僕は、一年前の4月、自殺未遂をした。
強迫観念のように考える気持ちが、脳が、僕を狂わせたから、精神科の薬を一ヶ月分飲んで眠りについたのだ。
起きればそこは病院で、腕は点滴に繋がれていた。
意識が朦朧としていて、「考えないことが幸せ」だった。
そして今、一年前のあの時のように、希死念慮や自殺念慮に苛まれ、死にたいとひたすらに思っている。一年前の一件から薬は管理され、死ぬことすら許されない。
今は専門学校の一年生なのだが、誰も話しかけることはなく、同級生の楽しそうな笑い声だけが僕を狂わせる。
「死にたい」「薬を飲みたい」。毎日そんなことを考えている。帰ってきては、布団で啜り泣いてTwitterに死にたい気持ちを綴っている。
僕は発達障害を持っている。幼稚園時代や小学校じだでは、「みんなと違う」という理由で日頃暴行を受けていた。しかし、母親は「子どものすることだから」と何も助けてくれはしなかった。
中学校時代では、人間不信になり、教室の隅で密かに啜り泣いていた。
高校時代も、幼稚園時代のフラッシュバックによって通えなくなった。良かった成績も、授業に出られずに劣等生になった。自分を責めた。
後にうつ病と社交不安障害と診断された。薬を飲んでも、一向に良くならなかった。
家族の声でさえ、死にたくなることが多くなった。
このように、負の感情を抱くくらいなら死んでしまいたかった。この間、向精神薬30錠を噛んで飲んだが、数日ふらつくだけで、全く死ねることはなかった。
自傷にも飽きて、ただただ腹を刺して死にたいと思うことも増えた。
この間なんとなく訪れた障害者支援センターの人間も、「つらかったね」と言うだけで、僕を楽にしてくれはしなかった。
毎日ストレスと不安で動悸に苛まされる人生はもうやめたいのだ。薬を飲んで、そのまま目覚めなければ僕はきっと幸せなのに。
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π- 2020-06-17 00:36
文章を見る限り、かなり自殺について詳しそうに見えました。そして、その詩的な描写も気を引くように書いている……自殺学を学ぶ身としては惚れ惚れしてしまいますね。私なんかよりずっと文章がうまい……。ほんと、普遍性を求めるような社会には嫌になりますよね。
atai_shineさんにとって、今あるストレスを全て書き出してみてはどうでしょうか? 書き出したら1~10段階でそのものの精神痛(Psychache)の度合いも書きましょう。今ある問題を形式化すると、自分だけではなく他者にも伝えやすくなります。……本当は対話しながらやるのが望ましいですが。しかし、日本ではあまり一般的ではない手法なのです。なぜでしょうね……。
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「なぜ人というものは助けないのだろうか。私はこんなにも苦しんでいるというのに」
自殺念慮まで覚えたということは、こう思ったことがあるだろう。
私も首を括って死のうとしたとき、ロープを買いに行って店員が止めてくれると信じていたときがあった。残念ながら、それは妄想に過ぎなかった。そう、視野狭窄によって引き起こされる幻想なのだ。思った以上に人は自分を見ていない現実は受け入れがたいものだが、事実なのだ――
>>「つらかったね」と言うだけで、僕を楽にしてくれはしなかった。
自殺念慮も持つ者の心境は健常者(研究者は除く)には理解しがたいものである。一度でも死の淵に立てば分かるだろう――と、思うかもしれないが、案外死を想ったことがある人は少ない。私からすれば不思議で仕方がないが。
「とりあえず肯定しておけばいい。自殺されたとしても(この言葉によって)保身になる」というのが日本のスタンスなのだ。物好き以外こういった事象に関わりたくないと思うのが一般的。どうも、見て見ぬフリがお好きなようで。これじゃあ自殺は減らないなと思う次第。
何分生きにくいものだ――
atai_shine
π- 2020-06-17 06:58
対話的手法は手間がかかりますから、事前に喋らせておいた方がきっと楽なのでしょう。
カッターを買っては、親に捨てられる日々。裁縫の針を刺しても死には至れない。
自分以上に自分を見てくれる暇人など、いてはくれないのです。
死に追い詰めておいて、見てみぬふりをする。そうすれば罪には問われない。そんな社会が嫌でたまらないのです。
初代あかり(殿堂入り|ココオルスタッフ)
π- 2020-08-10 15:30
以前自殺未遂をされたのですね。
2ヶ月ほど経過していますが、現在はどんなことをして過ごしていますか?
何か困っていることがあったり、相談したいことがあればいつでもココオルをご活用ください(^^)