初めてこちらのサイトを利用させて頂きます。
女子中学生のアメアガリです。
私はアダルトチャイルド予備軍(機能不全家庭の子)です。
ACは病気ではないと言いますが、これから成人になり社会で生きていくのに、生き辛さや煩わしさが伴うのはやはり嫌です。
まだ私は予備軍ですが、いわゆる「役割」に縛られて生きることがどれほど辛いことなのか、今日までの短い人生で痛いくらいに実感しています。
ACになるのを避ける第一歩として、自分が機能不全家庭の子であることの自覚は出来ましたが、これからどうして良いのか分かりません。
機能不全家庭における子の役割というのは、その家庭において必要だから生じるものだと思います。
ということは、これから先もこの家庭に居る限り、それは避けられません。
そんな中で、どうやってACになるのを避けたら良いのでしょうか。
とりあえず、親を怨もうとしたこともありました。
しかし親に感情移入してしまうと、どうしても怨みに怨みきれません。
私たち姉弟の育児放棄をして海外に飛んだ母も、痛い思いをして産んだのに理想の子でなくて申し訳ない気持ちが出てくるとそれまでです。
「役立たず」と罵ってくる父にも、私たち姉弟の育児で疲れきっているのだと思うと何も言えなくなります。
両親はどちらもバツイチ同士で、「一度離婚している=まともに今居る子供を育てることも出来なかったような人たちが、新たに子供を作り、新たな機能不全家庭を生みださないでくれ」と思ったこともありますが、そんなことを考えても生まれてしまったものは仕方ありません。
また、親からは何も知らされていませんが、両親はすでに離婚しているかもしれません。
何も話してくれないので詳しいことは分からないのですが、以前、弟が父に「母と離婚したのか」と尋ねた時、返ってきたのは曖昧な返事でした。
また、私は弟たちに対して兄弟虐待を行っています。
「死ね」「出ていけ」などの、汚い言葉を吐いてしまいます。
それが酷いことに本心から出てくるものなので、止めるに止めれません。
最近では、弟たちの方が女の私より力があるので、仕返しが怖くて暴力的な虐待を行うことはありませんが、それに伴い精神的な虐待がエスカレートしていきます。
先日、弟のうちの一人に「死ね」と言われました。
なんとも虚しい気持ちになりました。
「死ね」といわれた時の気持ちを理解しながらも、私はこの虐待を止められません。
詳しいことは割愛しますが、私は弟たちのことを憎んでいます。
しかし、私と同じように弟たちも苦しんでいるはずです。
そこに拍車をかけるようにして、私からの虐待を受けるのです。
どうしたら兄弟虐待に歯止めをかけられるのでしょうか。
私には心を開ける人がいません。
学校で友人のような人はいますが、なんとなく心の距離を置いてしまっています。
私は中学に上がってから、一度転校しています。
転校前の友人に、とても大切な人(依存している人)がいます。
その人とは今もネットを通じて繋がっています。
最近、自分にストーカーのような気質があることに気が付きました。
その人がどこでどのように活動し、誰と何を話しているのかを確認しては、その話し相手に尋常でないレベルの嫉妬を覚えます。
正直言って気持ち悪いです。
ストーカー気質に気付いてからは、そのような行為に走ることができなくなり、自分で自分の首を絞めている状態です。
他にも同じような形で依存していたネット友達がいましたが、これ以上依存していたらいずれその方を傷付けてしまうと恐れ、相手に理解してもらった上で関係を切りました。
しかし転校前のその友人は、私の心の支えにも近い人物です。
何でも話せるような存在です。
彼女と関係を切ることは、今の私には難しいし、先程のネ友と違って現実でも繋がっている友達なので、そう簡単にできることではありません。
そして、思春期の気の迷いかもしれませんが、私は恋愛的な意味で彼女が好きかもしれません。
まだ中学生なのでこんなことを決めるのは早いのかもしれませんが、私は幸せな家庭を築く気がこれっぽっちもありません。
というか、築ける気がしません。
両親が離婚した家の子の離婚率は高く、機能不全家庭は連鎖することを考えると、とてもそのような気になれません。
また、まともに今の家族も愛せない私に誰かを愛する資格があるのかが疑問です。
そうしたことで家庭を築くことを望んでいないのと、いわゆるところの腐女子になったこともあり、男性に対してまともに恋愛的な思考を働かせることがなくなりました。
もし私がバイセクシュアルなりホモセクシュアルだったとし、彼女に恋をしていたとして、この胸のひずみはどうしたら良いのでしょう。
彼女は以前、自分はバイであると言っていたことがあるので、可能性はゼロではありませんが、最近の彼女の言動では、彼女は親孝行に幸せな家庭を築くことを望んでいます。
彼女のバイ発言が思春期の迷いからのものだとし、男性とのお付き合いを強く願うのであれば、私が彼女の道を外すことは避けたいです。
また、私たちは普段から「愛してる」「大好き」という言葉を親愛的な意味で、挨拶のようによく言い合います。
その為、仮に告白などを行ったとしてうまく伝わるか不安です。
誤魔化す・誤魔化される、で終わってしまうような気がします。
彼女を失いたくないです。
私が唯一心を開ける存在ですが、最近は彼女から親愛的な意味合いで送られる「愛してる」「大好き」の言葉をも疑うようになり始めました。
母が元々海外の人で、英語圏のアイラブユーは喧嘩している最中でも交わし合う家族同士の挨拶の言葉です。
かなり割愛してますが、彼女と転校で別れる頃、会う度にアイラビューとネイティブの発音で言ってくれていたその母に完全に捨てられたことを悟りました。
彼女の言葉への不信感は、そのことから、私にとって「愛してる」という言葉は、聞いて安心できる言葉でなくなったことが原因だと考えています。
すると、もうどこからも安心感が得られません。
親に怒鳴られて、「まだ自分は気にかけてもらえている。だから愛されている」という愛情の感じ方がいびつなことくらい、そろそろ気付いています。
内容が支離滅裂でごめんなさい。
私自身も言いたいことがよく分かりません。
もう誰かと関わるのが怖いです。
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初代あかり(殿堂入り|ココオルスタッフ)
π- 2015-06-27 23:28
(1)機能不全家族の親のこと
(2)兄弟への虐待のこと
(3)転校前の友人のこと
この3つが大きな区分になるかなと思います。
(2)の兄弟への虐待については、(1)の影響があると思います。(3)の転校前の友人への想いや関係については、(1)に関連しているかどうかは今のところよくわかりません。
ということですので、まずは(1)について少し焦点を当ててお返事をしたいなと思います。今後やり取りを重ねながら、情報が増えてくれば、また色々とお返事の中で(2)や(3)についても言及はしていけるかなと思います。
>私たち姉弟の育児放棄をして海外に飛んだ母も、痛い思いをして産んだのに理想の子でなくて申し訳ない気持ちが出てくるとそれまでです。
→理想の子どもというのは、どういう子どもをイメージしていますか。たしかに、お母さんは出産という貢献をしてくださっていると思います。しかしながら、出産をすればすべてあらゆることが許されるということはありません。子どもには子どもの人格があり、人生があります。
世の中には色々と問題のある親もいますし、出産してくれたからという理由だけで、自分にも問題がある、申し訳ないという気持ちになる必要はないと思います。一定の感謝の気持ちは持ちつつ、それとこれとは別だと区分して考えていけるとよいかなと思います。
>「役立たず」と罵ってくる父にも、私たち姉弟の育児で疲れきっているのだと思うと何も言えなくなります。
→世の中には、親に愛され、優しい言葉で励まされ、失敗やミスをした時も助けてくれ、いつも見守ってくれる親がいます。本来家庭の機能とは、家族みんなで助け合い、支え合うというものです。
ただ現状としては、そのような言葉が出てくるということは、きっとお父さんも日々辛く、苦しい状況なのかもしれませんね。ただ、これもお母さんの出産のことと同じように、だからといって、どんな言葉が許されるということはありません。
>両親はどちらもバツイチ同士で、「一度離婚している=まともに今居る子供を育てることも出来なかったような人たちが、新たに子供を作り、新たな機能不全家庭を生みださないでくれ」と思ったこともありますが、そんなことを考えても生まれてしまったものは仕方ありません。
→これは良く客観的に考えることができているなと思いました。一理あると思います。離婚がすべて悪いというわけではありませんが、何らかの原因があったのだと思います。二度あることは三度あるという言葉もありますが、本来であれば一度目の失敗、挫折を教訓として、うまくやっていければよかったものの、現状としてはそれほどうまくいっていないようですね。
世の中にはいろんな親がいて、いろんな境遇の子どももいますが、同じような環境の子どもがみんな幸せになる、あるいはみんな不幸になる、ということはありません。私たち人間は生まれ育った環境や付き合っていく人間に影響を受けて生きていきます。ただ、全てが全く同じようになるわけではありません。
大切なことは、これからの自分の人生をどうしていくか、そのために何をやっていくのか、そういうことです。ぜひ少しずつ一緒に考えていきましょうね(^^)
>まだ中学生なのでこんなことを決めるのは早いのかもしれませんが、私は幸せな家庭を築く気がこれっぽっちもありません。というか、築ける気がしません。
両親が離婚した家の子の離婚率は高く、機能不全家庭は連鎖することを考えると、とてもそのような気になれません。
また、まともに今の家族も愛せない私に誰かを愛する資格があるのかが疑問です。
→これまでの人生経験を考えますと、幸せな家庭を築くことができないと思うのも無理はないと思います。離婚率や連鎖の件は、一つの傾向としてはその通りだと思います。ただ、絶対100%そうなるということはありません。大切なことは、自分はどうしたいのか、どんな人生を生きたいのか、その意志次第です。その意志が本人の人生を決めます。親や家庭環境が人生を決めることはありません。
今の家族を愛せないのは当然だと思います。今の家族を愛することができていれば、きっと楽しくて幸せな毎日になっているはずです。今の環境では、決して楽しい気持ちや幸せな気持ちがいっぱいな家庭ではないわけで、家族を愛せないのも無理はありません。
・今の家族を愛せない自分
・他の誰かを愛する資格はあるのか
この2つは全く別々の問題です。今の家族を愛せないからといって、他誰かを愛する資格がないということはありません。
疑問を抱いてしまうのは、いろいろと自分で一生懸命に考え、葛藤しているということであり、何もおかしいことでもありませんし、とても素晴らしい行為をしていると思います。
自分の頭で考え、自分の行動を変えていくことが大切です。
ぜひ少しずつ一緒に考えていきましょうね(^^)
アメアガリ
π- 2015-06-30 22:44
そうですね、何かしらの「善」を働いたからといって、その人が働いた「悪」が許されるわけではありません。
ただ私はどうしても、何かしらの「悪」を働いたからといって、その人が働いた「善」が帳消しにされるわけではない……という風に考えてしまいます。
どちらも正せば内容は一緒ですが、捉え方が少し違うように感じませんか。
私は後者の捉え方の方が強いので、幼少の頃から何でも笑って許してしまいがちです。
別にそれを悪いことだとは考えませんが、社会で生きていくにあたって、このような考え方はもう少し抑えた方が身のためなのでしょうか……。
自分はどうしたいのか……どう生きたいのか……結局はそういうことですよね。
私の人生です。
ゴーイングマイウェイ……時間をかけてゆっくりで良いので、やりたいことの答えが見つけられたらと思います。
また(1)と(3)の関連についてですが、色々と自分で考えた結果、私は恐らく彼女の事を母親のように思っているのだと思います。
機能不全家庭が与える子への影響に、他者との擬似的親子関係を形成するというのを見掛け、私はそれなのではないかと考えています。
母はとても適当でいい加減な人です。
一方、彼女は馬鹿が付くほど真面目な努力家です。
私は、実母と正反対の、自らの思い描く理想の母親像にでも当て嵌めて、彼女を見ているのかもしれません。
すると、彼女に抱く感情は家族愛に近いものになるのでしょうか。
ただ、私は本来抱くべき相手に家族愛を抱いていないので、この感情の収まり先に悩んでいるのかもしれません。
>今の家族を愛せないからといって、他の誰かを愛する資格がないということはありません。
そうですよね……いつか、心の底から信じられて、愛せる人が見つかると良いです。
お返事をもらい、少しだけ救われたような気がします。
お話を聞いて頂けただけでも、とても有り難いです。
心強いです、有り難う御座います。
初代あかり(殿堂入り|ココオルスタッフ)
π- 2015-06-30 22:58
ただ私はどうしても、何かしらの「悪」を働いたからといって、その人が働いた「善」が帳消しにされるわけではない……という風に考えてしまいます。
どちらも正せば内容は一緒ですが、捉え方が少し違うように感じませんか。
私は後者の捉え方の方が強いので、幼少の頃から何でも笑って許してしまいがちです。
別にそれを悪いことだとは考えませんが、社会で生きていくにあたって、このような考え方はもう少し抑えた方が身のためなのでしょうか……。
はい、どちらも内容は同じですね。『帳消しになる』という風に極端に考えるのではなく、良い面も悪い面もあると、バランスよく考えるのが良いと思います。
ご自身の考えですと、殺人や泥棒をしても、過去に良いことをしていたら許される、という解釈のように感じます。それとこれとは別ですので、分けて考える方が良いと思います。
万引きをしても、過去にお金を払って商品を買っていたことがあるから許される、ということはないですよね。それと同じように、悪いことは悪いことですので、過去のことは関係なく、別で区分して考える必要がありますね。ご自身の考え方ですと、過去に良いことをしていたら、どんなことでも許されることになるので、世の中がもしそうであれば、無法地帯のように略奪や殺人が横行してしまうと思います。過去に良いことをしていたら許すのであれば、警察も逮捕できませんし、大変な世の中になるでしょう。
>また(1)と(3)の関連についてですが、色々と自分で考えた結果、私は恐らく彼女の事を母親のように思っているのだと思います。
機能不全家庭が与える子への影響に、他者との擬似的親子関係を形成するというのを見掛け、私はそれなのではないかと考えています。
母はとても適当でいい加減な人です。
一方、彼女は馬鹿が付くほど真面目な努力家です。
私は、実母と正反対の、自らの思い描く理想の母親像にでも当て嵌めて、彼女を見ているのかもしれません。
すると、彼女に抱く感情は家族愛に近いものになるのでしょうか。
ただ、私は本来抱くべき相手に家族愛を抱いていないので、この感情の収まり先に悩んでいるのかもしれません。
彼女に抱く感情が家族愛に近いのかどうかはわかりませんが、たしかに一理あるかもしれませんね。
色々な感情が日々揺れ動くと思いますので、ぜひ自由にココオルをご活用いただき、思考の整理などにご活用ください。私たちも一緒に考えていきますので、じっくり取り組んでいきましょう(^^)