小学生か、あるいは幼稚園の頃から毒親の家庭で育ちました。
テストで90点以下で渋い顔をされ、80点以下は赤点扱いであり、いつも母から「もっと上の点数の子はいなかったの?どうしてその子より良い点を取れなかったの?その子は偉いのにお前と来たら」と叱られたため、テストが来るのが恐ろしく、家ではいつも「一番だった」と真実のときとそうで無い時でまちまちでしたが、ママ友同士の電話で嘘がばれるともっと叱られると分かっていながら嘘を繰り返しました。
良い点を取ると「一生懸命教えたお母さんのおかげね」と言って、私の頑張りはそもそも当たり前であり、なかったものになりました。
漫画やゲームは週に1時間のみで、テレビは母の機嫌が良い時は見ることが出来ましたが機嫌を損ねると電源を切られ、理不尽な理由をこじつけて「あのときこうしてなければ今頃テレビを見れたのにね(ゲーム・漫画の時も同様)」と吐き捨てました。
どうして怒られているのか理解の出来ない理不尽な内容も母の機嫌で善悪が決まり、言い分は全否定されて、謝っても聞き入れて貰えずお説教が16時間以上に渡ったこともあります。

中学生になってからは少女漫画(過激では無いマー〇レットなどのコミックスです)を友人に借りて知ってからは古本屋でこっそりと自分で買うようになりましたが、部屋のどこに隠していても見つかり、ぶたれたり楽しみにしていた外出などを直前で禁止されました。
漫画を持ち歩いていなくても、鞄の奥底に入っていた丸めてぼろぼろになった本屋のレシートを見つけて玄関に貼り、「母は不機嫌である」という意思を前面に出してきて、謝っても何日も不機嫌は続きました。
不機嫌になると物を乱暴に叩き付けて大きな音を立てたり、普段は食事中のテレビ鑑賞を禁止しているのにテレビを付けて無視をしたり、ヒステリーを上げて金切声で叫んで「じゃあ私(母)が全部悪かったって言うんでしょ!あーあー!!!!」と頭がおかしくなった振りをし、「私(投稿者)が何もかも悪かったから何でもするから許してほしい」と言うとけろりとした顔で「初めからそう言っていればこんなに怒らなくて済んだのに、あんたはコミュニケーション能力が欠如してるから」と言われました。
友人関係についても、鞄の中に入っていた友人との交換ノートを漁って「〇〇ちゃんはこういうことをしてるのにどうしてあんたはこうなの?」や、私の書いた事に対して「そんなことを書いたら世間体が悪くなるから今すぐ消しなさい」と口出しをしました。
恋愛関係とは無縁の男友達と何人かで出掛けたいと言った時には「色気づいて調子に乗るな、はしたない」と強く否定しました。
服装も少しルーズな格好をしたり膝上10cm程度のスカートを履きたがっただけで「はしたない、みっともない、男に媚びを売ってだらしない」と私の好みを受け入れてくれず、母の気にいった服のみを着させられました。

高校生になると母は私を医学部に入れると勝手に決めて医学部進学塾に入れました。
私はもう少し何になりたいか考えたい、と言いましたが、「医学部に受かってからもう一年浪人して受け直し、全額自分の負担で家を出て行け。今すぐ高校生になるまでにかかった費用も返せ」と無理難題を押し付け、私自身も医学部に受かるための勉強の時間・内申点を取るためのボランティア活動などで自分のことを考えられなくなり、どんどん自分を見失っていきました。
高校には自分が何をしたいのかを自分で考える時間を持ち、両親が応援してくれている同級生が多く、漸く自分の家庭が普通では無いことに気付き、その差に嫉妬したり何故自分だけが成績においても頑張っているのに出来損ないのようにいつも馬鹿にされ、やりたいことも否定されているのかという苦しさ、自分が一体何が好きなのかも分からなくなってしまったことからストレスで逃げるようにネット依存になり、成績もどんどん落ちて行きました。
当然受験は失敗し、一浪しました。落ちたとはいえ別の上位の学部なら十分に受かる成績でしたが、他の学部は受けさせてももらえませんでした。
興味が無いと言う点でも、このまま医学部に進んだら全て母の言いなりになり、それが母の手柄になってしまうという点からも「進学先はどこでも良いけれど医学部にだけは行きたくない」という気持ちが明確になり、毎晩母と大喧嘩になりました。
父は常に母の味方で、「こんなに手間と金をかけて育ててやったのに今頃医学部に行きたくないって言い出すのは裏切りだ。去年ネットをやってないで受かってたら今頃お前は家を出て自由になれたのに」と今まで何度も行きたくないという度に全否定したり無理な条件を言って話を持ち掛けさせてもくれなかったのに私が悪いから責任を取って医学部に行けといいました。
「1浪目で医学部に受かったら医学部に行かなくてはいけない」
「別の学部は1浪目で落ちたら翌年受けても良いが、学費・生活費は自腹で受験が終わった直後に出て行く(その際、家にあるものは親の金で買ったものなので何一つ持ち出してはいけないし一年間受験をしている間アルバイトもしてはいけない)」
「今すぐ18歳まで育てるのにかかった費用を払って出て行く」
の三択しか与えられず、結局私の希望は何一つ叶わないことを悟って全ての気力がなくなってしまい、勉強から逃避するように親から隠れて小説を読み続け、母から強い言葉で怒鳴られるたびに過呼吸を起こすようになりました。
過呼吸を起こすたびに「病気の振りをするな、わざとらしい、大袈裟だ。私(母)の方が何倍も辛い、お前のせいで病気になった」と肩を揺さぶられました。
結局医学部には落ち、母が病気になったことも相まって父から他県の医学部では無い6年制の医療系の学部に進んだらどうかと勧められ、一刻も早く家を出たかった私はその大学に進みました。

学費は全て自腹でしたが一人暮らしを始めてからの数週間は気が楽でした。
ただ、毎日母と電話をしなくてはならず、帰りが遅くなると怒り、何度も「そんな低学歴な学校に進学して恥晒しだ」と罵られました(あまり褒められることではありませんが低学歴の部類には入らないと思います)。責める言葉が9時間にもわたり、意識が朦朧として来て電話を切ると警察が家に来て安否の確認をされました。
成績も逐一確認し、再試になると「お前が勝手に行きたいって言って進学したのに再試なんてふざけてるのか」と怒りましたが、私からしてみると逃げるように進学したある程度難関の大学で、教科数が多すぎて単位を落として再履修する学生も多く、8割がた再試が当たり前の学部だったのでストレスが溜まって行きました。
所属の研究室にも口出しをして、母の望む研究室に入らなければまた不機嫌になったので自分の研究室も好きに選べませんでした。

研究室は男尊女卑思考の強い先輩が一人いて、後輩に理不尽な事で強く当たりました。
母との事で大きな声を出されると身体が勝手に竦み、脳に酸素が回らなくなって何も考えられなくなり、毎日学校に行くのが辛くなりました。
また、同期に一人とても自己愛の強い子がいて、その子のフォローやカバーをしながら家に帰ると母の罵倒の電話が待っていて、その隙間時間で勉強して単位を取る生活をしている間に身体を壊し、大切な進級テストの当日までは這って試験を受けに行きましたが翌日病院に運ばれ、危うく死ぬところだったと聞かされました。
試験は落ちていましたが再試は一か月後で、私はいつ退院できるか分からない状況だったため、初めて母に「もうずっと走り続けることに疲れてしまった、少し休みたい。お金は自分で返すから、1年休学させてほしい」と言いましたが、「努力が足りない」と怒られ、退院から4日間の勉強で受かってしまったのでまた休むタイミングを逃しました。

一度入院してからは「ヒステリックな先輩が荒れている大変な時期に入院で逃げてしまったこと」から同期とも上手く行かず、同期から伝えられていなかったことを先輩に「なんで今更こんなことも分からないの?」と復帰2日目で責められる間にすっかり避雷針となってしまい、別の同期の失敗も私が呼び出されて怒られるようになりました。
その風潮は新しく来た先生にも伝わり、心無い言葉で冤罪を怒られ続けている間に人との対話が出来なくなり、昔はおしゃべりで快活な性格だったのに人と話しているだけで息もできなくなりました。
就活も母の気に入った職場しか選ばせて貰えず、他の職は全否定されたためどんどん気力が無くなって行き、受験の時はまだ楽しみだった小説すら楽しく無くなり、眠れなくても起き上がれなくなっても学校に行かないと同期に迷惑を掛ける、と休めず、ストレスで何も手に付かなくなり、ぼーっとしている時間が増えました。
気付いたら家の廊下で眠っていたり、ただ座っているだけなのに夜が明けているといった調子で勉強にも手が付かず、卒業試験は受かったものの国家試験を落としてしまいました。

国試を落ちたことで、私は受験の時も進級試験の時も、大事な時に失敗すると自己嫌悪になるとともに、母の希望する職場に行かなくてすむ、1年間再受験までの休息を得られたと安堵する自分もいました。
ただ、私の進学した科は専門職であり、その職種を希望すれば就活はほぼ困ることはありませんが、非常にブラック企業が多いことで有名で、毎日12時間労働が確定しています(研究室の内容として数年下働きをしていたので大体の形態は分かっています)。
定時という概念も無く、朝も募集要項に書かれた時間より1時間早く行くことが通例です。
人と話すことすらままならず、今でも当時の事を夢に見て夜中に眠れなくなることを繰り返している状態で研究室にいた時と同じ環境で長時間働くことへの恐怖心があり、せめてアルバイトをして対人に慣れ克服するか、別の環境で働きたいと思いましたが、母がまた介入してきて今年はコロナの関係もあってアルバイトもさせてもらえず、「大したことは無い、どうせ大袈裟なだけだから」「せっかくその学部に行ったのに別の職種につくなんて許さない」「アルバイトしないで勉強しろ」とその先のことを取り合って貰えません。
また、中学生の頃から男にうつつを抜かすなんてはしたないと言われてすっかり男性と関わることが苦手になってしまった私に「何故恋人が出来ないんだ、早く結婚しろ」と急かします。

カウンセリングに行くことも考えましたが1度に掛かる費用が高く、自腹で通うことは貯金を考えると難しいです。
心療内科は通った事がありましたが、薬を出してもらっても結局不安と恐怖の元凶が取り除かれないと何も解決せず、毎日「出来損ない」「一家の恥だから家の外を出歩くな」と言ってさめざめと泣く母の罵倒に耐え切れず、今後も一生母の人生を背負って、私の失敗は私のせい、私の成功は母のおかげという環境で生きて行くのが辛いです。
現在は実家暮らしで、一人暮らしは大いに検討中ですが、奨学金の返済と、恐らく初任給の半分を超える実家への仕送りを決められていて、「一人暮らしのために貯金をするには働くしかない」
「働きたくても働きたい環境は自分で選べず母が選ぶ。また、働くにあたってトラウマを直したいけれど家の外に自由に出してもらえない」
「自由に出られないので貯金も貯まらない」
という三竦み状態です。
一度大学時代に揉めた時に安否確認に来てくれた警察の方と相談しましたが、「母親の愛情と言ってしまえばそれで済んでしまい、どうにかしたくてもどうしようもない」と匙を投げられてしまい、いよいよ自分でもどうしたら良いか分からなくなってきました。
共感よりも解決策を求めているのですがどこで話せばいいか分からずここで書かせて頂きました。