現在休職中。改善されてきましたが、まだ調子が整いません。

はじめまして。今回初めて相談させていただきます。
30代前半独身男です。教員をしております。心療内科に通い、レクサプロと頓服でリーゼ、睡眠薬を処方されています。地元から遠く離れ、大学時代を過ごした自治体で採用されました。地元を離れたのは、やりたい勉強がその大学にあったからという他に、父方の親戚とうまくいっていなかったことがあると思います。

一昨年ごろに激務で調子を崩しました。満期で、昨年度現任校に異動しました。
体の限界を感じ、5月に休職しました。
1ヶ月ぐらいは、疲れをとることに集中していましたが、7月頃から読書や運動をする意欲が湧いてきました。
教科に役立ちそうな本や心理学、精神疾患に関する本、倫理など読んできました。
最近、なぜ心身の調子を崩したのかということを考えたときに、根本の原因は家庭にあるのではないかと思い始めました。生徒や保護者の関係は良好だったと思います。同僚とは意見の食い違いはありましたが、まあまあだったと思います。他人の評価をきにするところがあり、同僚にうまく相談できないところがあったように思います。

〈父の実家の家族構成〉土地借地、店を営んでいた。
父(私の祖父、20年前ぐらい病気で他界)、母(私の祖母、今年他界、創価学会)
長男(私の父、12年前くも膜下出血で手術、現在再雇用会社員)
次男(私の叔父、独身、私の父の実家で一人暮らし)
三男(私の叔父、25年前ぐらいに自殺)
〈私の家族構成〉30年前に私の母の兄弟に保証人をお願いし、土地と新築戸建てを購入。
私の父、私の母
私(家族と離れ一人暮らし、休暇中は帰省している)
私の弟(知的障害、施設に通所)

ここからは、私の母から聞いたことも含めて書きます。
父の実家に行くと、祖父は黙ってずっとテレビを見ていました。自殺した叔父は、よく父の実家の掃除をし、掃除をしながら私とよく話をしていた記憶があります。母からは、繊細でいい人だったと聞いています。もう一人の叔父と祖母とは、父の実家の人のなかではよく話をしていましたが、お年玉とかをもらうときに「お母さんにはお金を渡さない方がいいよ。使ってしまうかもしれないから」とよく言っていました。実際の母は、家の借金や私の教育資金をためるため、障害の弟を抱えながらパートに出ていました。へそくりはないため、父と離婚するには財産を処分して財産を分割しないと生活できません。
祖母は、よく父がいないところで嫌がらせをしたようです。あまりにも耐えきれず、母の姉(私の叔母)や母の母(私の祖母)に相談していました。叔母は「嫁姑の問題はどこにでもあることだから」と、祖母は「本人はきちんと働いてくれているんだから」と言っていたそうです。母がどうしても用事があって出掛けないといけないときは、母方の祖母が面倒を見てくれました。叔母にもお世話になりました。
生活が苦しいときには、叔母によくお世話になっていました。自家用車は、母方の祖父や母の兄弟から譲り受けていました。子どものため(私たちの兄弟ために)ということでです。ところが、父はその車を使い、毎週末私と弟をつれて、父の実家の用事や通勤に使っていました。母方の祖父は激怒し、父方の祖母の本家へいって抗議に行ったこともあったようです。それでも、父が13年前に他県へ単身赴任するまで続きました。父と母は普段は仲は良かったですが、仏壇を私の実家に移すことやお盆などのとき、父方の祖母が母に嫌がらせをしたときにはよくけんかをしていました。父はものにあたることもありました。ちなみに、母は全く仏壇やお墓を見ないといっているわけではなく、自殺した叔父や祖父がはいっているものだから、順番として祖母がみるべきだと考えていたようです。父方の祖母が仏壇を継がないんじゃないかと思っていたようです。おそらく、父は祖母と母との板挟みにあっていたように思います。ただ、母はまだ子供だった私と障害のある弟を育てるために、父や父方の祖母には気持ちだけでも協力してほしかったようです。
父が単身赴任中の夏休み、家に帰ってきました。帰ってくる前の日から頭がいたいと言っていて帰ってきてから脳外科へ連れていくと、緊急手術になりました。以後、大きな手術を4回しました。母と母の姉は、理学療法師の方に集中治療質でのマッサージの仕方を教わり、父が意識のないなか、朝と夕方通いマッサージをしていました。父が入院中のお盆は、病院へいって看病しながら、お盆をこなしていました。父の実家の人はこれるときにしか面会に来ず、病院にすべてを任せればいいという考えでした。
大きな手術を複数回したため、最初の月の自己負担額が100万かかりました。高額療養費適用だったので、申請して数ヵ月後にはお金が戻ってきますが、それまでの期間お金を貸してほしいと父の兄弟にお願いしました。快諾しましたが、支払う直前になってひっくり返されました。そこで、母の姉にお願いしましたが、貸してもいいけど、その前に話し合いに行こうということになり、母と叔母で父の実家にいきました。すると、叔父の後ろに竹刀が用意され、机をバンバン叩きながら、鬼の形相をして、「支払いの都度、請求書を持ってきてかりにこい」、「お前たちの生活は見れないんだ」、「お宅で用意すればいいじゃないか」などと言っていたようです。父の祖母も隣にいたようですが、薄笑いを浮かべ叔父を止めなかったようです。母と叔母は恐怖を感じ、叔母が叔父に「あなたのお兄さんのことなんですけどね。分かりました。うちで何とかします。」といって帰ってきたようです。それから、母と私は父の実家と交流がありません。父が退院するまで、父の実家の人は私たちが面会にいく時間を外して面会に来ていたようです。母方の親戚には大変お世話になり、心臓の悪かった母方の祖母も心配してよく来てもらいました。
退院後、父にはことの全てを話しました。しばらくして、私は進学のため他県へ行きました。その後、二年間ぐらい、恐怖で窓を開けることができなかったよいです。2回ぐらい、父方の祖母が親戚を連れ来たようです。当然、母は居留守を使い開けなかったようですが、家の周りをぐるぐる回り、窓を叩いて呼んでいたようです。
父は入院中に起こったことを信じていないようで、父方の祖母が亡くなったときには葬儀と財産分与のため出掛けていったようです。私たちは相続放棄するよう、母が父に話し、相続放棄しました。

母はこのときのことを思い出すと、今でも息が苦しくなったり、頭が痛くなったりするようです。恐怖心があるようです。母の姉は、母に「○○(私)が困らないように体が動くうちに私のところに引っ越すか決めた方がいい。あそこの家(父の実家)は異常だから、遠くに離れた方が安心だと思う。」と言っているようです。私も、恐怖と憎しみしかなく、両親と弟を地元から引っ越しをさせて一緒に過ごしたいと思っています。ただ、父は、自らの実家の思いが強いようで、また地元から離れることに不安を感じています。それなら、母と弟だけ私と過ごし、父は叔父とも暮らしてもらうことを母が提案したようですが、それもできないと言っていたようです。

私としては、地元に帰るのは恐怖を感じ、人間関係が今すんでいるところの方ができているので、今のところに住み、家族を呼びたいと思っています。母はよく父とけんかをしたあと隠れて泣いていましたし、弟の今後も心配です。小さい頃から何度も自殺を考えたこともありますが、今の仕事について多くの人に支えられているんだなと感じ、子供たちにも人の繋がりの大切さを伝えたいと思い、今の仕事を続けたいと思っています。私は、今後、この問題をどのように解決した方が宜しいのでしょうか?

家族の方向性が決まれば、心身の状態がもっとよくなると思うのです。家庭のことをさらすのは恥ずかしいことですが、私も地元にいると苦しくなり投稿させていただきました。

文章にまとまりがなく、長文で申し訳ありません。皆さんのお知恵をいただきたいと思っています。
宜しくお願いします。