中学校1年生の時に色々あり、希死願望を抱くようになりました。その願望は消えることがなく、気付けば中学も高校も卒業し、現在は大学2回生です。

人間関係、劣等感などから、ずっと死にたいと思う中高6年間でした。人を信じなくなったし、人に期待しなくなりました。自分のことも嫌いだし、もう毎日死のうと思っていましたが、死ねませんでした。
努力した末、何も出来なくて不器用な自分であっても、誰かに認めてもらいたかったのです。無条件に抱き締めて欲しかったのです。
「自ら命を絶つことは、人に迷惑をかけることなのだ」と両親から言われ、人に迷惑を掛けることをしたくなくて、今日まで生きております。生き地獄でした。

希死願望を抱いていることを、口外したことはありません。その為、気を病ませている友人に相談されることもあって、「死にたいのではない。生きることが辛いのでしょう?」、「これだけ世界は広いのだから、自分を受け入れてくれる世界は絶対にあるよ。見つけるのに時間はかかるかもしれないけれど、ゆっくり探していこうよ。」などと、生きる希望を持たせるような言葉を掛けていました。

人に言えるということは、頭では分かっているのです。私が友人に発した言葉は、決して綺麗事ではないと思います。
しかし、それを踏まえた上で死にたいと思うのです。
大学生になって、生死を彷徨う程に、人生に絶望を感じることは無くなりました。

ならばどうして死にたいと思うのか?自分でも分かりません。知恵袋などで、死を考えている人がいれば、生きる回路を導くような言葉を掛けます。
自分自身、生死に凄く敏感になっていて、自分と同じように死を考えている人を、看過することが出来なくなっているのだと思います。
「生きてみようと思います。ありがとうございます。」などと返信が来ると、「人に生きる活力を与えることは出来るのに、どうして私はこんなにも死にたいと思っているのだろう」と、自分で自分が情けなくなります。

私は生きる喜びを見い出せずに、怖くて死ねない意気地無しとして、ずっと生き続けるのかもしれないなぁと、何気なく思うことがよくあります。
何せ6年間も慢性的に死にたい状況が続いていたのだから、いきなり生気に満ちる人間になることは無理だと思います。しかし現状から脱却するにはどうしたらいいのか、今の自分には分かりません。
ココオルの専門スタッフの方にご迷惑をお掛けするような内容であることは、重々承知しておりますが、私の悩みに少し手を差し伸べて頂けませんか。お忙しいとは思いますが、どうぞよろしくお願い致します。