今迄何とか生きてまいりましたが、矢っ張り死にたいです。
生きているとお金がかかるから。
お金が必要なら働けばと思うでしょう。家族からも言われました。
でも
資本主義の競争社会で求められるのは、若くて、明るくて、元気で、社交的で、お喋りが上手で、仕事を早くこなす人。 
私とは正反対です。
ならば、社会や企業に必要とされる人間になればいいと仰るでしょう。
然れど
私には社会に迎合しようとする気も起こらず、人の為に働いて喜んでもらおうという気持ちも無いのです。
かような私ですから、当然就職活動をしても断られっぱなし。若くも無く、暗く、自慢するような経歴も無い。
一昨年、昨年と奇跡的に就職を果たしましたが、体が付いて来ませんでした。

 思えば10年前に離婚した時に、それ迄、取り敢えず、社会の枠にはまっていたのが外れたような、
もう何もかもどうでもいいやという気になり、
もう誰とも関わりたくない、何もしたくないというのが自分の本心であり、一番の望みであると強く気付かされました。
もともと動作は鈍いのですが、
やらなければいけない、急がなければならない、と頭の中ではわかっていても、体が動かず、
自らの意思で出掛けようとしているのに憂鬱になります。

 年を重ねると共に、気力体力が落ちてきましたが、おととし辺りから異様に疲れ易く、
台所に20分程立っていると立ち眩みがしたり、家事をするのも休み休みでやたらに時間が掛かったりするようになりました。
この頃は急いで動き回ったり、速く歩いたりすると、何となく心臓の辺りが重く、痛くなります。
疲れがたまってくると、指先がしびれてきます。水等を沢山飲んで体を動かしている感じです。
近所の病院で健康診断を受けた際、医師にその旨を伝えましたが、
恐らく検査の結果、特に異常は無いと言われるでしょう。
 
 家族から経済的支援を受けた事もありますが、これ以上は無理。
となると、「働かざるもの食うべからず」で死あるのみ。
資本主義社会ですから、結局人間の価値もお金で決まります。
お金を稼いでいない、外見上何ともない自分は存在の必要はありません。

 母に、人と話しているだけで疲れると話しても、「慣れていないだけだ」とあしらわれ、
「スーパーのレジぐらい誰でも出来る」、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」、
「笑顔が素敵で採用された人もいる」と言われました。
実家で掃除機をかけて疲れて座り込んでいたら、姉に「さっさと病院に行け!」と厄介者を追い払うように言われました。
2013年に発達障害を疑って精神科を受診しましたが、
「判定不能」との結果に母は「何でもない」と思い、私が心理テストで高得点を得た事を
学校の成績が良かったかのように喜んで居りました。
今月11日に親戚の法要で、急いで寺院まで歩き、どことなく息苦しく心臓が痛い為、
「上下運動がつらい」と母や姉に漏らしたら、笑い飛ばされました。

 天気が悪く、寒く、更に低気圧が近づいて来ると、一層、心身共に、重くだるくなります。

誰にも邪魔されず朝を恐れずに際限無く眠りたい

これがいつも一番望んでいる事です。