初めて投稿します。

ずっと生きづらさを感じていました。
40代になるまで。
色々調べていくうちに、私の結婚生活がうまく行かないのも、私が常に対人関係に疲れや恐怖を感じるのも、育った環境や、親にも影響があるということがわかって来ました。
なかなか友人や家族にも話せないことばかりで、こちらで相談や、助言いただければ助かります。

まず、私は、自営業を営む母と父の間に次女として生まれました。
父は私が2歳の頃に、躁鬱の症状が悪化して、
入退院を繰り返すことになりました。
その為、母が店を1人で切り盛りし、
父方の祖母とは同居しておりましたので、
祖母にほとんど面倒を見てもらっていました。
姉とは歳が離れており、一緒に遊ぶという事はほとんど無かったと思います。
たまに退院して帰ってきた父は、一日中、カーテンを閉めた部屋で、寝ているのです。
食事だけは取っていたかんじでした。
お父さんは病気だから。と家族に説明されて育ちましたが、病気って何?どうやら、体の病気ではなさそう。と、子供ながらにわかってはいました。

夕食時には、母や祖母が、父を呼びに行くのですが、重たい足取りで階段を降りて来て、無言で食事をとり、また寝床につく父。
このような時には、父には話しかけられない雰囲気があり、幼い私も、目の前の父に、同じ家に住むただの住人、どう接していいかわからない存在、としか思えませんでした。

そして、別の周期がやってくるのです。
明るい元気な父に変身し、色々なところに連れていってくれます。随分と活動的な父になるのです。ただ、交通ルールはメチャクチャ車に乗っていて、危険な目にもあいました。
ですが、とても楽しそうで、一緒にいて可愛がってくれるこの時期の父を私は好きでした。
夜も眠らず、夜通し飲みに行ったりもするので、この、今わかる、躁状態の父は、母や祖母と喧嘩が絶えず、お皿の割れる音、暴力、罵声、悲鳴、このトラウマは今でも消えず、私を苦しめます。
コタツや布団に潜って、この嵐が収まるのを待ったり、母に連れられて、どこかに避難したこともありました。
警察沙汰になることも多く。
父の自殺未遂も何度かあったと思います。

生きるのって大変って、毎日感じてました。

小学校に入り、友人達と関わる中で、うちって、相当おかしな家庭。とても話せない。
なんだか悲しい。
へぇ。お父さんていうのは、普段は働きに出て、お母さんはだいたい子供の身の回りの事をやってくれたり、家事をしたりするんだぁ。
友達のお父さんは、子供会の行事に笑顔で参加していたり、友達のお母さんは、授業参観も毎回来ている。友達の話もよく聞いてくれている。
家族みんな、仲が良さそうだ。
これが、普通の幸せなんだな。

小学生になった私はとてつもなく劣等感を感じて育ちます。
学校から遠くに見える、四角く、薄汚い建物の中に、父はよく入院していました。
できれば、カーテンを閉めて、あの建物が見えないようにして、授業を受けたかった。
担任の先生に、図工か何かで父の日の何かを作成する時間に、〇〇のお父さんはどこで働いてるの?と聞かれて、答えられなかったのをよく覚えています。

母は、店がとにかく忙しくて、私にかまっていられません。なのに、普段家事や私の話を聞いてくれている祖母に対する愚痴や、大変な大変な父の愚痴、思春期になって対応が大変になって来た姉の愚痴、夕飯が終わってから、宿題を終えて、私が眠りにつくまで、延々と友人に長電話しているんです。
それは、私にも聞こえて来ますから、当然、大好きな祖母にもどう対応したらいいかわからなくもなりました。
とにかく、母は常に裏の顔があって、私はいい子に、母の意見や、母の望むように合わせないとこの先生きていけないのでは。と、感じ取ったのです。

仕事先やお客さんからの電話も多く、我が家はひっきりなしに電話のかかってくる家、母はとにかく、電話と一心同体という印象しかないです。母のやることで嫌だったのは、その電話によく私を代わらせることです。
親戚の人からお小遣いをもらったりした時なんですが、無理やり代わらせておいて、隣で、ありがとうって言え。おじさん大好きだよって言え。とか、私に話して欲しいセリフを全て、隣で小声で指図するんです。
無意識なんでしょうけど、本当に嫌でした。
これは長年続きましたから、私は一体何を話したらいいんだろう。と、不安感ばかりがつきまといました。

姉は学校でも上手く行かず、家庭でも母と上手くいかず、勉強は良く出来たので、遠く離れた大学に進学し、私が小学生の頃に出ていってしまいました。姉はどちらかというと、問題を起こしたり、嫌な事は嫌!とハッキリ言って、母と衝突するタイプです。今でもその性格は変わりません。
その逆に、私は、その姉を見て育ったのと、
母にあんただけは、いい子でまっすぐ育ってね。と重圧をかけられて育ったので、まったく、家庭でも外でも自分の意見を出せず、
周りの空気ばかり読もうとする性格になってしまいました。

父と母は離婚し、離婚数年後に父が自殺で亡くなりました。とても不思議な家庭だったのと、父とちゃんと関わった記憶もないので、そんな最期を迎えた父に対して、なんとも言えない感情でした。

母は、働く事に必死で、中学、高校時代の私の事もよくわかっていないはずです。
今話をして、辛い時期を少しでもわかってもらいたくても、あの時は必死だったからね!
と、話をそらせます。
今ではもう諦めています。
今更話してもどうにもならないし、あの時どんなに孤独だったかなんて、母にはわかりっこない。

父と離婚後、私は中学を三回転校しました。
とにかく注目されるのが嫌だったのに、転入生というのは、目立ってしまう存在で。
自分のことを一から話さなければ行けないのが、何度も続くのは、しんどかったです。
周りの子が、とてもキラキラして見えました。
そして出来上がった輪の中に、その都度入っていかなければならないのも、とてもしんどい。
とにかく、学校は、疲れました。

この頃の症状が1番ひどく、国語の朗読で順番が回ってくると、声が震えました。
教壇の前で話さなければならない時には、みんなの視線が怖くて、緊張して、胸が苦しくて死んでしまうのではないかと。
日直は、号令を毎回かけなければならないので声を出すことが恐怖でした。
日直の日になると、朝具合が悪いと言って休みました。
班になって給食を食べる時も、何を話していいかわからなかったり、人前で食事をするという行為がすごく恐怖でした。
ですが、いじめられた経験も無く、友達もそれなりにはいました。
ですが、毎日が恐怖との戦いでした。
それを母は気付くどころか、楽しそうに、週末は仕事で知り合った男性と会っていました。
酔っ払って、性行為まで私に目撃されてる事も未だに気づいていないんですからね。
一度だけですが、これもすごいトラウマで、苦しかったです。
本当に私は孤独。どうせ気持ちは誰にもわかってもらえない。という思いのまま大人になりました。

その後私は社会に出て、結婚もして、子供も産みましたが、やっぱり、毎日がこのずっとつきまとう苦しさとの戦いです。
知り合う男性も、どこか、家庭環境に問題のある人が多く、寂しさを抱えたような人にはつい同情してしまうくせがります。
そんな闇を抱えた男性と結婚したのが、
今の子供たちの父親ですが、その夫とも、数年前に離婚しました。
まるで、母と同じ体験をしているかのような、私の父のような人だったのです。
精神疾患になり暴力的な行動き数年苦しみましたが、子供達を連れて逃げられたのが幸いです。

ですが、母子家庭になった今、私は母を反面教師にして、どんなに仕事で忙しくても、子供達に目を向けてあげよう。という気持ちで接しています。

今でも続く症状というのが、

⚫︎対人恐怖(主に視線)
⚫︎笑顔恐怖(どんな笑顔をしていいかわからない。自分の顔が気持ち悪いのでは。と感じる。結果笑顔がひきつる。)
⚫︎写真、カメラが怖い、写真に写りたくない。
⚫︎人の集まるところが苦手で、顔見知りと合う所を避けてしまう
⚫︎自傷行為(爪を切りすぎてしまったり、かさぶたを剥がさずにいられない⇨身体中傷だらけで、それを化粧や絆創膏で隠すのですが、繰り返しやってしまうので、人に見せられないほど傷や傷跡だらけなのです。爪は子供の頃から血が出るまで切って来たため、ほとんど爪が生えてこない状態にまでなっています。)
⚫︎とにかく仕事が疲れてしまう、気疲れ
(人には優しくしたいので、福祉系の仕事をしています)
⚫︎常にある劣等感と孤独感(周りの人がキラキラして見える)

以上です。すごく悩んでます。

抗不安薬は、頓服的に飲んだりしていますが、効き目があるのか実感できないです。
薬を飲んでいることで逆に意識してしまって、
変に力が入ってしまい、苦手な場面や、苦手な人と接する時など、薬を飲んだのに失敗した時のショックが大きいです。

心療内科では、ここまでの詳しい事は話せませんし、症状に合わせて薬だけもらう。という感じで、なんだか私の生き辛さは、ちっとも良くはなりません。
姉が鬱病になったのですが、抗鬱薬は、合わなかったり、薬が抜けにくいようですよね…

1番楽な感覚というのがあって、お酒は強い方なんですが、お酒を潰れない程度にたくさん飲んで人と話す時って、普段無口な私も、ニコニコ笑って、どんな人とでも楽しくお話しできて、普段からこうだったらいいのになぁ。と思います。

子供がいるから、死にたいとは全く思いません。
ですが、この先母が年老いて来た時に、介護をしなきゃいけないのかと思うと、なんだかゾッとします。
未だに押し付けるような事を言います。
姉のことを悪く言っておいて。
私には、あんただけが頼りだからね〜。と。

母の昔の苦労はわかりますが、私は、私のことをわかってくれなかった、いまだにわかってくれずにいる母を許すことができずに、いまだに昔からの思いを持ち続けていて、とても苦しいです。

と、同時に、もう少し、楽に毎日過ごすことが出来たら助かります。

長く読んでいただいてありがとうございました。助言お待ちしております。