すごい長文で失礼いたします。
ずっとずっと消えてしまいまいと思って生きてきました。
小さい頃から両親が不仲で、幼心ながらに、両親が不幸せなのはわたしがいるからなのだと漠然と思い込んでいたような気がします。
周囲から見たらどうだったかはわかりませんが、自分の体感としては、ずっと、両親にとってわたしはいらない子なのだと思い込み、両親に迷惑をかけないように、両親に怯えながら生きてきた気がしています。
どうしたら両親に迷惑がかからないのか、どうしたら両親に認められるのか考え、決して我が儘は言わず、食べたいものや着たい服を聞かれても一番値段が安いものを選びました。これが欲しいと伝えたとき、両親の顔が曇ると、わたしが悪いんだ、と自分を責めました。
なるべく両親の言う通りに、想像の通りに振る舞おうとしました。いつも顔色をうかがい、両親に文句を言った覚えはほとんどありません。
わたしには兄がいるのですが、兄は勉強をせずにゲームをやっていて怒られました。そうか、勉強をせずに好きなことをしているとダメな子なんだ、と、自分の好きなことをするのを禁止しました。
小学校、中学校では、両親に認められたい一心で、勉強を頑張りました。塾に行かせてもらったので、わたしのために高いお金をかけてもらうのもすごく申し訳なかったし、なおさら頑張らないといけないと思っていました。中学校では、学年でトップの成績をとり、高校は進学校に進学しました。
でも、中学校の時点で、もうおかしくなり始めていました。いくら勉強を頑張って認めてもらえた気分になったとしても、それは条件つきの愛でしかありません。また、わたしがいい成績をとってくると、勉強のあまりできなかった兄が拗ねてしまうから、兄の前では内緒にするんだよ、と言われました。幼いわたしは、両親のために勉強したのに、こんなに頑張ったのに、どうして堂々としていちゃいけないの、と本当に悲しかったけれど、それを言葉にできる力もなく、悔しい思いを飲み込んで、家では息を殺して生活しました。そして、勉強ができてしまって、兄に嫌な思いをさせる自分を責めました。
自分の好きなことをすることはとっくの昔に禁止して心に刷り込まれていたので、好きなことを選ぶことに漠然とした恐怖と罪悪感を感じ、喜びの感じられない日々でした。しかも、どんなにいい子で頑張って認めてもらえたとしても、それがなくなったらきっと否定されるんだという恐怖は消えず、人に対して恐怖も抱くようになりました。
条件を満たさないとそこにはいてはいけない気がして、しかし本来ないはずのそんな条件は見つかるはずもなくて、でもどこにも居場所を見つけられなくて、いつもいつも焦燥感にかられ、自分を認められないゆえに、周りの人はいつ何時わたしを攻撃してくるかわからず、相手を否定することでその不安を紛らわせようと、心の中で常に他人を見下し、無意識に利用して生きていました。対等な友人関係など感じたこともありませんでした。いつも、自分のことを否定し、完璧(今思うとこの完璧、というのも甚だ検討違いだったと思いますが)な自分でいなければいけないのだ、と自分に言い聞かせていました。
そんな日々の中でもせめてもの支えは勉強ができることでしたが、勉強ができるということで嫉妬され、友人に「消えて」と言われる軽いいじめを受けました。周りから見たら気にしなければそれで終わる程度だったのだろうけど、わたしにとっては自分を守る唯一の支えだった、勉強ができることによっても人から攻撃されることがあるんだ、と、すべての支えを失いました。
この出来事が高校受験の時期だったので、高校生のわたしは、もうなにも信じられなくなってしまいました。なにが正しいのかも、自分がどうしたいのかも、自分がなにを好きなのかも分からなくなり、ただただ自分を否定する言葉が頭の中を支配していました。
人の前に立つと、相手の理想の人間を演じなければならないとパニックになり、相手との会話の内容もろくに覚えられない状態でした。
いつからかそのぐちゃぐちゃの気持ちは、ただ消えたいという気持ちに変化し、わたしはここにはいない。これはきっと誰かが見ている夢なのだ、と、妄信するようになりました。
だけど両親の手前、毎日学校に行かないわけにもいかず、気持ちは遥かかなたに置いてけぼりにして、ただただ毎日が早く終わること、この夢が早く覚めることを祈りながら、身体を動かし続けました。
どうしたらここにいていいと言ってもらえるのだろうと考えに考えたけれど、努力してもしてもどんなにあがいてもあがいても、結局そんなことしても無駄だ、という気持ちにしかなりませんでした。周りの人にもたくさん迷惑をかけました。迷惑をかけている自覚はあったけれど、そこからどうしたら抜け出せるのかもわかりませんでした。むしろわたしに抜け出す資格なんてない。わたしは苦しんで苦しむことで罰されるべき人間なのだとも思っていました。
そのころはもう理由なんてどうでもよく、ただただ自分を否定することだけが目的になっていました。
自分が苦しいこと、嫌なことばかり選び、好きなことを選ぼうとすれば自分を否定しました。
今思うと、よくもそんな状態で毎日人と会っていたなぁと思いますが、自分に向き合って、からっぽでもうなにを信じていいかわからず、消えてしまいたいという気持ちにまともに向き合うことの方がよっぽど怖かったのだと思います。また、原因探しをして、両親のことを責める結果になるのもとても恐ろしかったのだと思います。とにかくすべての原因はわたしにあるべき、わたしが不幸になっていればいいんだ、という状態でしたから。それ以外の可能性を考える自分のことも否定していました。
今、大学生になり、やっと自分の心に向き合うことができ、少し冷静になり、少しずつ、自分の気持ちを取り戻しつつあります。そして、視野が広がるにつれて、歪んだ思い込みも少しずつ克服しつつあります。昔のわたしがどんなに自分勝手な思い込みをして自分自身を苦しめてしまっていたのかということ。この世界にはいろいろな考えの人がいてしかるべきで、わたしのことを責める人もいるだろうがわたしのことを受け入れてくれる人も必ずいるということ。そして、そういう人たちを、これまで無視し続けていたこと。両親は、言葉にはしなかったけど、じゅうぶんわたしのことを愛していてくれたこと。両親も始めての育児・教育で、不安でいっぱいだっただろうこと。こんなに自分で抱え込むわたしがいる一方で、適切に人のせいにできて、幸せに暮らしてる人が確かにいること。そもそも、塾にまで行かせてもらえるほど恵まれた家庭に生まれておきながら、どうしてこんなに不幸と思ってしまっていたのだろうかということ。
つらい思いでいっぱいで過ごした日々はもう戻ってこない。そのことに激しい後悔を感じてしまいそうになりながら、もう二度とそんな日々を繰り返してはいけないという気持ちで、これからはもう少し自分を認め、自分を好きになって生きていきたいと思っています。
しかしまだ、わたしはここにいていいのだろうかという恐怖を感じたり、わたしと一緒にいてもらうなんて相手に申し訳ないと思ってしまったり。また、最近は、自分がしたくないことはわかるようになってきましたが、自分のしたいことは以前としてよくわからないままです。
どうしたらもっと楽に、幸せを感じて生きられるようになるでしょうか。アドバイスよろしくお願いします。