私はもう40を超えているにも関わらず、自傷行為をしています。
敢えて自傷行為と書いたのはカットだけではないからです。ODで救急搬送。マニキュアを眼に塗っていたし、今は血管に空気とマニキュアの除光液を入れて現在投薬治療してます。
躁うつで夜中に電話したりして数少ない話を聞いてくれる人も失いました。主人は某宅配会社での仕事をしている為朝は早く帰りは遅く、疲れて帰ってきて話をする時間もなく寝てしまいます。

子供の頃から精神的には弱かったかも知れません。母親は凄く怖かったです。私は一人っ子なのですが、お隣に幼馴染みがいました。そろばんや習字など習い事もいつもその子が先に進んで行きました。その度に母親は怒りました。あんたはいつも落ちこぼれやなと…。私は段々と自分は何も出来ないんだと思う様になりました。そして…小学校5年生から中学校3年生まで壮絶ないじめにあいました。ある時泣きながら家に帰りました。母親は私に言いました。お前が何時もメソメソしてるからいじめられるんだ。いじめられるあんたが悪いんだと。
中学校の時は1番辛かったです。あだ名はバイキン。私の声を聞くと耳が腐るから話すな、眼があったら眼が潰れるからコッチ見るなは当たり前。席替えの時は地獄、一緒の班になってしまった奴に同情の声が上がりました。机を合わせる時は5センチ以上あけるルールなんかもありました。掃除の時は私が自分で動かすか、私が違う掃除の時は机はそのまま置かれて入れば良い方、足で蹴飛ばされる、モップで倒される
毎日続きました。母親に初めは相談していましたがいじめる方は悪くない、いじめられるあんたが全て悪いと言われて何も言えなくなりました。そして学校を休む事も許してくれませんでした。自分の体裁が悪いからです。ある時限界にきた私は近くの公園で首吊りしようとしていましたが偶然にも知らないおじさんに見つかり未遂に終わりました。
何とか生きてきて主人と知り合いました。14歳年上の人です。主人は先天性の病気があったので私の辛かったいじめの話も聞いてくれました。結婚することになりました。家族だけでひっそりと。しかし…今度は義理の妹さんとの比較がありました。洗濯の仕方、干し方、主人のお弁当、料理…。何でもやり方が気に入らないと言ってきました。義母はもう亡くなりましたが、まだまだ比べられる事になったのです。私ら夫婦には子供が出来ませんでした。それも数年言われました。そして同居して病気を発症しました。色々な病院にも行きました。しかしどこの先生にもあなたのような患者はうちでは無理です…。病院にも見捨てられていました。今は何とか一件だけ診てくれる先生がいます。

私は今でも完全に人間不振です、そう、主人にも。いつも考えは後ろ向き。生きている間は多分続くと思います。もしかしたら生きていてはいけないのかも知れません。
今はたまに父親には電話しますが母親とは絶遠状態です。

つまらない話を長々と失礼しました。きちがいがいるなと思って下さったら結構です。