こんなこと相談していいかわからないのですが、自分の気持ちの整理のために、誰かに聞いて欲しいです。
ぼくは中学の頃に親との関係が上手く行かず、生きていること事態がツラくなり、飛び降り自殺をしました。
しかし、すぐに救急車で運ばれ、6ヶ月の入院の後、生き延びることができました。当時はそれで親との関係も変わり、生かされたことに意味があると思っていたけれど。
大人になって働いている今、果たして本当に生きていることに意味はあるのかと考えるようになってしまいました。
仕事は何となくで同じ職場に居続けて早10年。
キャリアが上になり感じるプレッシャー。
求められる仕事の質や量。
相談できる友達はいることには本当に恵まれてるいると心から思うけど、どこで他人の幸せに嫉妬する自分もいて。
誰にも迷惑を掛けない方法でいなくなってしまいたい。
そんなことを日々考える自分がいて。
心療内科にも通って1年ほど経つけど、症状はあまり良くならず、結局誰に相談してもダメなのかなと思ってしまって。
どうしようもない自分を、どうにか立ち直らせたいとは思うけど、自分ではどうすることもできなくて。
誰でもいいです、こんなぼくの相談に小さな手助けをください。
コメント
コメントを投稿
参考:似ている悩みと対処法
ココオルに無料登録して、いまの気持ちをどんどんつぶやいてね!
ココオルユーザーの方は、ログインして利用してね!
メールアドレスでログイン twitterでログイン
ビビ(ココオルスタッフ)
π- 2021-08-12 12:50
中学の頃に死生観を揺るがす経験をされたのですね、私もです。
そっから大人になるまでずっと自分を殺して生きていたので、自己肯定感は皆無。
生きながらえた自分に対し、誰かを助けることで生きる意味を見出したりして、対人援助職の分野を選んで行ったのでしょう。よく言えば人助けにおいて無限のエネルギー展開が可能ですが、悪く言えば他人の苦しみに寄り添い続ける寄生虫みたいなものです。他人の人生軸に依存することでしか、自分の人生を縁取れない、そして中身空っぽ、みたいな感じですね。
それに、それで生きていて、大きな困難にぶち当たったとき、崩壊するのは秒でした。
今考えると、自己肯定感が無いことの恐ろしさを分かっていませんでした。
最後に自分を助けられるのは自分しかいないので、自分だけは自分の味方で居続けてあげないとどうなるか。
よくニュースで目にする芸能人の自殺とかも、なんであの人が?と世間は懐疑するけれども、一つ単純な事実があって、最後の最後に自分を肯定できなかったからだけなんだと私は思います。
さて、自己肯定感の恐ろしさと、重要性を説いた今、
どうやって一から自己肯定感を育んでいくか、少しだけ道標をお伝えしたいと思います^^
私が手がかりとしたのは例えばこの部分。
「相談できる友達はいることには本当に恵まれてるいると心から思うけど、どこで他人の幸せに嫉妬する自分もいて。」
蓋をしていたであろう自分の感情が見え隠れする瞬間です。
とはいえ、他人の幸せに嫉妬するという感覚は、あまり認めたくない事実ですよね。でもそれでいいんです!
人間みんな欲求の塊ですから^^
また、嫉妬の対象が、漠然とした他人の幸せだけでなく、それらをもっと要素分解できるはずです。
例えば恋人と楽しそうな友人が羨ましいとき、自分も恋愛をしたりして人生に彩りをつけたいのかな、とか。
友人が結婚して幸せそうなとき、自分も自分だけの居場所を創れるのかな、とか。
様々です。
こういう一つ一つの内なる欲求と向き合い、受け止めてあげる、すなわち肯定することが、自己肯定感を育んでいく大事なプロセスになります。
そして何より大事なことは、今からスタートラインに立つということです。幸せを実感できるまで、それ相応の年月が必要だと最初から理解しておくと、なかなか上手くいかなくても、まだまだ自己肯定し始めたばっかだし仕方ない、と心軽やかにできると思います。
私も今自己肯定感を育み始めて1年くらいなので、一緒にコツコツ歩みませんか^^