29歳女性です。
3人兄弟の末っ子で、幼い頃から一人で本をばかり読んで育ってきました。
幼い事から親の決めた習い事をしてきました。
私は大切にしてもらってきたと思いますが、私自身の意見を聞き入れてもらった覚えはあまりありません。

中学で些細なことからクラス中の人に無視され、制服を汚され、今ではいじめと言われる行為を受けました。
誰一人味方がいず、担任も知らんぷり。でも家に帰っても、親は「そんなのはいじめじゃない、もっと周りにとけこむ努力を」と言うだけで、どれだけ泣いて頼んでも学校を休ませてくれませんでした。
あの頃は毎日が地獄で、毎日日記に「卒業まであと〇日」と書くことが、唯一心を和ませてくれました。
学校をさぼっても、担任から家に連絡が行き、探されこっぴどく怒られました。
母親からは、「あなたに直すべきところが沢山あるから、しんどい思いをする」と毎日聞かされました。

高校では仲の良い友達が出来、部活も続けたおかげでおそらくこれまでの人生で一番充実した3年間を送りました。親と衝突することもありませんでした。親は私が普通の学校生活に戻ったことで、ほっとしたようでした。部活の合間に勉強も頑張り、指定校推薦で地元の有名大学を取ることができました。この大学選びも、指定校推薦のリストを私が家に持ち帰ると、それを見た親が「この中なら〇が良い」と決め、私はそれに従い大学を決めました。専攻は英文学で、というのも、高2くらいの時にある日突然2人で「おまえは将来何がしたいの」と訊いてきたため、その時頭にあった「外国に行きたい」という気持ちを告げたからです。

ところが卒業間近になり、あるきっかけで芸術に強い興味を持ちました。それまで習い事や部活一筋だった自分が、初めて心から「この道に進みたい」とはっきり感じた瞬間でした。両親に話しましたが、二人とも全く美術に興味などなく、親族にも芸術に関わりがある人なんていないため、理解不能、という顔をされました。以後10年間、私が美術について話しても興味を示すことはありません。私は自分が異常な人間、こんなの好きになるなんて、とも思いましたが、それよりもアートが好きな気持ちが強くて、もっと知りたいと思うのに、どこから美術の世界に入ったら良いのかわからなくて、お金もなくて、困っていました。
大学1回生の時に、親に黙って地元の芸術大学のAO入試を受験しました。合格をもらえたのですが、入学申込書を持って両親に編入したいと願い出たところ、激怒され、「お前は何を考えているんだ」と非常に悲しまれました。「おまえに美術の才能は無い」と父親に言われたことを覚えています。近所に住む芸術家に合格通知を持って母親が一緒に相談に行ってくれましたが、「こうやって生徒を勧誘する大学がたくさんある」と言われ、母親はそれを聞いて反対をより一層強め、結局両親を説得することは出来ず、編入は断念しました。
大学の合間にアルバイトをして、そこの大学の通信教育を受けていました。(お金が足りず途中で退学しましたが)画塾にも通い、デッサンの基礎を習いました。海外に一人で行き、パリやイギリス、ニューヨークなどの美術館を見て回りました。何か美術に関することを知れるだけで、喜びでした。
でも家で絵を描きたくても、親が精神病にかかったかのような目で見てくるため、かくれてこそこそと小さい絵を描くしかありませんでした。

さすがに両親も私が本当に美術が好きだと感じたようで、これまでのことを申し訳なく感じ、大学卒業後にドイツへ留学させてくれました。そこで私はミュンヘンの美大に入るべく、一からコネクションを作り、教授に会って絵を見て貰えるところまでこぎつけましたが、絵は気に入ってもらえたものの、ドイツ語がたどたどしかったので入学を許可してもらえませんでした。どのように入試を受けたら良いのか、プレゼンしたら良いのかも知らず、無謀に受けたので、当たり前だったかもしれません。また受験できるのは1年後でしたが、その時の私は1年間もドイツで作品制作だけして、その間両親にお金を出してもらえるとは思えず、また、年齢も20代半ばだったので、就職しておかなければ、という強迫観念にかられ、途中で断念して帰国してしまいました。自分の美術に対する意思と覚悟が足りなかったのだと思い、美術を諦める決断をしました。
何かしないと、自分が自分でなくなりそうで、必死に語学の勉強をしました。せっかくお金を出したのに何も身にならなかったら両親に何を言われるかわからなかったので、なにか形にしないとと思い、英語とドイツ語をある程度のレベルまで上げました。
帰国後、父親のコネで地元の会社に就職しました。英語を使うので、やりがいもあり、次第に自分の仕事量がものすごいことになっていました。親から離れて住みたい一心で、一人暮らしを願い出ましたが、強烈な反対に遭い、結局実家を出るまで8カ月程かかりました。ですが一人で家にいてもずっとそわそわして、何かしないと、といった思いは消えず、一人暮らしを始めて最初のうちは眠れず、夜中に一人で近所を走り回り、身体を疲れさせて眠っていました。
仕事のストレスと、睡眠時間の少なさ、元々自分に合っていない生活がたたり、右下腹部が常に痛くなり、歩くことも出来なくなるほどでした。あまりにもピンポイントで痛いので、何か病気に違いないと思い、母親に相談して病院巡りをしたのですが、MRIを取っても、何をしても異常はありませんでした。両親はストレスだと気づいているようでした。
結局2年半で仕事を退職しました。私はこれからの人生どうやって生きていったら良いのかわかりませんでしたが、どうせならかねてよりずっと憧れていた美術学校へ通ってみたいと思い、ニューヨークへ3カ月留学しました。全くの自費だったので両親も何も言わず、黙って送り出してくれました。腹痛はいつの間にか消えていました。

その学校で一人の日本人に出会いました。
私はまさか自分がこの学校に通える日が来るとは思わず、また、堂々と「美術が好きだ」と言える環境に来たことが嬉しすぎて、半泣きで、毎日が天国のようで、もう死んでも良いくらいの気持ちで過ごしていました。
そこで同じ授業を取っていた男の子と知り合いました。
出会ってしばらくは友達として過ごしていたのですが、ある時点をきっかけにお互いの気持ちを抑えられなくなり、恋人になりました。
それから私の帰国まで半月ほど、ほぼ毎日一緒に過ごしました。一人でいるよりも楽で、一緒にいるだけで「今が一番幸せかもしれない」と思えたのは初めてで、自分でもこの感情に戸惑っていました。
彼は藝大出身で、美術にとても詳しく、私の知らないことを教えてくれます。彼と出会って美術に対する考え方、意識が変わりました。
せっかく入った美術学校にももう一度通いたい気持ちが強く、再度NYに戻ると言って帰国しました。

帰国してから4ヶ月経つ今もほぼ毎日LINE、2~3日に一回は電話をずっと続けています。彼の方が参っていて、私に早く戻ってきてほしいようです。
一度冷静になるために帰国して離れたのですが、4ヶ月経った今も全く気持ちが離れず、こんなに人を好きになれたこと、人生のパズルのピースが合うようにぴったりと感じる人に出会えたことに、嬉しさを感じる反面、溺れていて頭が正常に働いていないのでは?と少し心配です。
ですが、もし将来彼と一緒になったら、私が普段は恥ずかしくて口に出せない、将来の夢が、上手く行けば叶いそうなのです。

帰国後、再び渡米するため派遣として英語を使って働いていますが、腹痛がよみがえってきました。通勤電車が辛く、職場は決してつらいことは無いはずの環境なのに、腹痛は収まらず、「〇〇をお願いします」とお仕事をもらうだけでひどく痛みます。
私はもうポンコツになってしまったのでしょうか。再度働くことはもうできないのでしょうか。
お金を貯めるために実家に戻ってきていますが、両親は今旅行でいません。
一人になるのが不安だったのですが、誰もいない家に帰ってきた今、自殺したくなりました。
その気持ちを抑えるので精いっぱいです。
さっき一人で大泣きしたらすこしすっきりしました。
私はもうポンコツで、両親(特に父親)のあきれた顔が頭に浮かびます。
もう好きに生きたいです。大反対された彼との将来も、苦労するかもしれないけど、夢みてみたいです。
母親は「絶対にあんたが苦労するから、別れろ。将来一緒になったって経済的に苦労すると好きな気持ちなんて一気に醒める。日本にいて新しい出会いをしろ」と言います。その気持ちもわかります。踏み出したいのに、その不安に負けそうです。

もう好きに生きたいです。でもこのまま動けない程の腹痛が続くなら、まともに働けず金銭的に苦労するかもしれません。金銭的に親に全く頼らないとも言い切れません。
どうしたら幸せになれますか。

長くなり申し訳ありませんでした。
支離滅裂な文章で申し訳ありません。
このような掲示板に投稿するのは初めてです。
おそらく答えは自分の中で半分出ていますが、何かアドバイス頂けると幸いです。