育児によって親の事や自分の事当時苦しかった自分の気持ちに気づく事ができたけれど、なんで?っと間違ってるじゃんっと親に対して腹立たしい気持ちになり、もうすぎた事を言わずにいられない。

言ったところで何も変わらないし、謝りもしないし、間違ってる事にも気づいてくないのかもわからない。

うちは祖母や叔父や叔母が暮らしている大家族の中に母が嫁ぎました。

特に叔母からのいじめがあり、そのたびに父に母が助けを求めでも、それが原因で父は母を罵倒し大喧嘩となり時には怒鳴り声に暴力に遠い田舎を持つ母に対していつでも離婚すると出て行けと脅したりしてました。

その大人の喧嘩を夜中に止めにいくのは一番年上の長女の私にとって本当に怖いものでした。

母は私に父の悪口や祖母の悪口やおばさん達の悪口を聞かせては怒ったり辛そうだったり
、時には離婚するからあなたは置いていくと言われたこともあり、そのときは本当に置いて行かれると思い怖かったです。


常に母は祖母やおばさん達のことを悪く思っていたので、私も毎日祖母やおばさん達を恨み、殺してやりたいとまで毎日念じるようになりました。
想像はいつも毒クモが叔母さんの庭に入って家に侵入するイメージや、誰かが叔母さんを殺したりというイメージでした。


また、父は習い事をさせるときはいつも子供の意見より自分の意見でした。
私がやることも勝手に決め逆らっても無駄でした。
私がピアノがやりたいと訴えても、父がエレクトーンをやるようにとエレクトーンを買い与えられ、練習はほとんどせずやめました。

エレクトーン教室では、ピアノを習える子が羨ましくて、いつもピアノの音色を聞いていました。

またある時、空手を小学校の体育館で無料で教えてると友達から聞いて、本当にやりたかった私は母に訴えたのですが、言っても母は忙しいのか?面倒くさかったのか?
その話について何もありませんでした。


中学に入り塾も行かされるようになり、勿論気に入った塾は行かれず、母の見つけた塾でした。

大きなテスト前は朝早くから勉強しに塾へ行ってその後にそのまま学校に行くようになり。。
勉強をやれやれ!っと強要されてきた私は大の勉強嫌いで。
塾へ行きたくないと言った時には母は泣いてしまい結局従うしかありませんでした。


父からうちは弟が大学に入るから高卒で私は就職するように言われていたので、高卒のあとは働くのだと思いずっと育ちました。
なので夢は持ちませんでした。

やりたいことがなく、何をして良いかわからず、高校卒業の時は親に就職先を決めてもらいました。

どうでも良かったんですよね。
自分のことに関心ももてませんでした。

でも、20歳になった時突然思い立ち一人暮らしをする事を決めて仕事も辞めました。

全部親に確認しないで勝手に決めたこと。
反動だったのかも。。
貧乏で本当に生活が大変でした。毎日おにぎり一つ。
それに私はそこからもひどかったかもしれないです。
まず、人を心から好きだと思えなかった。
でも、好きだと言われると断れなかった。
同じような境遇や辛い人を家に招き入れてしまい、自分が危ない目にもあいそうになったり、、、。


結婚も興味もないし
子育てには特に嫌悪感さえありました。
父と母の結婚が良いものとは思えなかったし、母はいつも辛そうで幸せそうではなかった。


いつしか女性とお付き合いするようになっていた。もともと高校生の頃興味があったのは女の人でした。
みんなそうなのかな?よくわかりませんが。

その頃は中学、高校と同じ部活をしていたので、その人も試合会場などで会え、会えば写真を撮らせてもらうのが日課でした。

自分が興味あったから好きだったのか?わからないけど、会えばドキドキして緊張してました。その人の目元のあたりも好きだったのかもしれない。

そういうことも思い返せばのことで、自分のことは自分自身も全くわからなかったのだと思います。

その部活動の彼女とはなになく終えたのですが、また違う看護士の女性と出会い、そのとき人生で初めて遠慮なく心の底から笑えたし、泣いたし、怒ったし、誰かと一緒がこんなに楽しいと思えたのは初めてでした。


その女性と将来を考えるようになり、親に告白したら大泣きされて、こんな子に…私の子じゃないみたい、…っと言われ、あまりにも大きな母の変貌に、結局親の為、自分も世間の目を気にした。
最低ですがそんな理由で彼女とは別れました。


今でも彼女との日々は思い出すけれど、もう10年も経ちあのころには戻れないし、戻らない。

そこからまた好きでもない人と結婚して四年間毎日消えたくて頭が少しノイローゼとなり離婚し、やっと自分のことを振り返り見ることができました。


やっと自分のことを大切にできたように思います。

私は色々あったけど普通に生活したくてもできなかったのだから、ここまで来たら最後に、これからは普通に結婚して子供を産んで普通の幸せをきっと掴もう!そう強く思いました。
私が嫌悪したものは諦めていたものは
嫌いとかじゃなく諦めていたものなのか?っと思えたんです。


それからは急ピッチで色々なことが進み、今の旦那様となる結婚相手を見つけ、ちゃんと恋愛して、とても自分に合うお相手で愛するということもできました。

また急な妊娠もあり一人目は流産となり、すぐにまた二人目ができ出産でき、とても愛らしく可愛い子だと思えました。
 
それにあんなに嫌悪感があった子育てがこれほどまでに楽しいと思わなかった。

子供は私の命であり、!どんなに大変な時でも子供の笑顔を見ると全てが変わり自分も笑顔になれ、初めて誰かを守りたいと心から思えた。

これが親なのかと思ったけれど、日に日に親が私にしてきたことが鮮明に蘇り思い出され、どうして?と苦しむことが多くなり、、


年老いた親に何も言わないでおきたいのに言わずにはいられず言っては後悔してしまい。


本当なんなんでしょうね。
親から解放された!と思ったら、今度は子育てを通じこちらから親を束縛してるような、、、

結局年寄りにきついことわを言ってもと罪悪感がわき自分を責めたりして、二重にも三重にも自分を苦しめてる。


だからこそ子供にはもうこんな思いをさせてはいけないと思い、親と真逆なことをしています。
やりたいことをやりたいように。
親はそれを見守りできる限り応援したい。
わがままでも良いから好きなことは好きだと言える気づく人になってくれたら良いなって。

私もいつか親を許せるようになりたい。
でも、これは難しいのかもしれないですね。

聞いてくれてありがとうございました!