はじめまして。初めにお断りしておきますが、長文で失礼します。
現在、うつ病を患って8年程、経過しております。
幸いなことに、IT関係の会社に正社員として勤めることが出来ております。
また、会社の制度上、休職も可能でしたので、辛い時期には休むことができました。
現在は8度目の復職を果たし、2カ月程度、継続して勤務しております。
上記にもあります通り、幾度も休職しておりますが、体感として回復しているとは思えません。
復職の際には、覚解に似た状態であり、今現在でも初めに患った状態が長引いていると考えております。
また、今回の復職後にも、幾日か体調を崩し、お休みを頂いております。
会社は、8時間の勤務が原則であり、「時短勤務」や「ならし勤務」が不可能です。
自分といたしましても、会社との契約に従い、通常の勤務をしたいと考えております。
ただ、体調が優れず、どうしても無理な場合があり、その度に
「回復に向かっていないのではないか?」と考えてしまいます。
また、幾度も休職を重ねた為、金銭的にも困窮し、借金まであります。
今後の生活を考えた場合、非常に苦しいと考えております。
「今後、本当に仕事をして、生活をしていけるのか?」といった悩みがあります。

それに加えて、今後の人生が何となく想像でき、明るく未来を考えることができません。
上手く言葉にできませんが、何をしても無駄に思えてしまいます。
「100年後の世界がどうなっているのか?」は分かりませんが、100年後に自分が居ないことは確かです。
そんな考えの中で、自分を生かし続ける事への疲労感や無力感があります。
また、自分の能力にも限界を感じております。
正しくは、自分の能力がこれ以上、向上しないことを感じているのかもしれません。
自分の能力の「天井」を感じる様になりました。
例えが適切か分かりませんが、「ボルトより速く走る」事は、私には不可能でしょう。
それは遺伝的に受け継いだ身体的な特徴でもありますし、今後の成長や努力を加味しても不可能だと思います。
身体的な例を挙げましたが、心理的、知的にも同じように考えてしまいます。
知人等には、「自分で自分の限界を決めるのは良くない」と言われます。
確かに言っている意味は分かりますが、納得が出来ていません。
どうしても、短い人生の中では、自分の出来ない事が必ずあると思ってしまいます。
そして、それが限界であり、自分の天井だと思います。
勿論、生まれ持った才能に因ることもあるでしょう。
私にも何らかの生まれ持った才能があるかもしれません。
また、努力で補える事もあるでしょう。
勿論、生まれ持った才能以外にも、努力をすればある一定の成果を得ることも可能だと思います。
その努力の結果、一定の成果を残すことも可能でしょう。
それを表す代表的な言葉として「努力は必ず報われる」という言葉があります。
私は、その言葉には、続きがあると考えております。
「努力は必ず報われる。ただし、期待通りとは限らない。そして、報いかもしれない」
と考えております。(誰かの言葉の引用かもしれません。引用元を忘れました。)
そう考えると、今後の能力向上への努力、そしてその努力の副作用を考え、やる気が削がれてしまいます。
結果、今のままではいけないと思いながら、何かに取り組む情熱を持てずにいます。

自分よりも才能がある人が、自分と同じ努力をすれば、自分は勝てません。
「ウサギと亀」でサボらないウサギには、亀は勝てないのです。
その事を痛切に感じております。サボらないウサギ相手に亀は、努力を続けることができるのでしょうか?
明らかに負けると思っている勝負で相手が油断せずに取り組むとした場合、
亀はスタート地点に立つことができるのでしょうか?
負けても良いと亀が考えているなら分かります。
亀の目標が「勝つこと」ではなく、「完走すること」であれば納得ができます。
しかし、それは「競争」ではありません。
ウサギと走る意味はなく、ただの自己満足です。
その時、亀は何を目標に走るのでしょうか?
「完走したことへの自己満足」や「走り終えた後の何かしらの褒美(成長の証)」でしょうか?
上記の場合は、ウサギは一緒に走る意味はありません。
どちらにしても、亀の自己満足であり、ウサギは亀の目標にもなっていないのですから。
ウサギは、ウサギなりの目標と目的を持ち走ります。
亀は、亀なりの目標と目的を持ち走ります。
亀は、怠けないウサギに勝てないと思いながら、自分の目標に進むことになると思います。
同じように、ウサギも、チーターには勝てないと思いながら、自分の目標に進むことになると思います。
少し話が逸れましたが、今の私は、常に「勝てない」と思いながら生きています。
相手は誰でも構いません。そして、「自己満足」や「成長の証」を実感出来ない中で生きています。
今の社会は「競争社会」です。その中で、常に「勝てない」と考えてしまいます。
その時に出てくるのは、常に劣等感と自己否定です。
そして、ウサギ、亀そしてチーターでさえ、特別な存在ではありません。
彼らが居なかった場合は、別の動物が同じようになるだけです。
ですので、彼らは「ナンバーワン」でもなければ「オンリーワン」でもありません。
ある歌の一節に「ナンバーワンより特別なオンリーワン」と言った歌詞があります。
ナンバーワンはオンリーワンの一種だと思っております。
そして、オンリーワンは、他者が代わることがでないモノです。
そんなオンリーワンは、私は一度も見たことも、知ったこともありません。
どんなモノにも常に代わりは居て、世界は周り続けます。人類が居なくても。
遺族の方には大変申し訳ないですが、人命が失われた3.11前に起こったクライストチャーチの地震で亡くなった方を覚えている方は遺族の方以外は少ないと思います。
それだけ人の記憶は、曖昧で、そして忘れられていくモノです。
それが人間的な、健康的な生活だと思います。
ましてや、人間が居なくなった世界では、後世に残る情報などは、遥かに少ないことでしょう。
ですので、自分の価値とは、とても希薄で、ともすれば、無価値に思えてしまいます。
まとまりの無い話を長文、駄文で記載して申し訳ありませんでした。
上記の内容について、専門家からの忌憚なきご意見を頂ければ幸いです。