸命小説を書いても、言及を受けるのは作品を極端に茶化したり、原作にない極端な、男性キャラの性的描写を、さらに滑稽なかたちで描いたもの(作品Aは男の矜持や死闘を描いたハードボイルド巨編です)を入れたりした作品が持て囃され、悔しかったのもあります。

そのような作風の作者たちが諸手を上げて歓迎したのが、アニメ作品との同一化ロジックだったのです。昨年の冬コミに於いては、作品Aは所謂女児アニメとのコラボ二次創作一強という状態でした。同一化ロジックをもて囃した人間は、だいたい俺を嘲笑しています。

俺はというと、創作者の村から距離を置きました。また自分の書きたい二次創作物を書いて、コミケに出そうかなと思いますが、村で尊重されているイデオロギーに唾を吐いたので、多分誰も俺の作品など買わないだろうと考えてしまい、その度に怒りが襲います。

自業自得とは分かっていますが、つらいです。

これも認知の歪みでしょうか。
長文申し訳ありませんでした。