はじめまして。32歳の男性のどんやんと申します。

いままで恋愛というものから遠ざかって生きてきました。
というのも、10代のころに異性からいじめを受けて、強い人間不信に陥っていた時期がありました。
大学に進学し、そんな人ばかりではないということが分かり、信頼できる友人(同性異性問わず)も多く築くことができましたが、友人という関係以上となると、どうしてもうまく行かないことに気が付きました。

20代の半ばころにようやく彼女と呼べる関係を結べる事が出来た方がいましたが、わずか数か月で関係は破綻してしまいました。相手から一方的にという形でした。

それからというもの、たまたま私は女性の比率が多い業種で働かせていただいているので、出会いのチャンスは山ほどあったのですが、どうも自分の中で恋に落ちることを抑制している心の動きがあるような気がしてなりません。
いいな、と思っても、「いや同じ職場だから迷惑に違いない。」「セクハラで訴えられたらどうしよう」などと、様々な理由付けをして抑圧していることが多々あります。
また、自分が、自然と誰かに好意を寄せている、あるいは恋に落ちているということに確信した瞬間にも、身の毛がよだち、吐き気がするほど嫌悪感にさいなまれてしまいます。結果的にその感覚から逃れるためなのか、芽生えた心を自分で叩き潰してしまいます。

職場外でも出会いを求めて婚活パーティーなどにも参加させていただいたこともありましたが、自分で希望していったくせに、そのような場所に身を置いている自分がたまらなく気持ち悪くなり、途中で帰宅してしまったこともありました。

周りの友人たちが次々と結婚しはじめ、子供が生まれ、順調に家庭を築いているのに、自分は・・・と劣等感にとらわれてしまいます。

このような恋愛に対する自分の心の動きが、他者と比較して異常なのではないかと思うようになり、改めて自分を見つめなおしたりもしてみました。

まず出生時は、超未熟児のため2か月間新生児集中治療室に入院していました。
母乳はあまり飲まず、粉ミルクで育ったようです。
幼いころは体が弱く、しょっちゅう熱を出していました。
両親の仲はあまりよくなく、夫婦喧嘩が絶えない家庭でした。幸いなことに、半年別居して母親と暮らした時期もありましたが、現在に至るまで離婚はしていません。相変わらず仲は悪いですが。
母親は父親の愚痴を父親のいる前でも私にぶつけたりしていました。
一方父親からは、母親の悪口を聞いたことがありません。

幼いころから共働きで、小学生のころ、弟の保育園の迎えを私が行ったりしていました。
下校してからは、家には誰もおらず、パイプの裏に隠してある鍵で玄関を開けて帰宅していました。
しかし、そのカギを母親が置き忘れたらしく、家に入ることができない夜が何度かありました。
ある日の冬の夕方、私はすこし具合が悪く、早く家に帰って横になろうと思い、パイプの裏に手を伸ばしましたが、鍵はなく、階段の中腹(集合住宅の3階に住んでいました)で、寒さに震えながら、体を丸くしていました。体調はどんどん悪化していく一方で、この後どうしたらよいか途方に暮れていました。
その時たまたま、隣に住んでいる同級生のお母さんが私を見つけてくれ、母親が帰ってくるまで暖をとらせてくれました。そのあとの記憶はほとんどありません。

自分の人生を見つめなおす過程で、この時の記憶が突然強烈によみがえってきました。

環境的にあまり親に甘えることが許されなかったような気がします。

思春期になり、異性を意識するようになってからは、異性からの言動に非常に敏感になっていたような気がします。
体験授業の一環で、高原でキャンプをしたとき、キャンプファイヤーをやるというプログラムの中で、男女交互に並び、手をつないでフォークダンスをするというものがありましたが、たまたま私の隣になった女子が「え・・・あなたと手をつなぐんですか・・・?」とものすごく嫌な顔をされて、心の底から傷ついた記憶があります。
高校に進学し、ある人に好意を抱いたのですが、その人が中心となっていじめに遭い、一時は退学を考えましたが、高校では珍しい転校という形をとらせてもらいました。新しい高校では、そのときの人間不信から、親しい友人は作ることができませんでした。

大学では友人に恵まれ、楽しいキャンパスライフを送れましたが、恋愛だけはできませんでした。

このように自分を振り返ってみたきっかけは、愛着障害という言葉を耳にしてからでした。
自分では普通と思っていた母親との関係や家庭環境が、よくよく見てみれば今の自分の性格に影響を及ぼしているのだなと気づいたからです。
それまでは、思春期の異性に対するトラウマが関係しているのだろうと思っていました。しかし根はもっと深いところにあり、この心の問題は、すでに生まれた瞬間から始まっていたのだと思うようになりました。
大学では、社会福祉士と精神保健福祉士を目指しており、発達心理学で愛着理論については学びましたが、その時は全く気づきませんでした。

年齢的に結婚にも焦りを感じますし、本当は恋愛や結婚がしたくてしたくてたまらないのに、いざそのような場面になると、全く反対の方向に心が動いてしまうのに、腹が立ちます。恋をしている自分も気持ち悪いし、そうやってあまのじゃくな自分にも嫌気がさし、二重の苦しみを味わって、心がおかしくなってしまいそうです。

いきなり長文で失礼いたしました。