およそ100行くらい書いていた悩み相談がすべて消えてしまいました。泣きそうです、下書き保存してません。やっぱり私は何年たっても自分で消化していくのですね。
やっと相談しようと決意して会員登録したのに。
一時間くらいかけて書いてたのに、もう終盤だったのに。
つらいつらいつらいつらい、鬱状態のときにしか書けないものなのに消えてしまいました。
つらいつらいつらいつらいつらいつらいつらいつらい
伝えたい通りに、感情の赴くままに、初めてだれかに相談できる、ちゃんとした人に相談できるんだ、どれほど喜ばしいことか、と思い書き続けていました
無念の他にいいあらわせません
端的にいいます
客観的に見るとささいなことですぐに怒って鬱っぽくなります
でもうつ病じゃなくてほんとに短期的です
短期的な双極性障害みたいな感じなのでしょうか
高校生なのでなかなか病院とかに行けません
お金かかります
しかも行動しようとすると鬱から覚めて、こんなことで鬱って…とすぐ自分でもなります
無料のカウンセラーに話しても、その鬱状態のときじゃないと伝えられません
ネットとかだと感情のままに書き込めるので絶対こっちのほうがいいです

ひどく体調をくずしてるのにも関わらず母に強く言われました
死んだほうがいいほどお腹が痛いときでも母は病院に行こうかなんて言ってくれません
もう内容はいっぱい省きます、遡るのもしんどいし、めんどうくさいです
母と仲はいいんですが、たまに母の矛盾した点や同じ事を何度も言わされたりするのにイライライライラして口論になります
母しか私は一緒にいて楽になれてなんでも言える人はいません
小さいときから、皿をバリバリに割りつけてマンションから飛び降りようかとか考えます
絶対しないので大丈夫です
大好きなふたりの旅行のときでも毎回必ず口論します
客観的だと大したことないでしょう
けど
鬱っぽくなって逃げ出したくなります
軽く相談できる人がいないからこんなのになるのかもしれません
でも友達といるとそういう『モード』じゃないんです
自分にはスイッチみたいなのがあるんです
鬱みたいなモードだったり学校の自分のモードだったり、家のモード、辛いモード。
辛いモードというとは、これからの一生でナンバーワンに匹敵するであろう部活のこと。このとき腹痛と腸の異常を初めて過敏性腸症候群でありストレスのせいだと自分はしました。病院に相談しました。部活の辛さほどのものを乗り越えたという実感が、平和モードの普段には全く沸かないんです。ほんとうに過去の自分とは思えないんです。あとは被災地と向き合ってる自分とかも同じです。
こういうのと鬱っぽいのと、ずっと自分の悩みです
ストレス?を積み重ねていってます
端的ではなくなりましたが、感情的に書かないと伝えられないのですみません。私は一体なんなのでしょうか
病気みたいなものだと言ってほしいですが
冷静になるとどこが病気だよ、となります、読み返すとばからしいです
でもつらいんです
きっと母にもっと心配されたいんです

ちなみに哲学みたいなことまで寝ぼけモードとかには考えます
なにもないという概念がないところからスタートしてるのに、わたしは人間として唯一の概念をもつ脳をもって変に生きてるんだ、どうして苦みという概念をもって生きないといけないのか、なんでマイナスな概念をもって生まれてきているのかなど
こういうこと友達に話すと、大丈夫?と言われます
逆にこう思わないのが不思議です
みなさんどうなんですかね
へらへら生きてるなんて羨まし
でも、去年こういう同じ哲学てきな思想を歌っているのと出会いました、運命でした、もっと早くに出会うべきでした
話は戻って、うつのようなもの、私はなんなのでしょうか