就職したいのですが、両親の行動に悩んでいます。
私は、3人兄妹の真ん中で、兄と妹への態度と比べ、小さい頃から私だけ扱いがおかしく、首をかしげる事が多かったです。
実家暮らしは、8年目になります。

高校卒業後、目指したい進路へ行かせてもらえず、「お前には無理」の一点張りで医療福祉系の専門学校へ行きました。
「私には向いていない」という気持ちを伝えましたが、娘の声が届く事はありませんでした。
ですが、医療福祉という分野は生半可な気持ちでは務まらないものです。
両親からの精神的圧力や行動、学業について行けず、うつ病を患い1年半で中退しました。

中退するまでの1年半を1人暮らししていましたが、仕送りと称して日付指定のバスチケットが送られてきたり、「疲れた」とメールを送れば自殺すると勘違いして突然アパートへ押しかけてきたりと、いつも本人の有無は置き去りでした。
心療内科に通っていると知った父は、アポなしで学校を訪れ、担任や学長へ名刺を渡し、偉そうに己の地位を説明しました。
なぜか4者面談に発展し、娘の小・中学校での出来事を、あることないこと吹き込み始めました。
「娘がどうしてもこの学校に行きたいっていうからお金を出したのに、残念ですよね^^」
私は、凍り付きました。❝この(医療福祉系の)学校へいけ!❞と言った父が、中退させるべく晒し者へ仕立てようとしてきました。
親の言葉は絶大です。学生の私が先生たちに否定しても、嘘の刷り込みができてしまったあとでは、「こういう子なんだ?^^」で終わってしまい、抵抗もできず反論もできず、私はうつむくしかできませんでした。

実家へ戻る際、心療内科で書いて頂いた他院への紹介状を、両親は「あずかる」と言ってその後行方が知れません。
「返してくれ」と言っても「どこにあるかわからない」「もう治ったでしょ?」「そんな病院ないよ^^」と言うばかり。
未だ、診断書、紹介状は見つかっていません。
抑うつ神経症と診断され、しばらくは服用していましたが、実家に戻ってからは通院できていません。
近隣住民への手回しをしていたようで、外で挨拶する度に「全然元気じゃん!」「最近の子、すぐうつ病っていうよねぇ」と言われ、悲しくなりました。
実家に帰っても味方はいませんでした。
仕事を始めるタイミングも髪を切るタイミングも、食事するタイミングも自分で決めさせてもらえず、ほぼすべての行動が両親によって制限されていきました。

実家へ戻ってきてアルバイトを始めたのですが、親の異常な行動は増すばかり。
私の住んでいる県は、何をするにも車社会です。
お金を貯めてマイカー購入を目指していたのですが、ある日、父から「(自分の好きなメーカーの車種を指さして)これにするなら全額出してやる」と言い出し、他のメーカーの車種は認めない意向を示してきました。
身の丈に合った車を自分のお金で買いたいと思っていた私は、この申し出の裏を見抜き即却下。
親が買ってくれると言っても、表向きの話で、結局は親の所有物です。
車も保険も親名義、親の許しがないと車に乗れません。例えそれが出勤直後であっても。
❝親の都合❞が入っており、車を持っているのに出勤できない事態が発生するという事になります。
それを考えたら、首を縦になんか振れません。
一向に首を縦に振らない私に機嫌を悪くした父は、母と結託して、3台目が入らないよう車庫に物を置き始めたり、若年者にかかる税金の(最高額な)見積書の提示、「いつ辞めるの?」とアルバイトへ行かせない(収入を増やさない)よう勤め先へ圧力をかけるようになりました。
親の都合で仕事に行けないなんて許される事ではありません。
次第に勤め先へ迷惑をかけるようになり、辞めざるを得ない事を繰り返していきました。

郊外のため、車以外だとバス通勤、自転車通勤をしたことがありますが、「どこで何をしていたか」知り合いを通じて情報がすべて親に伝わっていくので、その都度、圧力をかけてきて長く続くことはありませんでした。
通えないよう自転車を廃品回収へ回してしまったり、少し離れた駐輪場に置いても同じでした。

無職だと「働け!」と言われるのは、どの家庭でもあると思いますが、面接に行こうとすると「お前には無理」から始まり、親が選んできた求人票を無言で提示してきたり、断れば「今のお前にはこれで十分でしょ?」と笑顔で言ってきます。
採用された職に就くと「送迎してやるから交通費(ガソリン代以外も催促します)」、送迎に飽きれば、「ねぇ、いつ辞めるの?」「行けるもんならバスで行けば?この時間帯はないよねぇ」と親都合を押し付けてきます。
そんな事が続いて疲れてしまい、車を買う事も県内就職も諦めました。

次に考えたのが県外就職です。
去年の9月頃、寮や社宅のある求人を探していた時、見つけた会社に応募して、2次選考まで進みました。
2次選考日時も決まり、「出かけてくる」と一言伝えた翌日の昼、父に呼び止められリビングで2:1で話をさせられました。
父の第一声は、「(この求人は)お前のためにならないから、断りなさい。断れないならお父さんが断ってやるよ^^」と満面の笑みで言ってきました。
同時に、母が私の部屋に侵入し、資料を物色して父に通報したのだと悟りました。
私の部屋は、鍵がかけられない間取りのため、簡単に侵入ができ、母が私の携帯を持ち去ったり、作り途中の履歴書や求人リストを持ち出しては勝手に捨てられている事はよくありました。(シュレッダーにかけているのかもしれませんが)
一方的な両親に、面接に行く会社の事、労働条件など、事細かく説明をしましたが、悉く理解されませんでした。
両親は、「県外は親戚がいる範囲で^^」と追加指定を入れてきたり、「電話で担当者と繋げ」としつこく言ってきました。
過去にも同じ経験があり、勤め先の上司などを恫喝する事があったのを思い出し、二の舞を恐れてやむを得ず私から断りの電話を入れる羽目になりました。
担当者にお詫びをして2次選考を辞退しました。
この日を境に、なるべく両親と家の中で顔を合わせるのは避けるようになりました。

2人への殺意は、長年蓄積されていき芽生えた気持ちは増していきました。
しかし、他人を殺す勇気も心中の勇気もない私は、一刻も早く職を見つけ両親との縁を断ち切りたいと願っています。
ですが、何度も邪魔をされている今、次もまた被るのかと思うと不安で仕方ありません。
行動起こせば過剰に反応してきます。
両親の敷いたレールで生きるのはウンザリです。

両親は私の本当の姿、性格を知りません。知ろうとしてくれません。
兄妹や親戚は両親の味方ですので、両親が描いた表現そのままに回りは洗脳され続けています。
同級生のお母さん、母が原因で縁を切った友人、近隣住民の方々。
私の本当の素顔を知りません。

まだ県外就職を諦めてはいません。
貯金が底をつく前に、次の職を探したいと思っていますが、気が休まる事はありません。