こんばんは。眠るに眠れなくなってしまったので、最近の悩みを打ち明けさせて下さい。
前の相談以来、職場での耳障りな咳には数回の深呼吸で対処し、毒親との別居生活を目指して仕事に励んできました。
派遣とはいえ、十代の頃から夢だった図書館司書になって働いているわけですが、そんな自分の人生に、ふと嫌気がさしてしまったんです。
派遣の図書館司書は他の職種に比べて給料が安く、一人暮らしのお金を貯めるには、いろいろと倹約しなければいけません。
それでも急な出費があったりして、思うように貯金が増えないのが現状です。
あまり体が丈夫ではなく、最近、喘息が出てしまった事もあり、ダブルワークにも踏み切れずにいます。
そんな日々で思うのは「まともに就職できていたら、こんな苦労はなかったのに」という事です。
大学最後の年、私は採用試験に軒並み落ちてしまいました。
ほとんどが面接を受けた上での不採用だったので、
「私は社会に必要ないって事なんだな。きっと、人格に問題があるっていうのが、面接官さんにも分かるんだろう」
と、一度は意気消沈したんですが、すぐに思い直したんです。
「今は社会に必要ない人間の私でも、頑張れば、きっと必要とされる人になれる。頑張ろう」
学校図書館の非常勤職員に採用されたのを機に、私は図書館業務について熱心に学びました。
自治体の制度の変更で、非常勤職員を雇止めになっても、図書館関係の派遣会社に登録して、仕事を続けました。
いろいろな図書館に派遣されましたが、そこには必ずと言っていい程、ベテランの方がいるので、その人に積極的に近付いて勉強も続けたんです。
派遣の図書館司書だと研修などめったにないんですが、ある時には積極的に参加しました。
それが十年程、続いた時に気付いてしまったんです。
あれだけ努力したのに、私は職場で特に活躍しておらず、優秀であるわけでもありません。
時給も数年前から一円も上がっていません。
それに追い打ちをかけるように、職場にいたベテランのスタッフさんから
「他のスタッフに比べて、少しも成長が見られない」
「何をさせても視野が狭い」
と言われる事が増えてしまい、疑念は確信に変わりました。
「私って、どうしようもなく頭が悪くて使えない無能者だったんだ。だから、どこでも採用されなかったんだ」
そう結論の出た私は、死んでしまおうかどうかで迷いました。
このまま、社会に必要のない無能な自分が生きていた所で、ろくな将来がないのは明らかです。
けれども、結局、無能でも役立たずでもいいから、自分の好きな図書館の仕事を続けていたいと思い、踏み止まりました。
その代わり、学習意欲がなくなってしまい、「無能は何やったって無能。十年勉強したって無能だったんだから」という雰囲気になってしまいました。
何回か資格試験の勉強をしてみたんですが、全く頭に入らず、自分の無能ぶりを確認する作業のようになってしまい、やる気が起きなくなってしまいました。
それでも、まあ、無能なボンクラでも、隅っこに生きていく事ぐらいはできるだろうと思ったんです。
それからさらに数年が経ち、今に至っているんですが、そんな無能で役立たずの私が、ここまで必死に生きている意味は何なんだろうと思うようになりました。
必死に倹約して貯金をして家を出た所で、経済的に豊かな生活はできません。
毎年、税金の類は上がるのに時給は上がらないので、これから先、収入が減っていくのは明らかです。
実家に住み続けても、実家を出ても、自分にはろくな人生が待っていないような気がします。
そして、それをどうにかできるような能力を、私は持っていません。
自分の身を振り返ってみると、何一つ、パッとした能力や才能が見当たらないんです。
家族や友人にそれを言うと、「物知り」「文才がある」「話が面白い」「面倒見が良い」といった長所を挙げてくるんですが、余計に虚しくなります。
確かに私はそれらの要素を持っているのかもしれませんが、そのうちのどれもが大したものではないのが分かるからです。
もし、それらの要素で本当に優れていたら、それらが仕事や人間関係に発揮されて、私の人生は好転していたでしょう。
今の私のパッとしない状況を考えれば、その長所のうちのどれもが、人生において大して役に立っていないという事だと思います。
役に立っていないのなら、ないのと同じです。
鏡を覗くと、さえない顔が見えます。
目鼻立ちが悪い事は、子どもの頃から「化け物」と言われていたので、自覚しているんですが、せめて、顔だけでも良かったらなと悲しくなります。
子どもの頃は、醜い自分でも勉強をして知識を身につければ、立派な社会人になれて、いじめた連中を見返せると信じていた分、希望があったんです。
でも、それが叶わないと気付いてしまった今は、いじめられていた時より惨めな心境です。
近所に住んでいるいじめっ子が、二世帯住宅に改装した実家から、二人の子どもを連れて出てくるのを見ると、一生、私は見下される立場のままなのだと思ってしまいます。
頑張れば何とかなる思ってきた人生だったんですが、頑張っても成果の出なかった自分に嫌気がさしてきています。
こんなろくでもない人生は、生きるに値するんでしょうか。
さっさとこんな人生は終わりにして、もっと優秀な人に今の職場を譲った方がいいのかなと考え始めています。
コメント
コメントを投稿
参考:似ている悩みと対処法
ココオルに無料登録して、いまの気持ちをどんどんつぶやいてね!
ココオルユーザーの方は、ログインして利用してね!
メールアドレスでログイン twitterでログイン
ともこ(社会福祉士)
π- 2016-11-15 20:36
ご投稿ありがとうございます(^^)
たくさん、ご自分の思いをお話ししてくださりありがとうございます。
こうして読んでいても、理路整然とした文章をお書きになるという印象はありますし、図書館司書というお仕事を大事に思いながら長年お勤めされていることからも、好きなことに対して真面目に取り組めるという長所が見て取れますね(*^^*)
今まで、採用試験の結果が芳しくなかったり、ご自分の能力が大したものではないと感じてしまったり、容姿に対しても好ましい感情が持てないなどの経験に加え、周りの心無い対応によって、かなり心がお疲れなのだろうな…と感じています。
少しでも気分転換をすることからお勧めしたいですか、何か仕事のことやストレスの原因から離れて、リラックスできるような時間はありますでしょうか?
また色々お話していきましょう。
その中から、元気に毎日を過ごせるように、一緒に考えていきましょうね(^^)
えみ
π- 2016-11-16 20:36
頂いた返信を見て、リラックスできる事について考えてみました。
冷静に考えてみると、「リラックスしている」という実感が、日常にあまりないような気がします。
最近でリラックスしていたといえば、休日の午後にお菓子を食べながらWebマンガを読み耽っていた時でしょうか。
あとは愛犬(ミニチュア・シュナウザー)を抱っこしている時もそうですね。
あと、端から見たら奇異に思われそうなんですが、私はアメリカ製のヴィンテージ人形を持っていて、その子を膝に乗せていると不思議と落ち着くんです。
カバンに入れて、こっそり一緒に外出する時もあります。
現実を忘れられるといえば、小説を書く事に没頭したり、カラオケで熱唱したりといった事もそうですね。
前者の難点は、同人誌の売れ行きも作品共有サイトでのアクセス数もパッとせず、新たな劣等感を招くという事。
後者はの難点は、お金がかかるという事です。
ただ、どれも一時的なものというのが虚しくて、消極的になってしまいます。
安らいでも楽しんでも、終われば、また、パッとしない自分を恥じながら過ごさなければいけません。
どんなに私自身が幸せだと主張しても、他人から見てそうでなかったら、結局、バカにされて傷付く事になってしまいます。
世間の大多数から見て、バカにされる要素がない自分にならないと、根本的な解決にはならないような気がするんです。
一時的な快楽に逃げても、自分をごまかしているだけな気がして、積極的になれません。
ともこ(社会福祉士)
π- 2016-11-20 13:59
一時的でもリラックスできるなら充分ですよ。
お菓子を食べながらのんびりするのも、ペットや人形を大事にするのも、必要なことだと思います。
また、幸せの基準というのは人それぞれですので、他人がどう思おうと、あなたの気持ちを乱す要素にはならないと思いますが、いただいたお返事を拝見すると、周りから幸せで充実していると認められることを、今は強く求めていらっしゃるように思いました。
少しリラックスから話しが逸れますが、そのあたりどうでしょうか。
その点が、毎日に生きる意味を感じられない理由の大きい部分なのかもしれませんね。