高1です。
私は中2の弟と、母、父の4人で暮らしています。でも、弟が20歳になったら母は出ていくと言っています。なぜなら、父と喧嘩した際に、出てけと怒鳴られたからです。え?それだけで?って思うかもしれませんが、私の両親は私が5歳の時に離婚しようと話していたらしく、でもまだ子供たちも小さいしということで離婚の話はなしになりました。私も弟も喘息持ちでした。弟はさらに食品アレルギーで乳製品などが一切食べられず、母親は弟ばかり…私が小さい頃に素直に大人に甘えた記憶といえば、入院してた病院の小児科の看護師さんと幼稚園の先生でした。弟のアレルギーを克服した今でも、どちらかと言えば母は弟ばかりに見えて私は悔しいです。どんなに勉強を頑張っても褒めてくれないのに対して、弟には褒める。中学になったらより一層勉強面で比べられました。ホントに辛かったです。でも一番嫌だったのは、私が友達の話をすると時々といえば時々ですが、私の大好きな友達を何その子って感じで遠回しに悪口を言うのです。今まで父親の悪口を聞かされたりしたけど、唯一家庭のことを忘れて話せる友達の悪口を言われてから、学校のことも母親には話さなくなり、でも、母親からの父親などの悪口はエスカレート。ホントに辛くなって1回学校をサボってしまいました。母親からとても怒られました。なんで休んだりしたの?と聞かれたら私は友達もいないし行きたくなかったからと答えました。友達がいなかったのも事実だし、普段体調が悪くてもどんなに辛くても口に出さなかった私だから、今日は少しは心配してくれるだろう。そう思いました。しかし、母親はあんた自分に酔ってるだけだろ、世界で1番可哀想なヒロインとでも思ってるんだろ。馬鹿じゃないのと怒鳴られました。これが中一の秋の出来事。私はそれからどんなに辛くても、母親に言われた言葉を真に受け、私は自分に酔ってるだけだと思い、我慢我慢の生活をしました。しかし、中三の三学期ほんとに学校に行きたくなくてみんなが帰ったあと、学校に行き、そこで様子がおかしいと思った担任の先生が保健室の先生に話してみなと時間を作ってくださり、初めて家庭のことなどを話しました。それから私は保健室登校をするようになりました。しかし、卒業真近の3月に学年中からのいじめを受けました。その時は先生にも親にも誰にも言えず、逃げるように卒業する日を待つしかなく、、そんなこんなで卒業したあとも、何だか周りが私の悪口を言っている風に聞こえて落ち着きませんでした。高校に入学してもやっぱり学校に行きたくなくて、毎日泣きながら登校してました。基本、お弁当は母親が朝作ってくれるのですが、時々自分で作ったりして包丁を持つことがあり、全然なんにも不安に思った事がなくても、これで脈でも切って死ねたらなぁとか思ったり、マンションの9階に住んでいて、自分の意志とは関係なく柵の方によったところで我に返ったり…マンションの方は明らかに自分から寄って行ってるけど、誰かが自分の中で操作しているようにも感じて、いつかそのまま飛び降りそうですごく怖いし、包丁の話もいつか自分の手首を切ってしまいそうで怖いです。高校に入ってから精神科の看護師さんが学校に来て、今は5人に1人が心の病気だったりするから私もそうなんじゃないかとか、とても不安です。何がきっかけとかはないですけど、1度スイッチが入ってしまうと2時間はずっと泣いて自分の感情のコントロールが効かなくなりなます。この話を中学の保健室の先生に話したらスクールカウンセラーの先生に話してみないと勧められました。結局してないですけど、まだ高校生です。高校にもスクールカウンセラーさんがいるので話してみるべきでしょうか?私は母親が言う通り、ただ自分に酔ってるだけでしょうか?