うつ病の母親の前で、自分自身の楽しかった出来事を話すのは間違いですか?
また、避けた方が良いのでしょうか?

『○○だけ楽しんでて良いな…』と思われることが何より辛く、悲しいことです。
難しいことですが、『よし、ママも楽しめるように頑張ろう』と捉えて貰いたいんです…

【うつ病の母親】なんて書いていますが、本当は【母】として見たい位なんです。

何かと悩みに悩んだ進学の件、『自分の人生は自分の人生』『母親のことは母親のこと』と少しずつですが、分けられるようになってきたので、今日進学先の下見にお友達と行ってきました。

下見も無事に終わり、友達に付いて来て貰っていたので悪いと思い、少しブラブラしたり家族にお土産を買って帰宅しました。その話を、私はあくまでも父親に向かって話していたのですが、母親は父親に依存しているような状況の為、常に一緒に居ます。私と父親…のような一対一で話せる場がありません。

母親が今日の出来事の話を聞いていたのかは分かりませんが、話し終えた今、何故か後悔している自分が居ます。『話さなきゃ良かったのかな』『話す場所間違えたかな…』というような感じです。


また、父親が以前から欲しがっていたタオルを買ってきたのも間違いなのでしょうか…


母親が居ない隙に…と思ってプレゼントしたのですが、あっさり見つかり『あ、タオル…』と見事に食い付かれました…。そのせいか、余計に後悔の波が押し寄せてきて、今ココオルに書いている次第です。

私は、あくまでもいつも通りの自分です。
楽しかった出来事も普通に話しますし、普段はそれを『間違い』や『誤り』だとは思いません。

何故、そう思うようになってしまったのでしょうか…
やはり、話すのは間違いなのでしょうか…


自分自身を保って、進学の件に一途になるには、どうしても母親を軽く放すしか方法はありません。母親の周りには、優しく接してくれる人や家族がたくさん居ます。怖いと思われている人からの愛情を受けても、嬉しいはずがありません。

いつも以上に優しくて過保護な家族が当たり前の母親にとって、普段通りに接している私を『怖い』と感じるのも仕方ないことだと分かっています。私からすれば、いつも通りの口調で話しているだけです。正直、それを曲げるつもりは無いに等しいです。曲げてしまったら、渦に飲み込まれて振り出しに戻ってしまうだけなので、今の時期だけ家族に預けます。母親は、そんな私のことを怖いと思っているためか、二人きりで過ごすことも母親から避けているように見えますし、会話も減ったような気がします。

怖いと思われているくらいなら、話す気も無くなります。
母親から見放されている位の方が、進学に集中できてある意味良いのかもしれません。父親もそう呟いています…

良くないことをしている自覚は十分にあります。
ですが、このような大事な時期に進学を決めた、私なりの覚悟です。
今の時期、強くなるしか生き抜く術はありません。

まとまりの無い文章ですが、宜しくお願い致します…
申し訳ないです…